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徽宗皇帝のブログ

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「現実」は思考(理想)を変え、悪しき現実に適合させる
小田嶋隆師のブログから抜粋。文章全体はサッカーワールドカップに関するものだが、「日本人論」「日本社会論」の部分だけ抜粋した。
もちろん、書かれていることは誰もが思い、多くの人が書いてきたこと(たとえば、カレル・ヴァン・ウォルフレンなど、実に親切に、日本社会の宿痾である「シカタガナイ」をやめるべきだ、とその著作の中で何度も書いているが、彼の本が読まれたのも一時だけであった。それほど日本人は目の前の現象にしか興味が無いのである。彼の本が読まれたのも、評判の本だから、というだけの読者がほとんどだっただろう。)だが、馬の耳に念仏だろうが、正しいことは言い続ける必要がある。正しい事を言う人々が、その効果の無さにうんざりして諦めることが、悪党どもの狙いなのであるから。


(以下引用)



2018年6月22日(金)


 前にも書いた記憶があるのだが、わたくしども日本人は、眼前の現実を宿命として甘受する傾向を強く持っている国民だ。それゆえ、現在進行形で動いている事態には、いつも甘い点をつけてしまう。


 われわれは「現に目の前で動きつつある状況」や「結果として現出しつつある事態」や「理由や経緯はどうあれ、所与の現実として自分たちを巻き込んで進行している出来事」みたいなものに、あっさりと白旗をあげてしまうことの多い人々だ。で、その結果として、いつも現実に屈服させられている。


 「思考は現実化する」


 という感じの、片思いをこじらせた中学生の妄想じみた呪文を繰り返す類いの様々な自己啓発書籍が、全国の書店で高い売り上げを記録しているのは、日本人の多くが、常々、自分自身の思考を実現するどころか、眼の前で起きている現実に自分の思考の方を合わせることを強いられている人々であることの裏返しなのであって、われわれが暮らしているこの国のこの社会は、個々の人間が自分のアタマで独自に思考すること自体を事実上禁じられている場所でもあるのだ。


(中略)


 われわれの多くは、不満たらたらで通っていた職場にも、そのうちに馴れてしまうタイプの人間たちだ。してみると、どんなに無茶な人事であっても、いかにデタラメな状況説明であっても、事態を掌握している側の人間が中央突破で押し通してしまえば、最終的にはどんな無茶でもまかり通ることになっている。月日のたつうちには、誰もが抵抗をあきらめてしまう。われわれが住んでいるのはそういう国だ。


 つまり、既成事実の積み重ねが人々を屈服させるということの繰り返しがこの国のこの千年ほどの歴史の主要なストーリー展開であったことを踏まえて考えるなら、JFAの排外クーデターもモリカケの強弁も、最終的には、


 「現実としてこうなってしまっていることについていまさら何を言っても仕方がないじゃないか」


 てなことで、不問に付されるに決まっているのである。




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