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「内田樹の研究室」の最新記事で、まあ、皮肉な書き方だが、言っていることは正しいし、維新の大阪での素晴らしい「実績」wwwが列挙されているのは資料的に価値がある。
つまり、これが「大阪的」民主主義だというわけだが、神戸は別だ、とは言えないだろう。維新勢力は近畿圏に広がりつつあると思うのだが。そして、小池都知事を選んだ東京都民などに言える言葉でもない。で、こういうのを「ポピュリズム」(大衆迎合主義)だとするのは言葉の使い方として正しいだろうか。
維新の数々の失政を失政だと認識していないのは、大阪の人間が馬鹿なためか、大阪のテレビや新聞が彼らを騙しているのか。おそらく後者だろう。つまり、維新は大衆に迎合しているのではなく、マスコミを利用して大衆を引きずり回しているのである。マスコミ人である内田は、それを批判できないのではないか。
トックヴィルの言葉も、「政治家が選挙民の意志を体現するかぎり」という前提の上での話であり、それをポピュリズム批判の材料とするのは欺瞞だろう。そもそも、自分の教える大学の女子学生の12人中10人が橋下に投票する「理由」が、本当に
なるほど。自分たちの代表としては自分たちより知性徳性において卓越した人ではなく、「自分たちと同程度の人間」がふさわしいと彼女たちは考えていたのだ。
と断定していいものなのか、その「コメント」にはかなりな省略があったのではないか。その省略された部分にこそ、橋下が大阪で支持された理由があったのではないか。たとえば、民間人の公務員憎悪の感情など、橋下が見事に利用したものである。でなければ、内田氏は、自分の教える女子学生たちがただの馬鹿の集団だと見做していることになるのではないか。
まあ、「民主主義」とは本質的に「ポピュリズム」なのであり、それはしばしば操作される。で、問題は、大阪での維新の支持の広がりは、何が本当の原因なのかだ。そして、それは有害だと私は思うが、大阪府民や大阪市民にとっては、「維新=自分たちの代弁者」という「自己投影」があるのではないか。それを他府県民が批判するのは、彼らには「大きなお世話」なのだろう。要するに、彼らが地方政党である限りは「勝手にやれ」である。だが、他府県民が維新を支持するなら、それこそ全日本的な災厄になるだろう。
(以下引用)「維新的民主主義」
ある新聞にときどき寄稿しているコラムの今月号にこんなことを書いた。
ある雑誌から「大阪でどうして維新はあれほど支持されているのでしょうか」という取材を受けた。同じ問いは10年以上前から繰り返し受けている。そのつど返答に窮する。維新は地方自治では失政が続いているし、党員の不祥事も止まらないのに選挙では圧勝するからである。
コロナ禍で大阪府は死者数ワースト1だった。看板政策の大阪都構想は二度否決された。全長2キロ「道頓堀プール」で世界遠泳大会を開催した場合の経済波及効果は「東京五輪を超える」と堺屋太一氏は豪語した。でも、資金が集まらず最後は80メートルにまで縮小されたがそれもかなわずに放棄された。学校と病院の統廃合が進み、公立学校と医療機関は今も減り続けている。管理強化の結果、教員志望者が激減して、学級の維持さえ難しくなっている。市営バスの運転手の給与カットは橋下市長が最初に行った「公務員バッシング」だったが、運転手が不足し、バスの減便・廃線が起きている。来年の大阪・関西万博もおそらく歴史的失敗に終わり、重い財政負荷を住民に残すことになるだろう。
どの施策を見ても、市民府民にとっては行政サービスの劣化をもたらすものばかりである。にもかかわらず大阪の有権者たちは維新に圧倒的な支持を与え続けている。なぜなのだろう。
もう17年前になるが、橋下徹氏が大阪府知事に立候補した時に、神戸女学院大学のゼミの学生たちに「彼に投票するかどうか」訊いたことがある。12人中10人が「投票する」と答えた。理由を尋訊ねたら「すぐに感情的になる」「言うことが非論理的」「隣のお兄ちゃんみたいで親しみが持てる」という答えだった。
なるほど。自分たちの代表としては自分たちより知性徳性において卓越した人ではなく、「自分たちと同程度の人間」がふさわしいと彼女たちは考えていたのだ。確かに民主主義の妙諦はそこにある。
アレクシス・ド・トクヴィルは『アメリカの民主主義』の中で、アンドリュー・ジャクソン大統領について「その性格は粗暴で、能力は中程度、彼の全経歴には、自由な人民を治めるために必要な資質を証明するものは何もない」というにべもない人物評を記している。だが、そのジャクソン将軍をアメリカ人は二度大統領に選んだ。
「民衆はしばしば権力を託する人間の選択を誤る」とトクヴィルは書く。でも、それでいいのだ、と続ける。重要なのは、支配者と被支配者の利害が相反しないことだからだ。「もし民衆と利害が相反したら、支配者の徳はほとんどの用がなく、才能は有害になろう。」
