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革命者キリスト


第十章 イエスの死後の展開

 イエスは十字架上で死んだ。刑死である。この事の持つ心理的意味には大きく二つある。一つは、人間世界の罪は神の前での罪とは異なる次元であるということ。イエスは人間世界では罪びととして刑死した。だが、彼は神の世界では大いなる者としてその栄光を称えられる存在である。もう一つの意味は、人間の世界から神の世界に入るためには、十字架上の死に比せられる苦難を経なければならない、ということだ。これがドストエフスキーなどに見られる苦難・苦痛の称揚である。
 もう一つ加えるなら、十字架をアクセサリーとして常に身につけることは、いわゆる「メメント・モリ(死を思え)」の習慣を持つことでもある。ただし、この死とは、永遠の闇である虚無の死ではなく、キリストに導かれた来世、天国である。常に来世の存在を意識することで、この世の様々な苦痛や理不尽に耐える力を、それは与える。つまり、現世はそのままで来世とつながっているという意識だ。そして、死は、信仰者にとっては苦痛でも何でもなく、むしろ喜び迎えるべき世界なのである。(実際、人はしばしば死の前の苦痛を死の苦痛と混同するが、死とは意識の変化であって、肉体的苦痛とは無関係なのである。そして、仮に、死が虚無ならば、そこには意識も存在しないのだから、それをあらかじめ恐れるのは愚かだろう。死を恐れるほど、我々の毎日が幸福に溢れているわけでもない。)

 さて、イエスは死んだ後、三日後に復活したとかいう話になっている。もちろん、これはどの宗教にも共通した教祖の神格化のための伝説であって、イエスを信仰する者以外には意味のない話だ。面白いのは、復活したイエスを、彼のかつての弟子たちが認識できなかったという話である。とすれば、イエスの復活伝説を作るための何かの工作まであったという可能性もある。例の、トマスの不信の話などから見ても、迷信深い当時ですら、死者の復活を人々に信じさせることはなかなか難しかったのだろう。
 そもそも、福音書には、たとえば、ゲッセマネの園で、イエスが逮捕前に一人で神に祈る場面が書かれ、その祈りの内容まで書いてあるが、いったいなぜ、そんな事が分かるはずがあるのか。これは素人小説家がしばしばやる視点の誤りである。だが、その手の矛盾をいちいち指摘するのも面倒だから、話を先に進めよう。

 新約聖書の成立時期は、イエスの死後40年から100年後くらいだと推定されている。つまり、イエスを直接に知っている人間はほとんど死んでいて、イエスについての口承がまだいくらか残っていた時期に、その口承を集めて福音書が編纂されたのだろう。では、誰がその福音書を作ったのか。ここでユダヤ教やローマ帝国との関係が出てくる。

 私は歴史には詳しくないが、ローマに対するユダヤ人の武力闘争、すなわちユダヤ戦争があったのがAD66年、これによってユダヤ人約60万人が死に、AD70年にエルサレムの神殿が破壊されたという。すなわち、ユダヤ教は存亡の危機にさらされたのである。ユダヤ教では、神殿の持つ意味は大きい。神への祈りは、神殿で行うべきものだったのである。

「神殿は、イスラエルの神の現存する場所であり、神の住みかなのであって、主の御名を唱えることのできる唯一の場所であった。なぜなら、そこにのみ主の現存があり、そこでのみ主に祭儀を捧げることができたからである。」(アンドレイ・シュラキ『ユダヤ教の歴史』)

 神殿の破壊によって、ユダヤ教は変質を余儀なくされた。つまり、神殿での祈りや祭儀が不可能になったということは、その律法の厳格な維持が不可能になったということである。このことは、これ以降のユダヤ教のあり方を変えざるを得ないということだ。さらに、ローマと敵対してユダヤが敗北したということは、ユダヤ教という宗教自体がこれまで以上に、ローマから睨まれることを意味する。多神教のローマは、元来、異国の宗教に寛容であって、征服した諸民族の神々を平気で自分たちの神々に加えてきた。しかし、一神教は明らかにこれまでとは話が違うのである。一神教を受け入れるには、これまでのローマの神々を全部捨てねばならない。多神教と一神教は並存できないのである。
 おそらく、ユダヤ教への弾圧が厳しくなるという予測があったその頃、最初の福音書「マルコ福音書」が作られた。これは何を意味するか。すなわち、ユダヤ教からキリスト教への大量の宗教移動があったのではないかということだ。別の見方をすれば、ユダヤ教の一部(おそらくパリサイ派)がキリスト教の偽装を行った、つまりユダヤ教内の人物の手によって福音書が作られたとも考えられる。
 イエスの死後40年経って、ユダヤ国家が壊滅的状態になったことと、イエスの死を結びつけて考えた人々も多かっただろう。イエスこそがやはりキリストであって、そのイエスを殺したことが神の怒りを買ったのだと。そうすると、当然、キリストの教えを知りたいという需要は高まったはずだ。それが、福音書を成立させたのだろう。
 つまり、福音書は、それまでのユダヤ教への反省と、当時残存していたイエス・キリストの伝承から作られたものであり、必ずしもユダヤ教と完全に乖離したものではない、ということである。作った本人が、ユダヤ教からの転向者であった可能性も十分にある。福音書の中で批判されているのはユダヤ教そのものではなく、律法学者や祭司たちなのである。その律法学者や祭司たちの社会的立場が弱くなったことと、福音書の成立、その内容とは無関係ではないだろう。パリサイ派批判の内容にすることで、それを作った自分たちがパリサイ派ではないとするカモフラージュがあったとも考えられる。
 ただし、最初に書いたように、新約聖書の中の神は、イエス・キリストによって想像され、あるいは創造された神である。だから、旧約聖書はユダヤ教の聖書、新約聖書がキリスト教の聖書という根本は動かない。

