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革命者キリスト


第七章 イエス生誕の頃の状況

イエス生誕の頃のユダヤの宗教的状況は、前述のように、サドカイ派、パリサイ派、エッセネ派の三つの宗派があったが、それについてもう少し詳述する。なお、ここでの記述はアンドレ・シュラキの『ユダヤ教の歴史』を参照した。
 まず、サドカイ派は、祭司や貴族など、ユダヤ上層部の一派であるが、思想的にはモーゼの律法を字義通りに守ることを主とする。そのために、刑罰における極端な厳格さと、モーゼの律法には無い教義への拒否の姿勢がある。たとえば、来世の存在や、魂の不滅、死者の甦りなど、パリサイ派が主張した思想への拒否である。
 次に、パリサイ派の主要な教義は、(アンドレ・シュラキの説明通りに書けば)「神の正義、人間の自由、個人の不滅、死後の裁き、楽園(の存在)、煉獄と地獄(の存在)、死者の甦り、(メシアの誕生による)栄光の支配」などである。これらの教義が、「新キリスト教」つまり、ローマンカソリックに引き継がれたのは明らかだろう。つまり、「キリスト教」の思想のほとんどは、実はユダヤ教の中にすでにあったものであり、「キリスト教」がユダヤ教を敵視するのは近親憎悪に近いのである。シュラキは言う、「これらすべて(の教義)は、誇りをもって(自分を)《パリサイびと、パリサイびとの子》と宣言した聖パウロを介してキリスト教会に採用された。(傍線部中山記)」と。すなわち、序論(概説)で私が述べた、ローマ教会によるキリスト教のユダヤ教化ということは、シュラキのようなユダヤ人から見れば自明のことであったのだ。しかも、イエス自身がもっとも批判したのがパリサイ人であることを考えると、ローマンカソリックはキリスト教、つまりキリストの教えではない、と私が言うのは当然だろう。
 そして、エッセネ派は、教義よりも生き方そのものを重視する一派で、こちらはキリスト教の僧院の生き方に受け継がれている。彼らはモーゼの律法に従って生きる誓いを立てた後、集団生活を営む。その生き方は、「祈りと、服従と、貧困と、主の光とその意志への帰順における純潔の生活」である。また、その儀式面、「水による清め、聖なるぶどう酒による兄弟の契り、祭壇の供犠になぞらえられた食事中のパンの分餐など」もイエスと十二使徒の日常や「キリスト教」にそのまま受け継がれている。こうした純潔な生活の目的は、共同の祈りを学習を通して約束の究極的成就、すなわち主の王国へ導かれることである。そういう意味では、この一派もパリサイ派と同様に死後の復活を信ずる一派である。
 こうして見ると、新約聖書におけるイエスの体質や行動は、ほとんどユダヤ教エッセネ派に近いものであることが分かる。しかし、イエスの場合は、エッセネ派流の小乗的生き方に甘んじることができず、ユダヤ社会そのものを精神的に救おうとして行動に出た。それがイエスの破滅の原因となったが、また彼を世界宗教の始祖にしたのであった。

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