というわけで、映画『空母いぶき』についての佐藤浩市氏の発言が論争になっている『ビッグコミック』を買ってまいりました。
何の話かわからない方は、まあこちらを読んで下さい。
「佐藤浩市が安倍首相を揶揄した」は言いがかりだ!
https://lite-ra.com/2019/05/post-4711.html
佐藤浩市発言 冷静に取る向きも
https://news.biglobe.ne.jp/topics/entertainment/0513/10036.html
佐藤浩市の発言炎上、批判する百田尚樹氏は「安倍首相を揶揄」と“曲解”の可能性
https://biz-journal.jp/2019/05/post_27882.html
経緯としてはリテラが文字数をさいてよくまとまっていると思う。
重要なのは、リテラだけではなく、ビジネスジャーナルやBIGLOBEニュースと言った、特にリベラルを掲げてるわけではないメディアも
「原文読んだけど…これ、総理の悪口言ってなくね?」
「うむ…」
という雰囲気が文章ににじみ出るような記事を書きはじめていることだと思う。
そう。全然言ってないのである。
というか、むしろ「総理大臣と言う立場が、過酷だがこの国に必要な政治的存在であること」について話している。
原文を読んだらどんなバカでもわかると思うが、佐藤浩市の発言は
「反体制の気風で生きてきた世代だが、監督やプロデューサーと話す中で、人間的な弱さを抱えながら最終的にはこの国の形を考えるような総理を演じたいと思うようになった。この国が『戦後』であり続けるため、専守防衛を維持することが必要だからだ(大意)」
という内容なのである。
「ストレスに弱く、すぐにお腹を下してしまう設定にしてもらった」という発言が「病気に対する揶揄」とやり玉に挙がっているが、これもインタビューの原文を読むとわかるが、「そういう人間的な弱さを抱えた人物が危機下の総理という過酷な状況の中で成長し、本物の政治家になっていく」という文脈下で語られているのであって、安倍総理の病気の揶揄どころか、見る人によっては安倍総理を美化していると取ってもおかしくないくらいの内容である。(最終的に佐藤浩市の意図には揶揄も美化もないと思う)
佐藤浩市のインタビューは長くはないシンプルなものだが、重層的で深い。愛国ともリベラルとも取れるし、その両方とも言える。そしてそれは原作がそういう作品だからであり、佐藤浩市という俳優がいかにそれを深く理解しているかという知性の証明でもある。
いったい何故こんなことになってしまったのだろうか。
リテラの記事によれば、発端は産経新聞・阿比留瑠比記者のフェイスブック投稿が発端とのことである。
「誰も原文を読んでいない」と書いたが、確かに産経新聞・阿比留瑠比記者だけは原文を「一応」読んでいる。そして激怒している。「総理を演じることに抵抗があった」の後の「でも」から始まる重要な分をすっとばして「お腹を下す設定にしてもらった」接続した彼の引用文がひたすらコピーを繰り返し、誰も原文にあたらずにネットの炎上が起きている。要はこの人が発端なわけである。
たぶん、雑誌や新聞社に勤務する多くの人、政治的立場の左右を問わず、まともな国語能力を持って入社試験にパスし、言葉を使って仕事をしてきた人間なら
「…この原文読んで、どう読むとあんな解釈になるんだ?」
「中道右派って感じで、ラディカルレフトみたいな連中が怒るならまだしも、産経の記者が怒る発言か?あいつ文章読めてるのか?」
と思われているはずだ。そもそも総理大臣というのは『空母いぶき』という作品の実質的な主人公である。だからこそ佐藤浩市という俳優界の切り札、本格作品の代名詞を投入してきたわけだ。その役を揶揄だけに使ってどう映画が成立すると思ったのだろうか。佐藤浩市をお笑い芸人的な何かだと思っているのだろうか。
そう。産経新聞記者は原文を読んでいる。単に読んでも理解できなかっただけである。そして自分に理解できる文脈、「ネットでサヨクがよく安倍総理のお腹の病気を馬鹿にしているから、佐藤浩市もきっとそうなんだろう」という文脈にとびついて、デタラメに編集した意味のつながらない引用文を流してしまったのである。