卓越した政治的能力を持ち、有徳な統治者は、民衆の意に反しても「自分が正しいと信じたこと」を断行することができる。実際にその能力を行使するかも知れない。それよりは徳性才能において民衆と同レベル程度の人間を統治者に選ぶ方が安全だ。彼らは有権者の意に反して「自分が正しいと信じたこと」を断行することはしないはずである。逆に、「こんなことをしてもろくな結果にならない」とわかっていても、やると有権者が喜ぶことならやる。
これはポピュリズム政治の本質を衝いた卓見だと思う。
大阪の有権者たちはトクヴィル的な意味ですぐれて「民主主義的」なのだと思う。
利己的であったり、嘘をついたり、弱いものいじめをしたりするのは「誰でもすること」である。「誰でもすることをする政治家」こそが民衆の代表にふさわしいというのはロジカルには正しい。
果たして、大阪のこの「民主主義」はこれからどういう社会を創り出すことになるのか。私は深いい関心をもってそれを見つめている。(2024-01-29 17:30)
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一番下の記事には笑ったというか、笑うしかない。これが被災者に言うことか。お前、自分の家で、段ボール箱を頭に被って寝てみろ。
こんなのは(あくまで二次避難をさせず、二次避難の面倒を見ず、避難所にとどまらせるなら)、被災者全員にフード付きの厚手のコートを支給すれば済むことだ。(私自身、寒いときは部屋を暖房するより、古いコートを着て寝ている。電気代が高いからである。)
まあ、寝返りもしない死体でもないかぎり、こんな「簡易棺桶(頭部棺桶)」の中では寝られないだろう。(ついでに言えば、この写真だと「ベッド」も段ボールを想定しているようだ。オリンピックでも段ボールベッドが使われたが、日本政府は段ボールが大好きなのか。ただし、オリンピックの段ボールベッドは曲りなりにでもベッドの形状はしていたが、こちらは只の段ボール箱を展開しただけの厚紙である。なるほど、被災者=ホームレス・乞食・厄介者という解釈ね。)
さてさて、そういう冷酷無残な「日本政府」やその母体政党を支持しているのはどういう層なのだろう。
(以下「鳶の羽」から転載)こんなこと平気でよく言うよ
被災者の避難先の旅館でこんな食事を出させておいてよく言えるよねー
いや、二次避難所を明け渡させるためにこんな食事を出させてるんじゃないかとも思えるそれに、これ何だ! -
前回の記事の「前編」で、読みやすさで言えば、こちらが圧倒的に読みやすいので、こちらから読むほうがいいかもしれない。しかし、DSやWEFによる世界支配計画との見事な類似性を確認するには、後編の具体性のほうが重要性は高いと思う。つまり、「1984」世界での地球は政治的に各部分に分かれているが、その内実は同じだということだ。これは、世間のいわゆる「地政学」的視点の愚劣さを示してもいるように私には思えるが、まあ、それと現実世界は完全に同じとは限らないのが唯一の希望だろう。つまり、非西欧国家群にはまだ希望があるかもしれない。
「1984」は、20世紀最大の「思想書」であり、その重要性は、DSによる永遠の支配である「人類奴隷(ロボット)化」「世界人口9割削減」を含む「世界政府(NWO)」計画が進行中の21世紀の今こそ極限まで達していると言えそうだ。我々のこの世界は、実は地獄の波が膝まで来ているのである。
(以下引用) -
正直に言えば、私は「1984」を読んでいない。良く知られている暗鬱なその内容が、私には耐えがたいからだ。私にとって読書とは人生の代替物であり、暗鬱な人生を望む者はいないだろう。
だが、読書体験は、現実人生と密接に関わっている。つまり、その与える知的影響によって読者の現実人生のレベルを上げるものだ。そういう意味では、「不快な読書」は「無意味な読書」どころか、その逆である。
以下は「大摩邇」に書かれた「1984」の解説で、私はその後編から先に読んだので、後編を先に転載する。実に見事な解説だと思う。これを読んだだけでも現代の世界と未来の世界を考察する、有益な「補助線」になるだろう。
(以下引用) -
まあ、原発村が着々と新型原発開発を進めているということだろう。
(以下「スプートニク」から記事タイトルのみ転載:他はコピー事故的に消滅。予言的事故であるwww)世界最大の核融合装置 日本で運転開始
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私は、たとえばWHOなど、国際的組織が各国政府の上位にあることに否定的な人間なので、この記事に全面的に肯定的な者ではないが、「人道的」意味では意義のあるもので、南アフリカの動議は立派だったと思う。
