藤永茂博士の「私の闇の奥」から転載。
アメリカは現在「シェールガス革命」でアメリカが世界一の産油国になると騒いでいるが、シェールガスやシェールオイルが有害無益なものであることは、そもそもの最初から私は自分のブログで指摘している。
第一に、産出手段から見て、コスト的に採算が取れるはずはない。
第二に、この産出手段からは大規模かつ悪質な環境破壊が必然的に起こる。
具体的な産出手段は下記記事を見れば分かるが、私も以前に書いてあるはずだ。
コストが合うからこそ、アメリカは「シェールガス革命」を喧伝しているのだろう、と言われるかもしれないが、そこには詐欺がある、と私は見ている。かりに採算が合うにしても、利益は僅少なものだろうし、本当は、今は採算割れで売っているのではないか。
私の予想では、アメリカ(カナダ)産オイル購入の契約を結んだ後で、値段がどんどん吊り上げられていく可能性が高い。それに不満を言って契約解除しようとしたら、そこでTPPのISD条項の出番となるわけだ。つまり、アメリカが操る謎の裁定組織によって、アメリカ企業有利の裁定が下されるということである。ISD条項の対象はべつに政府だけではなく、アメリカの餌となるすべての会社や組織になる、と私は予想している。
要するに、最初は製造原価以下の出血価格で売って販売シェアを広げ、ほぼ独占状態になったら値段の吊り上げにかかるという、資本主義社会ではお馴染みの「経済的帝国主義」戦略である。(石油の場合は、その前段階として中東石油産出国家をすべて白人支配下に置き、石油輸入国がシェールガス(オイル)からアラブの石油に逃げられないような布石も打ってある。いや、打ちつつある。)
アメリカの鉄道と自動車の関係が「経済的帝国主義戦略」の好例である。自動車を普及させるために、石油会社と自動車会社(要するに共犯関係業種だ)が鉄道会社を買収しては潰し、気が付くと米国民には自動車以外の選択肢は残っていなかったわけだ。あんな広大な国を移動・輸送する手段として、鉄道の方が自動車より理にかなっていることは言うまでもないだろう。自動車の利便性はただドアからドアへという小回りの良さだけである。あんな小さな空間で何が運べるものか。鉄道が無いから、大量の荷物を運ぶとなれば、排気ガスを撒き散らしながらトラックが列をなして走るしかないのである。それでいて地球温暖化防止のための二酸化炭素規制などと、茶番もいいところだ。
結局は、すべて、巨大資本という魔物に支配された資本主義がいかに狂気の世界になるか、ということである。
カナダエスキモー(これは差別語だと言われているようだが、どう言えばいいのか私は知らない。)の間に「水俣病」類似の公害病が広がるだけでなく、カナダやアメリカの森林や湿原、湖沼が汚染され、北米大陸全体の自然が死に絶える日も遠くはない。もっとも、その前に「シェールガス革命は間違いでした。テヘ」と米政府がぬけぬけと公表することになるとは思う。もちろん、シェールガス詐欺で十分に稼いだ後の話である。
(注)記事題名の「idle no more」はカナダの原住民運動のようである。「もはや座視してはいられない」と藤永氏は訳しているが、より直訳的に言えば「怠惰さから立ち上がれ」くらいの訳になるか。我々も一人ひとりが自分の怠惰さから立ち上がることが、この金権主義と拝金主義の悪と狂気に支配された世界を変える第一歩となるだろう。
(以下引用)
2013/02/09
Idle No More (6)
北米では“倫理にかなう石油(Ethical Oil)”という奇妙な言葉が流れています。Ezra Levant という人の書いた『Ethical Oil: The Case for Canada’s Oil Sands. (倫理にかなう石油:カナダのオイルサンドの言い分)』というベストセラー本がその源で、民主主義と人権擁護の大帝国アメリカに楯突く悪いテロリストたちを生み続けているアラブの国々や反米独裁国家ベネズエラの産出する“汚れた”石油の代わりに、平和主義と人権尊重のほまれ高きカナダが産出する“倫理にかなう”オイルサンド石油を、アメリカや世界の皆さん、どしどし買っておくれ、というのがこの本の声高に唱えるところです。
