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徽宗皇帝のブログ

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明月飛鳥氏の「兵庫県知事選総括」
「反戦な家づくり」記事で、末尾の数行は我田引水的だが、そのまま載せる。
かなり冷静で客観的な「兵庫県知事選総括」だと思う。
「既得権益打破」の掛け声が、実質的に「新規利権の出現」になるのではないかwww それが維新という政党の最初からの目的だろう。(もちろん、第二自民党になるということだ。)

(以下引用)

兵庫県知事選挙は本当にネットの影響だけの結果なのか

兵庫県知事選挙で、自殺者まで出したパワハラやおねだり疑惑で失職した斎藤元彦が、あろうことか再選されたことで、政治の世界には衝撃が走っている。

反斎藤側の言い分は、そのほとんどが以下のような文脈になっている

普段マスコミが嘘ばかり報道するから信用が低下している
そこに立花孝志がネットを使って、自殺者の不倫疑惑や、斎藤は本当はいい人というデマを大量投入した
多くの県民がそのデマに乗せられてしまった

なるほど、これまでの常識では考えられない結果に、そのように見えるのは無理もない。
実際に、程度はともかく、こうした傾向はあったのだろうと思う。

NHKの出口調査でもこのような数字が出ている

いくつかの設問だけ転記する

【ふだんの支持政党は】
▼自民党が24%、▼立憲民主党が11%、▼日本維新の会が16%、▼公明党が4%、▼国民民主党が7%、▼共産党が3%、▼れいわ新選組が2%、▼無党派層は29%

【各党の支持層の投票先は】
(斎藤に投票したのは) ▼自民党の支持層の40%台半ば、▼日本維新の会の支持層の50%台半ば、▼国民民主党の支持層の60%余り、▼れいわ新選組の支持層の50%台半ば、▼無党派層は40%台後半

【斎藤県政の評価は】
▼「大いに」と「ある程度」を合わせた「評価する」が68%、▼「あまり」と「全く」を合わせた「評価しない」が32%でした。

【文書問題の対応を考慮したか】
告発文書問題をめぐる斎藤前知事の対応を考慮したかどうか
▼「考慮した」が77%、▼「考慮しなかった」が23%
「考慮した」と答えた人では、▼斎藤さんと▼稲村さんにそれぞれ40%余りが投票

【投票で参考にしたこと】
▼「SNSや動画サイト」が30%、▼「新聞」と「テレビ」がそれぞれ24%、▼「知人・家族のすすめ」が5%、▼「その他」が17%でした。
「SNSや動画サイト」と答えた人の70%台半ばが斎藤さんに投票

【年代別では】
▼「10代・20代」はおよそ60%、▼「30代」は50%台後半、▼「40代」は50%台半ば、▼「50代」は40%台半ばが斎藤さんに投票

(引用以上)

特筆すべきは 斎藤県政を評価するが7割もいることと、「新聞、テレビ」よりも「SNS,動画」のほうが参照されていることだろう。
そして、内部告発問題を考慮した人も半数近くが斎藤に投票している。

こうした結果を見るにつけ、また、立花孝志の異常な選挙戦や、斎藤街宣の異様なもりあがりなど、現場の様子を外側からみても、ネットのデマでだまされたというストーリーを信じたくなる。

ただこのストーリーには、2点ほど大事なポイントが抜けている。

■ まず一点目
これまでの斎藤県政が7割もの評価を得ているのは、本当にネットのデマだけの影響なのか。
斎藤の得票率は45%なので、選挙中のデマだけの結果としては68%は高すぎる。

ABCテレビの調査では、投票で一番重視したことは政策や公約が最も多い4割近くで、告発文書問題への対応は1割程度という数字も出ている。
実績が評価されていて、政策が最重要視されたのであれば、斎藤が勝ったのは当然という話になってしまう。
むしろ、いなむら候補が想定外に伸ばしたともいえる。

既存政治に期待できないあまり、「なにかやってる感」を評価して、不祥事なんて気にしない。
むしろ、少々ドギタナイほうが、親近感がある。
強引なやり方には、頼もしさを感じる。
この構図は、この十数年間、大阪でうんざりするほど直面してきた維新の評価と完全相似形である。

