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革命者キリスト


第十一章 ローマ化したキリスト(ユダヤ)教

 ローマ帝国におけるキリスト教の国教化は、まず313年のミラノ勅令によるキリスト教公認から始まり、ニケーア公会議での教義の統一、そして392年のテオドシウス帝の布令で国教となるという過程を経ている。
 なぜ、キリスト教がローマ国教となったのか。推測できるのは、当然ながら宗教の政治利用である。多神教よりも一神教の方が権力の源泉として強力であることに気づいた人間が、ローマ政府内部にいて、皇帝に進言したのだろう。もちろん、弾圧しても弾圧しても抑えられないキリスト教信者の対策に費やすエネルギーが無駄であるという判断もあっただろうし、もともと、ローマ人は宗教的民族ではないから、宗教など何でもいい、と思ったのかもしれない。公認以前のキリスト教徒に対して、ローマ皇帝たちは皇帝崇拝を拒否しているという理由で弾圧を繰り返したが、ことごとく失敗した結果、弾圧は非効率的だと反省したのが、おそらく主な理由だろう。
 さて、ローマに公認されたことは、キリスト教にとって良かったかどうか。もちろん、弾圧が無くなったことは良いだろう。だが、ニケーア公会議などでの教義の統一は、つまり、信仰の自由度が減ったということだ。もともと、キリストの死後に、伝承者が自分の主観をまじえて作った「キリスト教」であり、本来はキリストの思想に対しては様々な議論や解釈が可能だったはずだが、国教化された後では、自由な解釈は不可能になったのである。ニケーア公会議では、イエスの人性を強く主張するアリウス派は異端だとされて追放されることになった。エフェソス公会議ではネストリウス派が同じ憂き目を見た。そして、聖書の中に見られるイエスの思想よりも、教会内の学者たちの解釈によって、「新キリスト教」が形成されていったのである。それは、イエスの思想よりも、むしろユダヤ教に近い思想である。つまり、イエスの強調した信仰の内面性はほとんど消え、ただ現世における善悪の結果として死後の裁きが行われ、ある者は天国に行き、ある者は煉獄や地獄に行くという、非常に分かりやすく、浅薄な宗教と化したのである。その浅薄さのカモフラージュに、三位一体説とか原罪思想などが持ち込まれ、宗教論争は無意味な空理空論と化したのである。そして、もちろん、無知な大衆を導く存在として教会が絶対的な権威となっていった。なにしろ、国家公認の国教なのだから、誰も教会には逆らえない。政権そのものが後にローマ教会にあれほど苦しめられるとは、キリスト教を国教化した時点では誰も想像できなかっただろう。なにしろ、カノッサの屈辱のような、王権が神権の前に跪くという信じがたい事態が後には生じるのだから。

 そして、こうして作られた「キリスト教」つまり、看板を付け替え、儀式性が簡略化されたユダヤ教は、宗教改革などでもその根本部分が変わることはなく、現在に至っている。

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