私が「国際的組織」あるいは国連やEUなどの「超国家的組織」に否定的なのは、その意思決定組織の成員の「資格」に疑問があり、それがはたして各国政府やその国民の意志や決定の上位にあっていいのか、という疑問があるからである。たとえば、EUの意思決定機関のメンバーは選挙で選ばれていない。これは国際司法裁判所でも同じである。
そういう「現実政治」力学と政治の根本原則の乖離(曖昧状態)は各国政府にしても同様で、各国政府(行政:選挙で選ばれていない官僚や上級国民傀儡権力者が主導権を握ることが多い)が事実上立法や司法より上位にあるという、「三権分立原則」の否定(無視)された国は多い。あるいは各国政府がその国の憲法を無視している。現在では日本(その最近の決定や行為は、明らかに「憲法違反」である)やウクライナ、米国、イスラエル、カナダが目立つ。まあ、世界的に「民主主義」と「法治主義(法の支配)」は有名無実化しているということだ。
(以下引用)容量オーバーのため記事をかなり省略した。 -
「大摩邇」所載の「マスコミに載らない海外記事」で、付録部分も載せたが、IWJの記事に書かれたことが事実かどうか、疑問もある。これまでタッカー・カールソンという人物について私が持っていた印象とだいぶ違うからだ。もちろん、「移民問題」についての彼の発言を読んだことがないだけかもしれない。そして、彼の「反不法移民」という考えが間違いと思っているわけでもない。むしろ、「煽る」という表現に、岩上安身氏自身の政治信条が少し露呈したかに思える。
もちろん、記事本文が重要だから転載したのである。
「阿修羅」から同事件についてのコメントの一部を転載する。素晴らしい洞察である。ゼレンスキーは彼らが帰ってくると、ロシアで受けた人道的な待遇を喋るのでそれが怖いのだ。ただでさえ追加の徴兵は困難を極めているというのに、こういうロシアの真の姿を知ってしまった連中は帰ってきて欲しくない。しかし、大ぴらにはそう言えないからコロス。
これがファシズム。これがナチズム。
(以下引用) -
「大摩邇」所載の井口博士のブログ記事で知った、「海外報道翻訳所」というサイトの記事である。
私はトランプは元々は単なる機会便乗主義者だったと思うが、偶然が重なって、「反ディープステイト」のシンボルになってしまった人物だと思っている。だが、それでも、「凄いことをした」人物なのである。
なお、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の中で、明らかに初期トランプをモデルにしたと思われる下品な暴力低知能男は、「未来(リベラル勢力にとっては悲惨な未来)世界」で大統領になる。すごい予言(誰かからの「預言」か?)である。なお、この映画では「黒人市長」の誕生も予言している。「市長」を「大統領」に換えれば、オバマに相当する。
(以下引用)ユダヤ人富豪ジョージ・ソロス氏の息子&後継者が「トランプ暗殺」を示唆?米保守派が騒然[海外の反応]
トランプ氏暗殺を予告?
ユダヤ人富豪(&数々の陰謀論中心人物)ジョージ・ソロス氏の息子&後継者アレックス・ソロス氏が、X上に投稿したポストの内容を巡り、米保守派が騒然としている。
該当ポストにおいて、アレックス氏は「極左メディア”Atlantic”」のニュース記事&画像を引用し「インフレと犯罪率」について語っているが、添付された(*もとはニュース記事内の)画像が「銃弾により穴の開いたガラス」と「47ドルの紙幣(*次期大統領が47代目=トランプ氏)」であった為、保守系ジャーナリストやメディアが一斉に「トランプ暗殺を示唆するポストである」として取り上げた。
実際は、おそらくニュース記事を引用した際に、たまたま画像が添付されたものと思われるが、画像転載元「極左メディア”Atlantic”」側において、「トランプ氏暗殺」を示唆していた可能性もある。(*アレックス氏もそれを認知して引用した…かも…)
緊張高まるトランプ支持者
各種世論調査や投票において、日増しに勢いを増すトランプ氏であるが、トランプ氏の支持者達は、左派勢力による暴発を強く警戒している。
米保守派内では「検察、FBI、大手メディアを利用した連日の反トランプ運動にも関わらず、トランプ人気が止められず、万策尽きた(ソロス氏などの)左派勢力やバイデン政権が、最終的な手段(*暗殺等)に打って出る可能性がある」等と、警戒を強めている傾向にある。
米著名保守系ジャーナリスト「タッカー・カールソン」氏は、X上のポストにおいて「(バイデン政権や左派勢力による)トランプ氏人気失墜を目論んだ各種策略が悉く失敗している。いずれ、彼らはトランプ氏の暗殺を企てるかもしれない」等と投稿。米超有名政治コメンテーターである「Alex Jones」も、「トランプ氏の暗殺」を危惧するコメントを発している。
イーロン vs ソロス 犬猿の仲
ジョージ・ソロス氏を巡っては、起業家イーロン・マスク氏が「人類にとって脅威」と名指しで批判。その息子&後継者「アレックス」氏に対しても「言論の自由を侵害する行為は慎むべき」等と警告している。