維新は、大阪だけで突出して支持率が高い。
これと同じような現象が、兵庫における斎藤の支持率でも起きていたということはないのか。
つまり、私たち県外からは「斎藤はとんでもないヤツ」と見えていたけれども、県内では「強引にカイカクをすすめてくれる頼もしい知事」とみている人が、かなりの数いたということはないのか。

大阪で維新の連勝を見続けてきただけに、その可能性は十分にあると思わざるを得ない。
いくら腹が立っても、信じたくなくても、現実は直視しなければ、変えることはできない。

そして、こうした「カイカク」への熱狂は、現状へのうんざりした絶望感と表裏一体だ。
現状に対する不満と、どう手をつけていいかわからないフラストレーションがマグマのようにたまっているからこそ、「変えられるかも」と感じた時には爆発的な熱狂になる。
2008年に橋下徹が知事選で圧勝するのと、2009年の政権交代は同じ地熱から生まれたといえる。
そして、その民主党政権が圧倒的に期待を裏切っていく中で、その熱をごっそり掬(すく)っていったのが、2011年の維新旋風である。
震災直後の2011年春の統一地方選と12月のダブル選挙で、地方議会と首長を掌握し、ゆるぎない維新帝国を築いてしまった。

大阪は、自民党と社会党の1.5党体制、いわゆる55年体制の時代から、公明党、民社党、共産党が強く、少数野党が分立し、自民党は比較多数のなかでヌクヌクと腐敗するという構図が長年続いていた。
手のつけようのない沼のようなところに、突然現れた橋下徹という不良っぽいスーパースター(もどき)に熱狂した大阪府民の心情はわからないでもない。
こうした大阪の歴史を見てきただけに、兵庫でも同じことが起きていたのではないか、と感じるのである。

■2点目
斎藤候補といなむら候補の得票率の差は約5.6%。
決して圧勝という訳ではなく、いなむら候補にも勝機はあった。というか、前半戦までの情勢調査ではいなむらリードだった。

私は今回の選挙にはまったくかかわっていないので、正確なことはわからないが、大きなイメージとして
「異常・変化・動」の斎藤 VS 「正常・安定・静」のいなむら という構図だったように見える。
これは、両陣営から、およそそのような打ちだしがされ、食い違いはなかったようだ。
そして、「異常・変化・動」が選択された という結果だ。

戦術としてのSNSや動画は、たしかに大きな影響をもったのは間違いないが、そこに効果のない情報を大量に流しても票にはつながらない。
その意味で、斎藤候補の最大の勝因も、いなむら候補の最大の敗因も、この構図を作り出した選対にあると私は考えている。

あの斎藤の異常さを見ていれば、正常さをアピールしたくなるいなむら陣営の心情は十分に理解できるけれども、それは県民のが求めているものや、県民の心をとらえていなかったといことだ。
そして、刮目すべきは「異常さ」を売りにすると判断した 斎藤陣営の選対の判断だ。
立花孝志の行動は、それ自体が票につながったかどうかはかなり怪しいが、斎藤のイメージ戦略に欠かせないものだった。

「現状維持など求めていない、なんとかしてくれ」 という声なき声を聞き取ったのは、いなむら陣営ではなく斎藤陣営だった。
この点を見ずして、いくら今回の知事選の分析をしても、ほとんど意味がない、と私は思う。


維新とか石丸とか斎藤などに吸い寄せられている「異常でもいいから変化を」という人民のフラストレーションを、異常な集団から奪い返せるのは、今の政治勢力の中では、れいわ新選組しか見当たらない。
今の社会の大問題は、左右ではなく上下の対立だということに、正面から向き合ってきた、唯一の政党だからだ。

(今回の衆議院選挙では国民民主の「手取りを増やす」に少し人気が集まったけれども、すでに腰砕けで人気は長くは続かない。じきに大企業の御用組合政党だという化けの皮がはがれるだろう。)

そんなれいわ新選組に対して、維新や斎藤と同列のポピュリズムだという批判がある。
甚だしきは、ナチスと同じだと罵倒する人々もいる。

ちょっと待ってほしい
ポピュリズム=大衆を騙して扇動する というものではない
例えばWikipediaにもこう書いてある
「ポピュリズムとは、政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、人民に訴えてその主張の実現を目指す運動である」

