「世に倦む日々」から転載。(記事前半は省略)
ISIS人質事件では「世に倦む日々」氏の推理が群を抜いて優れていると思うが、そのためだろうか、そのブログやツィッターに対する弾圧もかなりのもののようだ。逆に、その弾圧こそが「世に倦む日々」氏の推理が事実に合致していることの証明ではないか、と思う。
下に部分引用した記事の内容の大略は以前から書かれていたものと同じだが、この事件における中田考氏(孝と書いているブログや記事を時々見るが、あれは誤記なのか?)の役割や立ち位置がやや詳しく考察されている点が新しい。ここでも「世に倦む日々」氏の考察は正しいように思う。
つまり、ISIS側は中田考氏や常岡浩介氏を日本におけるISISのスポークスマンにしようと前々から考え、中田考氏や常岡浩介氏もその意を体して動いていたが、それを察知した日本政府下部組織(公安)が中田氏を捜査し、一時拘束し、監視下に置いたたため、その計画が頓挫し、そんな時に安倍政権後援民間軍事会社社長の大馬鹿者湯川遥菜がシリア視察に行ってISISに捕まったというわけだ。日本政府はそこで、後藤健二を湯川遥菜の救出に向かわせたが、ISISは当然、飛んで火に入る夏の虫、とばかりに後藤健二をも捕虜にし、獲物が二匹になったという次第。
安倍総理はあの騒ぎを奇貨として日本を戦時体制にしつつあるが、最初からそういうつもりで湯川遥菜や後藤健二をシリアに送ったのかどうかは不明である。だが、誰が得をしたのかを考えれば、やはり「そういうつもり」(殺されるかどうかは確定的ではないが、殺される可能性大で、そうであればむしろラッキー、という考え)であったと見るべきだろう。であるならば、とんでもない人殺し総理である。まあ、それでなくても、フクシマの放射能を放置することで日本国民全体を緩慢に殺している、大量殺人犯ではあるのだが。
プライム・ミニスター(総理大臣)ならぬ、とんだクライム・ミニスター(犯罪大臣)である。
正確には、クライム・プライム・ミニスターか。
なお、「世に倦む日々」氏は、政府は「そういうつもり」ではなかっただろう、と下の文章の冒頭で書いている。だが、それを陰謀論の類いだ、とすれば、ご自分のこれまで書かれたものまで否定することになるのではないだろうか。事件の大半がアクシデント的に運んだとはいえ、湯川遥菜や後藤健二がシリアに行ったこと自体が、政府の謀略ではないか。彼らがそこで拘束され、あるいは殺される可能性くらい、最初から想定内だろう。それが現実的思考というものであり、政府がそういう現実的思考をするだろう、という程度の推理は陰謀論というほどのものではない。もちろん、「証拠などない」から陰謀論の領域だ、と言うなら、それはそうだが、証拠はすべて政府の手中にあるのだから、情報をロクに持たない一般人は、「何が合理的な推理か」で判断するしかないのである。
(以下引用)
私の推測は、後藤健二=政府工作員説で一貫しているのだけれど、中には、政府は後藤健二をイスラム国に捕らえさせて殺害させることまで織り込み済みで、計画的に後藤健二を騙してイスラム国に送りこんだという謀略説まで上がっている。そこまでは深読みの思考の飛躍というもので、荒唐無稽の誹りを免れない陰謀論の領域だろう。ネット時代の事件推理というものは、往々にして尾ひれが付き、深読みのバイアスに嵌まって陰謀論の類に化学変化してしまう。正視しなくてはいけないのは、ミッションを企画した主体は政府であって、安倍晋三ではないということだ。外務省と公安外事が立案し、NHKに協力させ、後藤健二を使って実行している。ミッションの計画の段階では、菅義偉や世耕弘成の関与は特に強くなく、中田考と常岡浩介が9月に行った活動の延長と継承の感覚だったのに違いない。中田考は湯川遥菜の救出に動き、同伴した常岡浩介はイスラム国(ラッカ)の現地事情を取材している。このとき、イスラム国側は日本に対して欧米諸国とは別扱いの寛容な態度を示していて、中田・常岡チームの9月の実績を見た外務省は、後藤健二のミッションについてリスクゼロだとすっかり楽観視していたのだろう。中田・常岡チームの待遇と同じ対応を予想していたのだ。9月の時点で、イスラム国側は、明らかに湯川遥菜釈放のサインを日本側に送っている。無罪釈放という結論ありきでなければ、無前提にわざわざ中田考を現地に呼んだりしない。