石油が汚いか汚くないかの判断が、それを産出する国の倫理性、道徳性によって判断されるとして、アメリカのいう事を聞く国は倫理性がOKであり、アメリカの言いなりにならない国はダメというのであれば、あまりに馬鹿馬鹿しくて論じる気にもなりません。しかし、カナダのオイルサンド(タールサンド)をエシカル・オイルと呼ぶことの欺瞞性の全体をこのまま放置するわけには参りません。ベネズエラのタールサンドは地底でやや流動性があるようで、その分少しはましかも知れませんが、カナダのアルバータ州北部のタールサンドから原油(crude oil)を洗い出すには、前回に説明を掲げたように、露天掘りにしろ、地下で液化をするにしろ、大量の水と燃費が必要であり、原油を取り出した後に、その残渣を含んだ原油の量の数倍の有毒性(水銀や鉛やベンゼンを含む)の廃棄水が残ります。現在アルバータ州北部にはタールサンド採油が十カ所ほどで進行していて、その数はやがて50にも達すると予想されていますが、一つの採油地で排出される典型的な汚濁廃棄水の量は一日当り25万トンで、広大な、いわゆる、tailings ponds(尾鉱池、選鉱廃水ため池)がいくつも出来ています。ポンド(池、溜め池)と言うよりも湖と呼ぶべき大きさです。
カナダにはカナダ・ロッキー山脈(バンフ・ジャスパー)国立公園という素晴らしい国立公園があります。その中にコロンビア・アイスフィールドという特に人気の高いスポットがあり、美しく雄大な氷河の眺めに接することが出来ます。この氷原からアサバスカ川が発します。まずジャスパー公園の中を北に流れ、やがて東に向きを変えてアルバータ州北部を切り、隣州サスカチュワンにまたがるアサバスカ湖に入ります。アサバスカ湖は面積、水量ともに琵琶湖の約10倍、その南東のアサバスカ地域には現在世界最大の生産量のウラン鉱山地帯があり、金やその他の鉱物にも富んでいます。今ここで問題にしているアルバータ州北部のタールサンドは、世界第二の石油埋蔵量とみなされていて、それはアサバスカ川の中流地帯に分布しています。近年の石油価格の漸騰にともなって、タールサンドからの原油生産の採算性が改善され、ハーパー政府の下で“倫理にかなう石油”という偽称の蓑に隠れて爆発的に生産量が拡大されようとしているわけです。カナダの広大な北辺は森林(boreal forests)、湿原、大小無数の淡水湖と河川で覆われていて貴重なCO2吸収地帯を形成していますが、また多数の原住民部族が暮らしている生活地帯でもあります。それがタールサンドの露天掘りやテイリングス・ポンドの止まる所を知らない拡大によって、無惨に破壊されつつあるのです。しかも産業労働力は殆ど外部から運び込まれて、原住民の大部分は何らの恩恵を受けることもなく、カナダの最低貧困層に属する生活をしています。彼らの主な食糧は野生の動物や淡水魚類であり、これらの蛋白質源は水銀,鉛、ベンゼンなどを含む有毒産業廃棄物にしたたかに汚染されて、原住民の健康の重大な脅威になっています。原住民の生活基盤を脅かし、確実に破壊しているのは、これだけではありません。タールサンド原油をカナダとアメリカ、さらには日本や中国に送る為の数本の長距離石油パイプラインがアルバータ州北部から発して、原住民の生活空間を容赦なく分断し、東へ、西へ、そして南へと設置され、拡充されようとしています。既設部分で深刻な漏洩事故が既に発生していますし、原住民たちが暴力行使すれすれの反対運動を開始していることに何の不思議もありません。アタワピスカト部族の酋長テレサ・スペンスという女性がハンガー・ストライキを敢行した背景にはこうした北米原住民に対するカナダのハーパー政府、アメリカのオバマ政府の言語道断な人権蹂躙の大きな絵図があるのです。
