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徽宗皇帝のブログ

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神はこの世に関与せず


すでにあちらこちらで取り上げられているから、お読みになった人も多いと思うが、京大の小出浩章氏の国会証言である。長いので、その一部だけを転載する。書き起こしは「株式日記と経済展望」のTORAさんである。

長い間冷や飯を食わされながら原発推進派と戦ってきた小出氏や広瀬隆氏のような人もいれば、原発を町や県に誘致し、自分たちに金が入るなら50年後100年後に奇形の子供が生まれてもかまわないとうそぶく金の亡者も無数にいる。そして、原発マネーのおこぼれにあずかろうと蠢く多くの庶民たち。
おそらく、原発立地地帯にも反原発思想の人間はいただろうが、そういう人たちがどのような目に合わされたか想像できる。ところが、「天罰」は原発推進派にも原発反対派にも無差別に襲いかかるのである。それでよく神などを信じることができる人間がいるものである。
また、これほどの惨事を目の前にし、自分の親兄弟がいわば政治によって殺されながら、何一つ抗議の声を上げない人々が無数にいる。抗議をすれば、逆に弾圧を受け、自分ばかりでなく家族が悲惨な目に合うことが分かっているからである。日本は、いわば精神的な牢獄なのである。
今は、原発事故というれっきとした証拠があるから反原発の声を上げることも許容されている。だが、時間がたてば、その声も次第に押しつぶされていくだろう。
それとも、宗主国のお達しで日本も自然エネルギーへの転換が許されるだろうか? しかし、それでも反原発活動家やその縁者の味わってきた苦難の代償が得られることはない。その一方、原発で利益を得た連中の懐が少しでも痛むこともないだろう。それが我が日本である。いや、この世である。

(以下引用)


石油の現在の確認埋蔵量だけで言っても、数字で書くとこんな事になりますが、60年、70年はあるし、究極埋蔵量がすべて使えるとすると800年近くあるというほど石炭はたくさんあることがわかっています。

その次に天然ガスもあることがわかっている、石油もある。
そしてオイルシェール・タールサンドといっている現在あまり使っていない資源があるということがすでにわかっているわけです。

そして、私自身はこういう化石燃料というものがいずれ枯渇してしまうから原子力だと思ったわけですが、原子力の資源のウランは実はこれしかないのです。
石油に比べても数分の1、石炭に比べれば数十分の1しかないという、大変貧弱な資源であったわけです。

ただ、私がこれを言うと、原子力を進めてきた行政サイドの方々はそれはちょっと違うんだ。と。そこに書いたのは核分裂性のウランの資源量だけを書いただろう。実は自分達が原子力で使おうと思っているのは、核分裂性のウランではなくてプルトニウムなんだと。いうわけです。つまり非核分裂性のウランをプルトニウムに変換して使うからエネルギーとして意味があることだということを言っているわけです。

どういうことかというとこういうことです。
まず、ウランを掘ってくるという事はどんな意味としても必要です。
それを濃縮とか加工という作業を行って原子力発電所で燃やすと。
これが現在やっていることなわけです。

しかし、これを幾らやったたところで、いま聞いていただいたように原子力はエネルギー資源にはならないのです。
そこで原子力を推進している人たちはこんな事ではないと言っているわけですね。

ウランはもちろん掘ってくるわけですけどあるところからプルトニウムというものにして高速増殖炉という特殊な原子炉をつくってプルトニウムをどんどん増殖させていくと。
それを再処理とかしながらぐるぐる核燃料サイクルで回しながらエネルギー源にするんだ言ったわけですね。
で、最後は高レベル放射線廃棄物という大変厄介なごみがでてきますので、それをいつか処分しなければいけないという仕事を描いたわけです。
ただ、プルトニウムという物質は地球上に一滴もないので、仕方ないので現在の原子力発電所から出てくるプルトニウムというのを再処理して高速増殖炉を中心とする核燃料サイクルに引き渡すというこういう構想を練ったわけです。

しかし、その構想の一番中心が高速増殖炉にあるわけですが、この高速増殖炉は実はできないのです。

日本の高速増殖炉計画がどのように計画されて破綻して言ったかということを今からこの図に示そうと思います。

横軸は1960から2010まで書いてありますが西暦です。
え、何をこれから書くかというと、原子力開発利用長期計画というものが出来た年度を横軸にしようと思います。縦軸のほうは1980から2060まで数字が書いてありますが、これはそれぞれの原子力開発利用長期計画で高速増殖炉がいつ実用化できるかという風に考えたかというその見通しの年度を書きます。

原子力開発利用長期計画で一番最初に高速増殖炉に触れられたのは、第三回の長期計画。1968年でした。その時の長期計画では、高速増殖炉は1980年代の前半に実用化すると書いてある。

