私立高校無償化とは、要するに「(超バカ高校も含めた)私立高校の公立化」である。その結果は現在の公立高校が下記記事のように定員割れになる。喜ぶのは私立高校経営者だけだろう。
もちろん、定員割れになる公立高校は存在価値が無いという見方もできるわけで、それが「資本の論理」「新自由主義の論理」である。
さて、その結果は、親が子供を高校に進ませるのも馬鹿馬鹿しい、と考えるか、難関大学進学だけに教育内容を特化した超受験校だけが生き残るという二極化だろうか。
中卒でユーチューバーを目指す馬鹿も増えそうである。いや、馬鹿のほうが人気が出やすいかもしれない。念のために言えば、中卒=馬鹿だと言っているわけではない。単に、無教養な人間の大量生産を心配しているだけである。知識だけはある高学歴馬鹿もたくさんいるが、文化への敬意と親近感がある者のほうが馬鹿の比率は少ないだろう。ヤンキー的な人間、つまり反社会的かつ品性欠如人間(「市民(公民)」資格の無い人間)の大量生産を憂えているだけだ。
まあ、現在の小中高大学の学制がもはや無意味化していることも確かだろう。そしてその原因が「大学受験だけを目的とした」高校中学の教育内容にある、とは私が何度も書いていることだ。とすると、公費で経営が楽になった私立高校(特に底辺高校)経営者は、その教育内容を大きく変えて「社会人育成教育」にしたらどうか。(某ドラマや某漫画のように底辺高校が難関大学進学を看板にするのはお勧めしない。あれはファンタジーである。)
つまり、即座に社会人として戦力になれ、しかも余暇や娯楽性もたっぷりあるという学校である。たとえば「コミュニケーション能力」の授業とか、「嘘と演技」の授業とか「社畜心得」とか「歌と踊り」とか「論破術」とか「SNS駆使術」とか「詐欺(商法)対策」とかwww 今のように数学とか理科とかの授業よりは社会に出てはるかに貴重な能力だろう。仲間とカラオケに行った時に歌が歌えるだけでも立派な能力だ。社会科や国語は基礎教養なので、削らないほうがいい。だが、物理や高等数学の知識など、一般人はたぶん一生使わない。医学部志望者などだけが授業を受ければいい。その医者という職業も今後はメリットは少なくなると予想される。まあ、「詐欺対策」が「詐欺師育成」の授業でもあるとは言えるだろうが、詐欺師の生涯コスパの悪さも教えればいいwww 生徒は無垢な善良さを少し失うかもしれないが詐欺師のカモも減るだろう。
(以下引用)
もちろん、定員割れになる公立高校は存在価値が無いという見方もできるわけで、それが「資本の論理」「新自由主義の論理」である。
さて、その結果は、親が子供を高校に進ませるのも馬鹿馬鹿しい、と考えるか、難関大学進学だけに教育内容を特化した超受験校だけが生き残るという二極化だろうか。
中卒でユーチューバーを目指す馬鹿も増えそうである。いや、馬鹿のほうが人気が出やすいかもしれない。念のために言えば、中卒=馬鹿だと言っているわけではない。単に、無教養な人間の大量生産を心配しているだけである。知識だけはある高学歴馬鹿もたくさんいるが、文化への敬意と親近感がある者のほうが馬鹿の比率は少ないだろう。ヤンキー的な人間、つまり反社会的かつ品性欠如人間(「市民(公民)」資格の無い人間)の大量生産を憂えているだけだ。
まあ、現在の小中高大学の学制がもはや無意味化していることも確かだろう。そしてその原因が「大学受験だけを目的とした」高校中学の教育内容にある、とは私が何度も書いていることだ。とすると、公費で経営が楽になった私立高校(特に底辺高校)経営者は、その教育内容を大きく変えて「社会人育成教育」にしたらどうか。(某ドラマや某漫画のように底辺高校が難関大学進学を看板にするのはお勧めしない。あれはファンタジーである。)
つまり、即座に社会人として戦力になれ、しかも余暇や娯楽性もたっぷりあるという学校である。たとえば「コミュニケーション能力」の授業とか、「嘘と演技」の授業とか「社畜心得」とか「歌と踊り」とか「論破術」とか「SNS駆使術」とか「詐欺(商法)対策」とかwww 今のように数学とか理科とかの授業よりは社会に出てはるかに貴重な能力だろう。仲間とカラオケに行った時に歌が歌えるだけでも立派な能力だ。社会科や国語は基礎教養なので、削らないほうがいい。だが、物理や高等数学の知識など、一般人はたぶん一生使わない。医学部志望者などだけが授業を受ければいい。その医者という職業も今後はメリットは少なくなると予想される。まあ、「詐欺対策」が「詐欺師育成」の授業でもあるとは言えるだろうが、詐欺師の生涯コスパの悪さも教えればいいwww 生徒は無垢な善良さを少し失うかもしれないが詐欺師のカモも減るだろう。
(以下引用)
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