貧困者支援活動に携わってきた稲葉剛氏へのインタビューの一部である。
まあ、この問題に関心のある人にとっては常識的な話が多いと思うが、今や政府による国民支援の問題は喫緊の問題だから、その「政府姿勢」はどうなのか、と一般の人も改めて確認する必要もあるのではないか。
(以下引用)
――生活保護などの制度の利用を促すか否かで国ごとの違いがあるわけですね。さっき生活保護の「捕捉率」という話がありました。どういうものか簡単に説明いただけますか。
諸外国にも日本の生活保護と同様の公的扶助制度があります。生活に困った人がほかの制度を使ってもどうにもならないときに使える「最後のセーフティネット」と言われるものなんですが、日本の場合はその捕捉率が非常に低い。
捕捉率というのは、制度を利用できる資格を持っている人のうち実際どれだけの人が使えているかを表すもので、まあカバー率ということですね。日本の場合は、そもそも政府がきちんと統計を取っていないという問題もあるんですけど、大体2割から3割だという風に推計されています。
単純に言えば経済的に困ってる人が10人いてもそのうち、2人か3人しかセーフティネットで捕捉されていない。10人中、7人か8人はセーフティネットが張ってあるのにその下にこぼれ落ちてしまうという状況です。
――形式としては生活保護という制度があってもそれを自分が使えるということすら全然知らない人も…。
知らされていない。広報されていない。あとは窓口に言ってもちゃんと対応してくれない。
そしてご本人、生活に困っている方ご自身の中にも、「スティグマ」と言いますが、制度を利用することに対して後ろめたいとか恥ずかしいという気持ちがあって、これはほかの国の社会に比べても日本はとても強いと思います。そのあたりが制度の利用を妨げているという形ですね。
「真に困っている人」しか助けたくない
――今回の現金給付についても、収入が半減したとか、自己申告であるとか、実際の給付対象が少なくなる仕組みが色々と入っていますよね。収入半減などを証明する書類の準備も利用の妨げになりそうです。
そうですね。現金給付については言いたいことがたくさんあるんですが(笑)。
社会福祉の専門用語で「選別主義」と「普遍主義」というのがありますけれども、日本の場合は選別主義ですね。要するに「真に困っている人」たちを選別するっていう考え方が非常に強い。
生活保護など従来の制度についてもそうした発想にもとづいて作られてきていて、今回もやはりそれが現金給付の問題で貫かれてしまったということだと思います。
普遍主義というのは要するに全ての人に保障をするということで、特に今回のように広範な人たちの収入が減少して生活に困っているというときには、まずは一律に給付すべきです。
安倍さんが自分たちのような国会議員にも給付するのはおかしいじゃないかとか言ってましたけど、高額所得者にはあとで累進課税を強化したりしてその分税金を取ればいい。でもそういう発想は絶対しないわけですよね。
生活保護でも公営住宅でもずっとそうなんですが、政府は「真に困っている人」という言葉がすごく好きなんです。「本当に困っている人」だけを救済するんだと。
これはまあ裏を返せば、生活保護では例えば以前小田原市の「保護なめんなジャンパー問題」というのがありましたけど、あれに象徴されるように、不正受給や不適切に見える受給を絶対許さないということですね。
法律的には不正じゃなくても、ズルをしているように見える人は許さない。そういうメンタリティが国レベルでも自治体レベルでも浸透している。市民社会のレベルでも残念ながら浸透してしまっていて。
そうすると、その制度を利用しようと思って申請する人の方が、自分が「真に困窮している」、「真に困っている」ということを証明しないといけない。
今回の現金給付の場合でも「本当に収入が減少したのか」を書面で証明するという非常に面倒くさい手続きをこの大変な最中に窓口に行ってしないといけないということになっているわけです。
まあ、この問題に関心のある人にとっては常識的な話が多いと思うが、今や政府による国民支援の問題は喫緊の問題だから、その「政府姿勢」はどうなのか、と一般の人も改めて確認する必要もあるのではないか。
(以下引用)
――生活保護などの制度の利用を促すか否かで国ごとの違いがあるわけですね。さっき生活保護の「捕捉率」という話がありました。どういうものか簡単に説明いただけますか。
諸外国にも日本の生活保護と同様の公的扶助制度があります。生活に困った人がほかの制度を使ってもどうにもならないときに使える「最後のセーフティネット」と言われるものなんですが、日本の場合はその捕捉率が非常に低い。
捕捉率というのは、制度を利用できる資格を持っている人のうち実際どれだけの人が使えているかを表すもので、まあカバー率ということですね。日本の場合は、そもそも政府がきちんと統計を取っていないという問題もあるんですけど、大体2割から3割だという風に推計されています。
単純に言えば経済的に困ってる人が10人いてもそのうち、2人か3人しかセーフティネットで捕捉されていない。10人中、7人か8人はセーフティネットが張ってあるのにその下にこぼれ落ちてしまうという状況です。
――形式としては生活保護という制度があってもそれを自分が使えるということすら全然知らない人も…。
知らされていない。広報されていない。あとは窓口に言ってもちゃんと対応してくれない。
そしてご本人、生活に困っている方ご自身の中にも、「スティグマ」と言いますが、制度を利用することに対して後ろめたいとか恥ずかしいという気持ちがあって、これはほかの国の社会に比べても日本はとても強いと思います。そのあたりが制度の利用を妨げているという形ですね。
「真に困っている人」しか助けたくない
――今回の現金給付についても、収入が半減したとか、自己申告であるとか、実際の給付対象が少なくなる仕組みが色々と入っていますよね。収入半減などを証明する書類の準備も利用の妨げになりそうです。
そうですね。現金給付については言いたいことがたくさんあるんですが(笑)。
社会福祉の専門用語で「選別主義」と「普遍主義」というのがありますけれども、日本の場合は選別主義ですね。要するに「真に困っている人」たちを選別するっていう考え方が非常に強い。
生活保護など従来の制度についてもそうした発想にもとづいて作られてきていて、今回もやはりそれが現金給付の問題で貫かれてしまったということだと思います。
普遍主義というのは要するに全ての人に保障をするということで、特に今回のように広範な人たちの収入が減少して生活に困っているというときには、まずは一律に給付すべきです。
安倍さんが自分たちのような国会議員にも給付するのはおかしいじゃないかとか言ってましたけど、高額所得者にはあとで累進課税を強化したりしてその分税金を取ればいい。でもそういう発想は絶対しないわけですよね。
生活保護でも公営住宅でもずっとそうなんですが、政府は「真に困っている人」という言葉がすごく好きなんです。「本当に困っている人」だけを救済するんだと。
これはまあ裏を返せば、生活保護では例えば以前小田原市の「保護なめんなジャンパー問題」というのがありましたけど、あれに象徴されるように、不正受給や不適切に見える受給を絶対許さないということですね。
法律的には不正じゃなくても、ズルをしているように見える人は許さない。そういうメンタリティが国レベルでも自治体レベルでも浸透している。市民社会のレベルでも残念ながら浸透してしまっていて。
そうすると、その制度を利用しようと思って申請する人の方が、自分が「真に困窮している」、「真に困っている」ということを証明しないといけない。
今回の現金給付の場合でも「本当に収入が減少したのか」を書面で証明するという非常に面倒くさい手続きをこの大変な最中に窓口に行ってしないといけないということになっているわけです。
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