アルバータ州北部が産出する原油は成分的に“ダーティエスト・オイル”と呼ばれています。ハーパー政府はこれを“エシカル・オイル(倫理にかなう石油)”として喧伝していますが、原住民に対する残酷な仕打ちと極めて悪性の環境破壊を考えると、これは将に“最も汚れた石油”の名に値します。テレサ・スペンスがその目立った象徴となったINM(アイドル・ノー・モア)運動が執拗に抗議している法律C-45はカナダが国家としてカナダの原住民(彼らはFirst Nationsと自分たちを称します)に約束保証した幾多の事柄(条約)の殆どすべてを無効化し、また環境保護関係の既存法律を骨抜きにする内容のもので、簡単に言えば、カナダ北辺の膨大豊富な地下資源(タールサンド石油、ウラン、金、銅、ダイヤモンド、などなど)を自由に発掘、開発、輸送,販売することを可能にする為の法律です。この悪法が実施されれば、カナダの北辺には多数のミナマタが出現するに違いありません。
この数年アフリカを見続けている私の目には、カナダの「はじめの国々(ファースト・ネイションズ)」の国土である北辺の大地が、無惨に植民地化されたままの現在のアフリカそっくりに見えて来ました。アメリカ合州国の隣国としてのカナダに私はかれこれ40年近くも住み、日本に帰って来た今も形式的にはカナダ市民のままですが、この度のINM(アイドル・ノー・モア)運動に直面するまでは、カナダはアメリカよりずっとましな国だと思い続けて来ました。しかし今回のことで、両国は本質的には何も相違がないことを覚りました。いささか扇情的な言葉を使えば、我々は、第三世界の人々の生き血を吸って繁栄を続け、comfortableに生きて来たのです。(このシリーズは次回で終ります。)
藤永 茂 (2013年2月9日)
アメリカは現在「シェールガス革命」でアメリカが世界一の産油国になると騒いでいるが、シェールガスやシェールオイルが有害無益なものであることは、そもそもの最初から私は自分のブログで指摘している。
第一に、産出手段から見て、コスト的に採算が取れるはずはない。
第二に、この産出手段からは大規模かつ悪質な環境破壊が必然的に起こる。
具体的な産出手段は下記記事を見れば分かるが、私も以前に書いてあるはずだ。
コストが合うからこそ、アメリカは「シェールガス革命」を喧伝しているのだろう、と言われるかもしれないが、そこには詐欺がある、と私は見ている。かりに採算が合うにしても、利益は僅少なものだろうし、本当は、今は採算割れで売っているのではないか。
私の予想では、アメリカ(カナダ)産オイル購入の契約を結んだ後で、値段がどんどん吊り上げられていく可能性が高い。それに不満を言って契約解除しようとしたら、そこでTPPのISD条項の出番となるわけだ。つまり、アメリカが操る謎の裁定組織によって、アメリカ企業有利の裁定が下されるということである。ISD条項の対象はべつに政府だけではなく、アメリカの餌となるすべての会社や組織になる、と私は予想している。
要するに、最初は製造原価以下の出血価格で売って販売シェアを広げ、ほぼ独占状態になったら値段の吊り上げにかかるという、資本主義社会ではお馴染みの「経済的帝国主義」戦略である。(石油の場合は、その前段階として中東石油産出国家をすべて白人支配下に置き、石油輸入国がシェールガス(オイル)からアラブの石油に逃げられないような布石も打ってある。いや、打ちつつある。)