 福音書の成立によって、キリスト教は確かな基盤を持つことになった。それに加えて、イエス・キリストの弟子たちの言行録である「使徒行伝」や各教会への「手紙」なども聖書としてイエスの思想の注解書的な役割をした。これで、やっとキリスト教は宗教としての体裁が整ったわけである。
 しかし、福音書の誕生以前から、キリスト教はすでに大きな広がりを持ち始めていた。ネロによるキリスト教徒迫害がAD60年ごろから(?)行われ、64年にその最大のものがあった。イエスの死がAD30~40年頃だと思われるから、その死後20年くらいでキリスト教は大きく広まっていたということである。

 ここで、謎の人物パウロについて述べよう。
 過激なユダヤ教徒で、キリスト教徒を弾圧していた男が、ある時からキリスト教徒に転向し、しかも一番熱心に伝道を行い、しまいにはローマ教会建立の基礎を作ったのである。ある意味では、「キリスト教」を作ったのはパウロだとも言える。
 ではその転向はどのように語られているか。そのいきさつは「使徒行伝」第九章と第二十二章に書かれているが、長いので要約すると、ダマスコにいるキリスト教徒を弾圧するために行くその道の途上で、強い光を浴びて目が見えなくなり、「サウロ(パウロのもとの名前)よ、なぜ私を迫害するのか」というイエスの声を聞いたという。その後、視力を回復した後、エルサレムの神殿で祈っていると、「夢うつつの状態になって」イエスと対面する。そして回心することになるのだが、面白いのは、回心したサウロ改めパウロがキリスト教伝道の途上で危険に遭った時、自分は生まれながらのローマ市民だと言って危険を免れることである。その前の部分では、彼は自分をユダヤ人であると言っているのだから、サウロという人物の正体は、ずいぶん怪しいと言わざるを得ない。もちろん、ユダヤ人の中からローマ市民権を大金で買った人間もいるわけだが、パウロの場合には、「生まれながらのローマ市民だ」と言っているのである。ここから、実はパウロはローマのスパイではないかという説が出て来たのだろう。私もその説に賛成である。しかし、スパイとは何か。敵の中に偽装して暮らす人間のことである。いざという時に、裏切りの行為をすれば、それはスパイだとなる。では、裏切る機会が無いままで、一生の間偽装を続けたスパイはスパイなのか。一生、聖人の振りをし続けて、何一つ悪を為さなかった偽善者は偽善者か。
 パウロとは、その正体が何であれ、「キリスト教」を作った人間の一人であることに間違いはない。そういう意味では、聖人に列してもいいだろう。たとえ、その本来の意図が何であれ、彼は「キリスト教」の最大の貢献者なのである。だが、その後のローマ教会における「キリスト教」を見れば、明らかにキリストが批判したパリサイ派ユダヤ教が、表面的な儀式性だけを捨てた内容となっている。すなわち、来世での救済を餌に、現世での不平等を甘受させるだけの、権力にとって都合の良い宗教となっているのである。そして、かつての多神教から一神教になることでローマ帝国の国教として異民族を吸収するのにも都合のよいものとなった。キリスト教は、信じるだけなら、階級にも民族にも無関係に信じられる宗教であるから、入り口は広いのである。だが、皮肉にも、聖書にもあるように、「滅びに至る門は広い」のである。「キリスト教」が、その本来の性格通り、「貧者の宗教」であるなら、世の権力者たちがそれを肯定するはずはない。神の前の平等と貧者への施しを重視するイスラム教が現代の資本主義世界でどういう扱いを受けているかを見れば、それは明瞭だろう。それは昔も同じことである。
 パウロはキリスト教を変質させることでキリスト教隆盛の基盤を作ったが、それはキリストへの裏切りでもあった。パウロとは、いわば、『カラマーゾフ兄弟』の「大審問官」である。

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