あるいは公式の新聞記事ではなく、プライベートのフェイスブックだからとよく原文を読み返しもせず(そして「バカかお前は」と原稿を突っ返してくれるデスクも、校正してくれる人もなく)安易に書いてしまったのかもしれない。しかしそれが拡散したことによってもたらした二次被害は大きい。百田尚樹氏、幻冬舎社長、高須院長と言ったおなじみの面々から多数の右派アカウントまで、おそらくは原文もロクに読まずに一方的に激怒し、多くはツイッターに佐藤浩市に対するえげつない罵詈雑言を書き込んだ。
『空母いぶき』の側の被害はほとんどない。というか、この映画が一番避けなくてはならなかった展開は、あの手の人たちに絶賛されて「あの辺に褒められるウヨ映画なのね」と思われてしまうことであった。原作を読めばわかるが(百田先生は原作を読んでも理解できてないっぽいが)、『空母いぶき』というのは「憲法9条を守ったまま戦闘をする」というハンディキャップマッチ、それを戦う総理の苦悩を描いた政治的にも物語的にも複雑な作品である。佐藤浩市のインタビュー発言は、そういう意味で期せずして最も切るべき迷惑客をバッサリ切ることに成功しているのである。安倍総理がこの映画を観て自分に重ねて絶賛するという最も危険なシナリオは、件の産経記者が無思慮なボーンヘッドで自ら潰してしまったわけである。
ヤバいのは、産経新聞記者や百田先生たちの側だと思う。なにしろ恐ろしく読解力のない味方の粗雑な引用を発端に、佐藤浩市に対して「三流役者」「私の映画には絶対に出さない」とまで言い切ってしまったのである。引用された文章は原文と全く違う文脈になっているのだが、なにしろ身内の産経記者なので「こいつが悪い」という退路もない。
デマに等しいような引用に踊らされて、佐藤浩市を「三流役者」と呼んでしまったことの意味は重い。むろん佐藤浩市は痛くも痒くもない。佐藤浩市という俳優は百田先生の映画に出ないくらいで今さら困るような俳優ではないのである。佐藤浩市を「三流俳優」と呼ぶのは、橋本環奈をブス呼ばわりしたり、アンドレザジャイアントをチビと呼ぶのに等しい。どう考えても恥ずかしいのは呼ばれた方ではなく呼んだ方である。
百田先生たちには非常にまずい展開である。日本中の映画関係者、監督、脚本家、俳優たちが「ホワッツ?」と振りかえったと思う。佐藤浩市というのはそれほどの俳優である。映画界や演劇界には右派も左派も、改憲派も護憲派もいるだろうが、佐藤浩市が三流だと考える人間はほとんどいないと思う。本田圭佑を三流選手と呼んだら、サッカーファンはどう思うだろうか?荒木飛呂彦クラスの漫画家を「三流」と呼んだら?百田先生がやったのはそれである。「お前がどれほどの役者だろうと、俺たちに逆らうかどうかでお前の評価なんて一流にも三流にも俺たちが決められるんだからな」と言ったも同然で、俳優たちにとっては芸の道に唾を吐かれたようなものである。しかも相手の言葉をロクに聞きもしない、ほぼ完全な誤読によって。今回の件、完全に産経記者→いつものメンバーで流れるように展開されてしまった「極右のやらかし案件」であって、この後あわてて謝罪するにせよ解釈違いの一点張りで強引にすっとぼけるにせよ、映画界や演劇界から彼らが失った信頼はとてつもなく大きいだろう。同情はしない。左派や護憲派も他山の石とすべきである。こういう情報社会では、誰だってやらかしかねないのだ。僕だって。
というわけで、詳しくはどうか自分の目でビッグコミック誌に掲載の原文インタビューを読んでみてほしいわけだが、その際に非常に政治的かつ軍事的に重要な情報をみなさんに与えたいと思う。
原文インタビューの掲載されたビッグコミック誌、本田翼のクリアファイルがついてくるのはセブンイレブンだけ!
二冊買うはめになったよ。
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