アメリカの鉄道と自動車の関係が「経済的帝国主義戦略」の好例である。自動車を普及させるために、石油会社と自動車会社(要するに共犯関係業種だ)が鉄道会社を買収しては潰し、気が付くと米国民には自動車以外の選択肢は残っていなかったわけだ。あんな広大な国を移動・輸送する手段として、鉄道の方が自動車より理にかなっていることは言うまでもないだろう。自動車の利便性はただドアからドアへという小回りの良さだけである。あんな小さな空間で何が運べるものか。鉄道が無いから、大量の荷物を運ぶとなれば、排気ガスを撒き散らしながらトラックが列をなして走るしかないのである。それでいて地球温暖化防止のための二酸化炭素規制などと、茶番もいいところだ。
結局は、すべて、巨大資本という魔物に支配された資本主義がいかに狂気の世界になるか、ということである。
カナダエスキモー(これは差別語だと言われているようだが、どう言えばいいのか私は知らない。)の間に「水俣病」類似の公害病が広がるだけでなく、カナダやアメリカの森林や湿原、湖沼が汚染され、北米大陸全体の自然が死に絶える日も遠くはない。もっとも、その前に「シェールガス革命は間違いでした。テヘ」と米政府がぬけぬけと公表することになるとは思う。もちろん、シェールガス詐欺で十分に稼いだ後の話である。
(注)記事題名の「idle no more」はカナダの原住民運動のようである。「もはや座視してはいられない」と藤永氏は訳しているが、より直訳的に言えば「怠惰さから立ち上がれ」くらいの訳になるか。我々も一人ひとりが自分の怠惰さから立ち上がることが、この金権主義と拝金主義の悪と狂気に支配された世界を変える第一歩となるだろう。
(以下引用)
2013/02/09
Idle No More (6)
北米では“倫理にかなう石油(Ethical Oil)”という奇妙な言葉が流れています。Ezra Levant という人の書いた『Ethical Oil: The Case for Canada’s Oil Sands. (倫理にかなう石油:カナダのオイルサンドの言い分)』というベストセラー本がその源で、民主主義と人権擁護の大帝国アメリカに楯突く悪いテロリストたちを生み続けているアラブの国々や反米独裁国家ベネズエラの産出する“汚れた”石油の代わりに、平和主義と人権尊重のほまれ高きカナダが産出する“倫理にかなう”オイルサンド石油を、アメリカや世界の皆さん、どしどし買っておくれ、というのがこの本の声高に唱えるところです。
石油が汚いか汚くないかの判断が、それを産出する国の倫理性、道徳性によって判断されるとして、アメリカのいう事を聞く国は倫理性がOKであり、アメリカの言いなりにならない国はダメというのであれば、あまりに馬鹿馬鹿しくて論じる気にもなりません。しかし、カナダのオイルサンド(タールサンド)をエシカル・オイルと呼ぶことの欺瞞性の全体をこのまま放置するわけには参りません。ベネズエラのタールサンドは地底でやや流動性があるようで、その分少しはましかも知れませんが、カナダのアルバータ州北部のタールサンドから原油(crude oil)を洗い出すには、前回に説明を掲げたように、露天掘りにしろ、地下で液化をするにしろ、大量の水と燃費が必要であり、原油を取り出した後に、その残渣を含んだ原油の量の数倍の有毒性(水銀や鉛やベンゼンを含む)の廃棄水が残ります。現在アルバータ州北部にはタールサンド採油が十カ所ほどで進行していて、その数はやがて50にも達すると予想されていますが、一つの採油地で排出される典型的な汚濁廃棄水の量は一日当り25万トンで、広大な、いわゆる、tailings ponds(尾鉱池、選鉱廃水ため池)がいくつも出来ています。ポンド(池、溜め池)と言うよりも湖と呼ぶべき大きさです。
