「春曲丼より混沌丼」所載の記事の一部を転載。
引用部分の内容にすべて同意するわけではないが、興味深い指摘が幾つかある。
「身分差別の撤廃は能力主義(能力絶対主義)を生むが、それが次世代の身分社会を生む」というのはほとんどすべての世界で見られたことだろう。特に日本が「見えない身分制度社会」であることは、政治家や官僚の家系を見れば明白である。経済界も同様だろう。時々、徒花(あだばな)のようにその人の実力と好運で成り上がる者ももちろんいるが、稀な成功例である。
スポーツ界や芸能界は「実力主義」の世界だから、自由主義世界の「影の身分制度」を糊塗するための看板として利用されるが、実力や人気が無くなると放り出され、その末路はたいてい哀れなものである。
「スポーツや芸能での評価基準と一般社会での評価基準はまったく違う」のだが、その「見かけ上の実力主義評価」が社会全体に拡大されると、労働者の地獄になる。
まあ、そもそも実力主義とは老人や幼児や病人や障碍者の存在を最初から無視した非人間的思想であるわけで、それを糊塗しているのが「パラリンピック」という「障害者見世物」だろう。だいたいが、弱者であることに甘えず、健常者の何倍も努力しろ、という思想をそれは暗示しているのである。老人であることに甘えず、死ぬまで働けという思想と同根だ。他人を鞭打って働かせるほうは、楽なものであるwww
(以下引用)
引用部分の内容にすべて同意するわけではないが、興味深い指摘が幾つかある。
「身分差別の撤廃は能力主義(能力絶対主義)を生むが、それが次世代の身分社会を生む」というのはほとんどすべての世界で見られたことだろう。特に日本が「見えない身分制度社会」であることは、政治家や官僚の家系を見れば明白である。経済界も同様だろう。時々、徒花(あだばな)のようにその人の実力と好運で成り上がる者ももちろんいるが、稀な成功例である。
スポーツ界や芸能界は「実力主義」の世界だから、自由主義世界の「影の身分制度」を糊塗するための看板として利用されるが、実力や人気が無くなると放り出され、その末路はたいてい哀れなものである。
「スポーツや芸能での評価基準と一般社会での評価基準はまったく違う」のだが、その「見かけ上の実力主義評価」が社会全体に拡大されると、労働者の地獄になる。
まあ、そもそも実力主義とは老人や幼児や病人や障碍者の存在を最初から無視した非人間的思想であるわけで、それを糊塗しているのが「パラリンピック」という「障害者見世物」だろう。だいたいが、弱者であることに甘えず、健常者の何倍も努力しろ、という思想をそれは暗示しているのである。老人であることに甘えず、死ぬまで働けという思想と同根だ。他人を鞭打って働かせるほうは、楽なものであるwww
(以下引用)
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