ところが、しばらくしましたら、それは難しいという事になりまして、次の原子力開発利用長期計画では1990年前後にならないと実用化できないと書き換えました。

それもまたできなくて5年経って改定された時には高速増殖炉は2000年前後に実用化すると書き換えたわけです。

ところがこれも出来ませんでした。
次の改定では2010年に実用化すると書きました。
これも出来ませんでした。
次は2020年代にもう実用化ではありません。技術体系を確立したいという目標に変わりました。
ところがこれも出来ませんでした。

次には2030年に技術体系を確立したいということになり、では次の長期計画でどうなったかといいますと、2000年に長期計画の改訂があったのですが、とうとうこのときには年度を示す事も出来なくなりました。

私はしかたなくここにバッテンをつけました。

そしてまた5年後に長期計画が改定されまして、今度は原子力政策大綱というような名前に改定されましたが、その改定では2050年に1機目の高速増殖炉をとにかく造りたいという計画になってきたわけです。

みなさんこの図をどのようにご覧になるのでしょうか。

私はここに一本の線を引きました。

どんどんどんどん目標が逃げていく事がわかっていただけると思います。

この図は縦軸も横軸も1マスが10年で、この線は何を示しているかというと10年経つと目標が20年先に逃げる。ということです。

10年経って目標が10年先に逃げたら絶対にたどり着けません。
それ以上に酷くて10年たつと20年先に目標が逃げていくわけですから永遠にこんなものにはたどり着けないという事をわからなければいけないと私は思います。

ところが、こういう長期計画を作ってきた原子力委員会というところ、あるいはそれを支えてきた行政は一切責任を取らないという事で今日まで来ているわけです。

日本はもんじゅという高速増殖炉という原型炉だけでもすでに一兆円以上の金を捨ててしまいました。現在の裁判制度で言うと1億円の詐欺をすると1年実刑になるそうです。

では一兆円の詐欺をしたら何年実刑をくらわなければいけないか。一万年です。
原子力安全委員会、あるいは経産省、通産省等々行政に関わった人の中でもんじゅに責任ある人が何人いるのか私は良く知りません。

でも仮に100人だとすれば一人ひとり100人実刑を処さなければいけないというそれほどの事をやってきて、結局だれも未だに何の責任も取らないままいるというそういうことになっているのです。

原子力の場というのは大変異常な世界だと私には思えます。

次はいま現在進行中の福島の事故の事を一言申し上げます。
みなさんはご存知だと思いますけれど、原子力発電というのは大変膨大な放射能を取り扱うというそういう技術です。

いまここに真っ白なスライドがありますが、左の下のほうに今私は小さい四角を書きました。これは何かといいますと広島の原爆が爆発したときに燃えたウランの量です。800グラムです。みなさんどなたでも手で持てる、それくらいのウランが燃えて広島の町が壊滅したわけです。

では原子力発電の電気も原子力発電所から来ているわけですけれどこれをやるために一体どのくらいのウランを燃やすかというと、一つの原子力発電所が1年動くたびに1トンのウランを燃やすと、それほどの事をやっているわけです。

つまりそれだけの核分裂生成物という放射性物質を作り出しながらやっているということになります。

原発は機械です。機械が時々故障を起こしたり、事故を起こしたりするのは当たり前の事です。

原発を動かしているのは人間です。人間は神ではありません。時には誤りも犯します。当たり前のことなわけです。

私達がどんなに事故が起こって欲しくないと願ったところで、破局的事故の可能性は常に持っています。いつか起きるかもしれない。という事になっているわけです。

そこでじゃ、原子力推進する人たちがどういう対策を取ったかというと、破局的事故はめったに起きない。そんなものを想定する事を想定する事はおかしい。想定不適当という烙印を押して無視してしまうという事にしたわけです。

どうやって、破局的事故が起きないかというと、これは中部電力のホームページから取ってきた説明文ですけれど、たくさんの壁があると、放射能を外部に漏らさないための壁があるといっているのですが、このうちで特に重要なのは第四の壁というところに書いている原子炉格納容器という入れ物です。

巨大な鋼鉄製の容器ですけれど、これが何時いかなる時でも放射能を閉じ込めるというそういう考え方にしたわけです。原子炉立地審査指針というものがあって、その指針に基づいて重大事項仮想事故というかなり厳しい事故を考えていると彼らは言うわけですけれど、そういう事故では格納容器という放射能を閉じ込める最後の防壁は絶対に壊れないとそういう仮定になってしまっているのです。

絶対に壊れないなら放射能は出るはずはないということになってしまいますので、原子力発電所はいついかなる時でも安全だと。放射能の漏れてくるような事故を考えるのは想定不適当。想定不適当事故という烙印を押して無視する事にしたわけです。

ところが破局的事故が起きて現在進行中です。

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