これのどこがダメなの?
ポピュリズム というのは決してそれ自体は悪いものではない
と同時に、いいものでもない。
それ自体に価値基準があるのではなく、人民の力で既成の体制を変えようという、政治手法に過ぎない。
啓蒙主義やエリート主義の反対と言えるかもしれない。

人民の声と力で、社会をどのような方向に変化させるのか、は政治側の判断だ。
そこには価値判断が生じる。
「変化」を「差別と排外主義による特定集団の繁栄」と解釈すればファシズムになるし、「貧困層が富裕層から富を奪い取る」と解釈すれば革命になるかもしれない。
その中間に、さまざまな改良を志向する政治方針が存在する。大事なことは、その方針を考えること、評価することだ。

ところが、人民が置かれている現状と、そこで求めている声を聴くことを「ポピュリズム」と言ってバカにしたり、それ自体を危険視したりする潮流が、とくに立憲民主党などに顕著だ。
これは、野党第一党で平穏な生活を送りたい人たちが、変化を求める人民の力を恐れているということだ。
立憲民主党は、決して人民の期待に応えることはできないし、そんなつもりすらない。

大多数が安定して飯を食えて、老後をすごすことができた時代ならば、上から目線の「おまかせ定食」型の啓蒙主義も通用しただろうが、今はもはやそんな時代ではない。

とはいえ、ポピュリズムを手放しで称賛することもできない。
ポピュリズムがファシズムを生み出しやすいということは その通りだと思う。
だれでも切羽詰まれば、まず自分が助かりたいと思う。
そうなると、差別的な政策、排外主義的な政策に、ついつい乗ってしまいがちだ。
そういうリスクは常にあると、提案する政治の側は意識しておかなければならない。

だから、意図するとしないとにかかわらず、差別や排外主義につながりかねない要素については、敏感に自己点検が必要だ。
先に挙げたNHKの出口調査でも、れいわ支持層の半数以上が斎藤に投票している。
母数が小さいからあてにならないという人もいるが、単純計算で支持者68人に聞いて38人くらいが斎藤に投票したという話なので、ある程度傾向は判断できると思う。

これがれいわ新選組の責任だとは言わないけれども、自分たちの支持者が、そういう傾向をもっている、ということは認識すべきだ。
れいわの魅力である常識を打ち破っていく爽快感は多くの人を引き付けるが、同時に、そんなつもりはなくても、ちょっとしたことが犬笛になってしまう可能性がある。
厳しい自己点検が欠かせない。


最後に、ネット戦術

そのうえで、やはりネット戦術は、それとしてちゃんと研究すべきだ。
立花孝志はめちゃくちゃな人間だが、しかし、ネットを使いこなすことは相当研究している。
斎藤陣営の選対も、立花をふくめて、ネットを使いこなしていたからこそ、後半の逆転があったことは、大方の見立てのとおり。

れいわ新選組は、まだまだネット戦術については、素人が頑張ってるレベルのように見える。(私自身がぜんぜん詳しくないので、正確な評価すらできないが)
ボランティアがあつまって作っている党だというイメージにとらわれすぎて、職業的な技術的専門家を養成したリ招聘したりすることを怠ってはいけない。

選挙戦術のひとつに、選挙事務所から電話をかけるというものがあるが、あと数年でおそらく電話帳はなくなるかもしれない。
今でも、世帯数の1割くらいしか電話帳の数などないけれども、数年後に選挙ではたぶん電話かけという作業はほぼなくなっているだろう。
その意味でも、ネット、SNS、動画を使いこなす能力は必須であるといえる。


なんにしても、兵庫県の皆さんは、これから大変なことになるだろう。
生活に直結する県政が、当分は空転し、最後はサイトウと維新が牛耳っていくことになる。
自ら選んでしまった結果とはいえ、なんでもアリの代償は、県民が払わざるを得ない。

そのどん詰まりの絶望が、より暗い淵に落ち込んでいかないように願うばかりである。
そのためにも、れいわ新選組の健全な躍進がカギを握っている。

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