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徽宗皇帝のブログ

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「差別撤廃」から「実力主義」社会への移行という罠
「春曲丼より混沌丼」所載の記事の一部を転載。
引用部分の内容にすべて同意するわけではないが、興味深い指摘が幾つかある。
「身分差別の撤廃は能力主義(能力絶対主義)を生むが、それが次世代の身分社会を生む」というのはほとんどすべての世界で見られたことだろう。特に日本が「見えない身分制度社会」であることは、政治家や官僚の家系を見れば明白である。経済界も同様だろう。時々、徒花(あだばな)のようにその人の実力と好運で成り上がる者ももちろんいるが、稀な成功例である。
スポーツ界や芸能界は「実力主義」の世界だから、自由主義世界の「影の身分制度」を糊塗するための看板として利用されるが、実力や人気が無くなると放り出され、その末路はたいてい哀れなものである。
「スポーツや芸能での評価基準と一般社会での評価基準はまったく違う」のだが、その「見かけ上の実力主義評価」が社会全体に拡大されると、労働者の地獄になる。
まあ、そもそも実力主義とは老人や幼児や病人や障碍者の存在を最初から無視した非人間的思想であるわけで、それを糊塗しているのが「パラリンピック」という「障害者見世物」だろう。だいたいが、弱者であることに甘えず、健常者の何倍も努力しろ、という思想をそれは暗示しているのである。老人であることに甘えず、死ぬまで働けという思想と同根だ。他人を鞭打って働かせるほうは、楽なものであるwww


(以下引用)

リベラルだけでは、地獄に落ちる。

https://note.com/prof_nemuro/n/n51dd7a7cf769  より
上記文抜粋
・・・・・・・・・
ナイキCMと福澤諭吉とリベラル教
不評のナイキのCMは、"Global Liberal Order"の実現を目指す西洋のリベラルによる日本への文化大革命の輸出である。
西洋リベラルの思想の根底には、キリスト教的な原罪と贖罪の観念がある。アメリカには原住民を殲滅して黒人を奴隷として輸入した罪、西欧には世界中を侵略して植民地支配した罪とユダヤ人迫害の罪がある。
(中略)
このCMのもう一つの注目点は、反差別を信仰するリベラルが差別主義者になることが暗示されていることである。
福澤諭吉の「門閥制度は親の敵でござる」の門閥を人種、民族、性別等々の属性(アイデンティティ)に拡大したものが現代リベラルの反差別信仰だが、それは自由主義的能力主義を理想とするので、勝者が新たな上流階級(聖職者、貴族、ブルジョワジー)を形成する一方で、多数の一般人は下層階級と位置付けられる。リベラルが平等を追求すると、能力に起因する不平等を正当化するネオリベラルに行き着いてしまうのである。
(中略)
自由競争が社会階層を流動化させるわけではないことは、先進国の格差拡大が証明している。上流階級の子供は多くのチャンスを与えられる上に、上流階級は自分たちが有利になるように競争のルールを決めるからである。
(中略)
身分社会でも、スポーツと芸能は下層民でも実力で成り上がれる分野だったが、ナイキがスポーツ品メーカーであることや、ハリウッドがリベラルの巣窟であることはそのことと関係している。英語圏のテック企業のリベラル色が極めて濃いのも、スポーツ・芸能と同じく全世界が潜在的な市場なので、自然に「国境や国籍にこだわらない」普遍主義になるためである。
大航海時代以降のヨーロッパ人が世界中をキリスト教を広めようとしたように、現代の西洋のリベラルもリベラル教を広めようとしている。日本人は、西洋リベラルが日本をリベラル教に改宗させる侵略を仕掛けていることを認識する必要がある。日本企業の株主至上主義への「改宗」を加速させた金融ビッグバン(←橋本龍太郎←榊原英資・長野厖士)に続く西洋のグローバリストの大攻勢である。
・・・・・中略・・・・・・
"Global Liberal Order"で検索すると、リベラル教のイエズス会やコミンテルンが見つかる。日本叩きによく使われる指数を作成しているのもその組織である。
補足
スポーツと芸能には
◆パフォーマンスそのものが重要でプレーヤーの属性の重要性は低い
◆パフォーマンスの優劣が勝敗や多数の観客の評価で決まるので公平
という特殊性があるが、多くの職業には同じ条件は当てはまらないので、下手に実力主義を導入すると、仕事のパフォーマンスではなく「上司に評価される能力」を競うことになってしまう。

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