中田考がイスラム国に依頼されたのは、湯川遥菜の裁判の通訳だったが、中田考ほどの著名なイスラム法学者を日本から招待した後で、それを無意味化する有罪処刑の決定を出すとは考えられない。中田考の招待はイスラム国側のプロパガンダ戦略の一貫で、つまり政治ショーで、無罪釈放を中田考の手柄として土産に持たせ、常岡浩介にラッカの「平穏な様子」を撮らせ、日本には欧米諸国とは違う寛大な措置で対処したという宣伝効果が思惑されている。このとき、中田考は言わばイスラム国の日本大使だった。空爆激化のアクシデントがなければ、中田考による湯川遥菜救出は成功していただろう。と同時に、日本では中田考への評価が高まり、中田考が説くイスラム国寄りの思想が世間に影響力を与えていた点は疑いない。そこに待ったをかけたのが公安外事と外務省で、中田考とイスラム国の交渉ルートを断ち、独自のミッションで救出事業を引き継ぐことになる。外務省からすれば、イスラム国が湯川遥菜を釈放することは想定の範囲で、計画に迷いはなく、事前のイスラム国側とのコンタクトと調整も万全と確信できるものだったのだろう。まさか、イスラム国が約束を裏切る形で後藤健二の拘束に出るとは、政府(官僚)は夢にも思っていなかったはずだ。私は、後藤健二の素顔についてイスラム国の独自調査で疑惑が浮上したため、このハプニングが起こったと考える。
調査で濃厚となった疑惑とは、湯川遥菜を拷問して得た自白であり、後藤健二との関係の真相である。そこには、外務省側が事前に連絡していた(普通のジャーナリストという)情報とはあまりに不審な乖離があり、イスラム国側は後藤健二を尋問する算段となり、その結果、正体が露見して拘束という結果になったと考えられる。11月、イスラム国が湯川遥菜の釈放を方針転換し、二人を人質にして身代金を取る戦術に旋回した。その方針が、11月中のメール交信の中でさらに変わり、12月には、二人とも処刑という裁断になった。日本政府が身代金要求に応じなかったからだ。イスラム国側は、まさか日本政府が身代金を拒否するとは思わなかったのだろう。フランスも、スペインも、スウェーデンも身代金を払っている。イスラム国側の想定に、人命重視の日本が身代金を払わないというシナリオはなかった。イスラム国が事件後の2/12に出した声明にある、「傲慢な日本政府に恥をかかせるのが目的だった」という表現は、簡単に成功すると踏んで身代金略取が失敗した彼らの本音が透けて見える。このように、私は、湯川遥菜の自白で二人のCIAとの関係が発覚し、イスラム国側の態度が急変したと推察するが、もう一つの可能性としては、外務省のミッションを失敗させたい米国(CIA)が、途中からミッションの妨害に回り、イスラム国側に通報して後藤健二を捕縛させたという筋書きも考えられる。が、ここまで考えるのは、少し陰謀論的な性格(無理な深読み)が漂わないでもない。
いずれにしても、米国側が、イスラム国と日本との間に外交チャネルが確立することを恐れ、その遮断と隔絶に動いていたことは十分考えられる。
ISIS人質事件では「世に倦む日々」氏の推理が群を抜いて優れていると思うが、そのためだろうか、そのブログやツィッターに対する弾圧もかなりのもののようだ。逆に、その弾圧こそが「世に倦む日々」氏の推理が事実に合致していることの証明ではないか、と思う。
下に部分引用した記事の内容の大略は以前から書かれていたものと同じだが、この事件における中田考氏(孝と書いているブログや記事を時々見るが、あれは誤記なのか?)の役割や立ち位置がやや詳しく考察されている点が新しい。ここでも「世に倦む日々」氏の考察は正しいように思う。
つまり、ISIS側は中田考氏や常岡浩介氏を日本におけるISISのスポークスマンにしようと前々から考え、中田考氏や常岡浩介氏もその意を体して動いていたが、それを察知した日本政府下部組織(公安)が中田氏を捜査し、一時拘束し、監視下に置いたたため、その計画が頓挫し、そんな時に安倍政権後援民間軍事会社社長の大馬鹿者湯川遥菜がシリア視察に行ってISISに捕まったというわけだ。日本政府はそこで、後藤健二を湯川遥菜の救出に向かわせたが、ISISは当然、飛んで火に入る夏の虫、とばかりに後藤健二をも捕虜にし、獲物が二匹になったという次第。
安倍総理はあの騒ぎを奇貨として日本を戦時体制にしつつあるが、最初からそういうつもりで湯川遥菜や後藤健二をシリアに送ったのかどうかは不明である。だが、誰が得をしたのかを考えれば、やはり「そういうつもり」(殺されるかどうかは確定的ではないが、殺される可能性大で、そうであればむしろラッキー、という考え)であったと見るべきだろう。であるならば、とんでもない人殺し総理である。まあ、それでなくても、フクシマの放射能を放置することで日本国民全体を緩慢に殺している、大量殺人犯ではあるのだが。
プライム・ミニスター(総理大臣)ならぬ、とんだクライム・ミニスター(犯罪大臣)である。
正確には、クライム・プライム・ミニスターか。
なお、「世に倦む日々」氏は、政府は「そういうつもり」ではなかっただろう、と下の文章の冒頭で書いている。だが、それを陰謀論の類いだ、とすれば、ご自分のこれまで書かれたものまで否定することになるのではないだろうか。事件の大半がアクシデント的に運んだとはいえ、湯川遥菜や後藤健二がシリアに行ったこと自体が、政府の謀略ではないか。彼らがそこで拘束され、あるいは殺される可能性くらい、最初から想定内だろう。それが現実的思考というものであり、政府がそういう現実的思考をするだろう、という程度の推理は陰謀論というほどのものではない。もちろん、「証拠などない」から陰謀論の領域だ、と言うなら、それはそうだが、証拠はすべて政府の手中にあるのだから、情報をロクに持たない一般人は、「何が合理的な推理か」で判断するしかないのである。