カナダにはカナダ・ロッキー山脈(バンフ・ジャスパー)国立公園という素晴らしい国立公園があります。その中にコロンビア・アイスフィールドという特に人気の高いスポットがあり、美しく雄大な氷河の眺めに接することが出来ます。この氷原からアサバスカ川が発します。まずジャスパー公園の中を北に流れ、やがて東に向きを変えてアルバータ州北部を切り、隣州サスカチュワンにまたがるアサバスカ湖に入ります。アサバスカ湖は面積、水量ともに琵琶湖の約10倍、その南東のアサバスカ地域には現在世界最大の生産量のウラン鉱山地帯があり、金やその他の鉱物にも富んでいます。今ここで問題にしているアルバータ州北部のタールサンドは、世界第二の石油埋蔵量とみなされていて、それはアサバスカ川の中流地帯に分布しています。近年の石油価格の漸騰にともなって、タールサンドからの原油生産の採算性が改善され、ハーパー政府の下で“倫理にかなう石油”という偽称の蓑に隠れて爆発的に生産量が拡大されようとしているわけです。カナダの広大な北辺は森林(boreal forests)、湿原、大小無数の淡水湖と河川で覆われていて貴重なCO2吸収地帯を形成していますが、また多数の原住民部族が暮らしている生活地帯でもあります。それがタールサンドの露天掘りやテイリングス・ポンドの止まる所を知らない拡大によって、無惨に破壊されつつあるのです。しかも産業労働力は殆ど外部から運び込まれて、原住民の大部分は何らの恩恵を受けることもなく、カナダの最低貧困層に属する生活をしています。彼らの主な食糧は野生の動物や淡水魚類であり、これらの蛋白質源は水銀,鉛、ベンゼンなどを含む有毒産業廃棄物にしたたかに汚染されて、原住民の健康の重大な脅威になっています。原住民の生活基盤を脅かし、確実に破壊しているのは、これだけではありません。タールサンド原油をカナダとアメリカ、さらには日本や中国に送る為の数本の長距離石油パイプラインがアルバータ州北部から発して、原住民の生活空間を容赦なく分断し、東へ、西へ、そして南へと設置され、拡充されようとしています。既設部分で深刻な漏洩事故が既に発生していますし、原住民たちが暴力行使すれすれの反対運動を開始していることに何の不思議もありません。アタワピスカト部族の酋長テレサ・スペンスという女性がハンガー・ストライキを敢行した背景にはこうした北米原住民に対するカナダのハーパー政府、アメリカのオバマ政府の言語道断な人権蹂躙の大きな絵図があるのです。
アルバータ州北部が産出する原油は成分的に“ダーティエスト・オイル”と呼ばれています。ハーパー政府はこれを“エシカル・オイル(倫理にかなう石油)”として喧伝していますが、原住民に対する残酷な仕打ちと極めて悪性の環境破壊を考えると、これは将に“最も汚れた石油”の名に値します。テレサ・スペンスがその目立った象徴となったINM(アイドル・ノー・モア)運動が執拗に抗議している法律C-45はカナダが国家としてカナダの原住民(彼らはFirst Nationsと自分たちを称します)に約束保証した幾多の事柄(条約)の殆どすべてを無効化し、また環境保護関係の既存法律を骨抜きにする内容のもので、簡単に言えば、カナダ北辺の膨大豊富な地下資源(タールサンド石油、ウラン、金、銅、ダイヤモンド、などなど)を自由に発掘、開発、輸送,販売することを可能にする為の法律です。この悪法が実施されれば、カナダの北辺には多数のミナマタが出現するに違いありません。
この数年アフリカを見続けている私の目には、カナダの「はじめの国々(ファースト・ネイションズ)」の国土である北辺の大地が、無惨に植民地化されたままの現在のアフリカそっくりに見えて来ました。アメリカ合州国の隣国としてのカナダに私はかれこれ40年近くも住み、日本に帰って来た今も形式的にはカナダ市民のままですが、この度のINM(アイドル・ノー・モア)運動に直面するまでは、カナダはアメリカよりずっとましな国だと思い続けて来ました。しかし今回のことで、両国は本質的には何も相違がないことを覚りました。いささか扇情的な言葉を使えば、我々は、第三世界の人々の生き血を吸って繁栄を続け、comfortableに生きて来たのです。(このシリーズは次回で終ります。)
藤永 茂 (2013年2月9日)
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