石破茂自民党幹事長(娘が東電社員)が「若者は命をかけて日本を守れ」とほざいていることを今日の「ネットゲリラ」記事で知ったが、その記事を読んで、数日前の「阿修羅」記事を思い出したので、その二つを並べて紹介する。まずは「阿修羅」記事から引用するが、これは琉球新報の短文コラム「金口木舌」からのものである。その記事に引用された「戦争絶滅請合法」は一部の人間にはよく知られたものだが、世界中の人間がこれを知れば、いずれは本当に戦争は無くなるのではないか、と私は思っている。
もちろん、国民を強引に戦争や内乱(これは戦争の布石である)に駆り立てる政治とマスコミの力を過度に軽視することはできないが、しかし、すべての国民が権力の力を過剰に恐れて自主規制をしている現状を見れば、「恐怖すべきは恐怖そのものである」という言葉は、(それを言った人間が誰であるか、その意図がどうであったかは別として)真の民主主義と平和を導くものでもあると思う。
なお、何かを言い出し、率先してやった(やらせた)人間がそのプロジェクトの結果(「失敗」と言ってもいい。もっとも「失敗」というのは組織にとってであって、その個人にとっては実は成功かもしれない。)の責任を取らない、というのは大企業や政治や官僚の世界ではあまりにもありふれていて、もはや誰もそのことを疑問にも思わないほどである。(笑)
(引用1)
<金口木舌>まず、総理から前線へ(琉球新報)
http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/346.html
投稿者 gataro 日時 2014 年 5 月 11 日 13:05:10: KbIx4LOvH6Ccw
もちろん、国民を強引に戦争や内乱(これは戦争の布石である)に駆り立てる政治とマスコミの力を過度に軽視することはできないが、しかし、すべての国民が権力の力を過剰に恐れて自主規制をしている現状を見れば、「恐怖すべきは恐怖そのものである」という言葉は、(それを言った人間が誰であるか、その意図がどうであったかは別として)真の民主主義と平和を導くものでもあると思う。
なお、何かを言い出し、率先してやった(やらせた)人間がそのプロジェクトの結果(「失敗」と言ってもいい。もっとも「失敗」というのは組織にとってであって、その個人にとっては実は成功かもしれない。)の責任を取らない、というのは大企業や政治や官僚の世界ではあまりにもありふれていて、もはや誰もそのことを疑問にも思わないほどである。(笑)
(引用1)
<金口木舌>まず、総理から前線へ(琉球新報)
http://www.asyura2.com/14/senkyo165/msg/346.html
<金口木舌>まず、総理から前線へ
琉球新報 2014年5月9日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-224989-storytopic-12.html
こんなポスターがある。両端に武装した2人の自衛隊員。少し腰を曲げ、出迎えのホテルマンのように手を広げ、真ん中へ導く。「まず、総理から前線へ。」の文字
▼最近のきな臭い空気を映したものかと思っていたら、1982年にコピーライター糸井重里さんらが作ったという
▼同じ思いを持つ人は100年前にもいた。大正期の評論家・長谷川如是閑(にょぜかん)によると、デンマークの陸軍大将が「戦争絶滅受合(うけあい)法
案」を発案した。内容はこうだ。開戦後10時間以内に、砲火飛ぶ最前線に次の順で一兵卒として送り込む。(1)国家元首(2)その親族(3)総理、国務大
臣、次官(4)国会議員(戦争反対者を除く)(5)戦争に反対しなかった宗教指導者。さらにその女性親族は最前線の野戦病院で看護に当たる
▼戦場を見た軍人だけあって、戦争の本質を鋭く突いている。戦争をやりたがる権力者は安全な地で声高に危機感をあおるだけ。犠牲になるのは庶民という構図は歴史の常だ
▼時の政権が「戦争ができる国」へと前のめりになっている。「人のけんかを買って出る権利」(思想家の内田樹氏)である集団的自衛権の行使容認に向け憲法までも誤読を企てる。戦場に送り出される心配のない特権階級の人たちが、机上で描く悪魔の青写真だ
▼安全圏にいる安倍さん、絶滅法案こそ正しい意味の「積極的平和主義」だと思いますが、どうですか。
(*記事に写真はありません)
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