(以下引用)
私の推測は、後藤健二=政府工作員説で一貫しているのだけれど、中には、政府は後藤健二をイスラム国に捕らえさせて殺害させることまで織り込み済みで、計画的に後藤健二を騙してイスラム国に送りこんだという謀略説まで上がっている。そこまでは深読みの思考の飛躍というもので、荒唐無稽の誹りを免れない陰謀論の領域だろう。ネット時代の事件推理というものは、往々にして尾ひれが付き、深読みのバイアスに嵌まって陰謀論の類に化学変化してしまう。正視しなくてはいけないのは、ミッションを企画した主体は政府であって、安倍晋三ではないということだ。外務省と公安外事が立案し、NHKに協力させ、後藤健二を使って実行している。ミッションの計画の段階では、菅義偉や世耕弘成の関与は特に強くなく、中田考と常岡浩介が9月に行った活動の延長と継承の感覚だったのに違いない。中田考は湯川遥菜の救出に動き、同伴した常岡浩介はイスラム国(ラッカ)の現地事情を取材している。このとき、イスラム国側は日本に対して欧米諸国とは別扱いの寛容な態度を示していて、中田・常岡チームの9月の実績を見た外務省は、後藤健二のミッションについてリスクゼロだとすっかり楽観視していたのだろう。中田・常岡チームの待遇と同じ対応を予想していたのだ。9月の時点で、イスラム国側は、明らかに湯川遥菜釈放のサインを日本側に送っている。無罪釈放という結論ありきでなければ、無前提にわざわざ中田考を現地に呼んだりしない。
中田考がイスラム国に依頼されたのは、湯川遥菜の裁判の通訳だったが、中田考ほどの著名なイスラム法学者を日本から招待した後で、それを無意味化する有罪処刑の決定を出すとは考えられない。中田考の招待はイスラム国側のプロパガンダ戦略の一貫で、つまり政治ショーで、無罪釈放を中田考の手柄として土産に持たせ、常岡浩介にラッカの「平穏な様子」を撮らせ、日本には欧米諸国とは違う寛大な措置で対処したという宣伝効果が思惑されている。このとき、中田考は言わばイスラム国の日本大使だった。空爆激化のアクシデントがなければ、中田考による湯川遥菜救出は成功していただろう。と同時に、日本では中田考への評価が高まり、中田考が説くイスラム国寄りの思想が世間に影響力を与えていた点は疑いない。そこに待ったをかけたのが公安外事と外務省で、中田考とイスラム国の交渉ルートを断ち、独自のミッションで救出事業を引き継ぐことになる。外務省からすれば、イスラム国が湯川遥菜を釈放することは想定の範囲で、計画に迷いはなく、事前のイスラム国側とのコンタクトと調整も万全と確信できるものだったのだろう。まさか、イスラム国が約束を裏切る形で後藤健二の拘束に出るとは、政府(官僚)は夢にも思っていなかったはずだ。私は、後藤健二の素顔についてイスラム国の独自調査で疑惑が浮上したため、このハプニングが起こったと考える。
調査で濃厚となった疑惑とは、湯川遥菜を拷問して得た自白であり、後藤健二との関係の真相である。そこには、外務省側が事前に連絡していた(普通のジャーナリストという)情報とはあまりに不審な乖離があり、イスラム国側は後藤健二を尋問する算段となり、その結果、正体が露見して拘束という結果になったと考えられる。11月、イスラム国が湯川遥菜の釈放を方針転換し、二人を人質にして身代金を取る戦術に旋回した。その方針が、11月中のメール交信の中でさらに変わり、12月には、二人とも処刑という裁断になった。日本政府が身代金要求に応じなかったからだ。イスラム国側は、まさか日本政府が身代金を拒否するとは思わなかったのだろう。フランスも、スペインも、スウェーデンも身代金を払っている。イスラム国側の想定に、人命重視の日本が身代金を払わないというシナリオはなかった。イスラム国が事件後の2/12に出した声明にある、「傲慢な日本政府に恥をかかせるのが目的だった」という表現は、簡単に成功すると踏んで身代金略取が失敗した彼らの本音が透けて見える。このように、私は、湯川遥菜の自白で二人のCIAとの関係が発覚し、イスラム国側の態度が急変したと推察するが、もう一つの可能性としては、外務省のミッションを失敗させたい米国(CIA)が、途中からミッションの妨害に回り、イスラム国側に通報して後藤健二を捕縛させたという筋書きも考えられる。が、ここまで考えるのは、少し陰謀論的な性格(無理な深読み)が漂わないでもない。
いずれにしても、米国側が、イスラム国と日本との間に外交チャネルが確立することを恐れ、その遮断と隔絶に動いていたことは十分考えられる。
PR
コメント