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徽宗皇帝のブログ

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ネトウヨ製造装置
「ヘタリア」の連載再開に関する「NOTE」記事の一部である。
私も「ヘタリア」は娘がコミックを買っていたので最初の数回を読んだが、擬人化された国(特に韓国)への差別意識や偏見のひどさに辟易して、悪書である、と判断した。まあ、ネトウヨ製造装置という感じである。キャラが可愛いとか会話が面白いという長所も、いわば、エデンの園で蛇がイブを誘惑するリンゴのようなものだと言えるだろう。

(以下引用)



キャラクターとしての魅力があるがゆえに、キャラクターへの愛が国への愛と非常に近いところにあった。

無論それは悪いことばかりでもない。


ファンダムの中にはヘタリアのキャラクターを通してある国に対する興味を持ち、大学でその国の言葉を専攻したり、留学したり、その国の歴史について勉強して二次創作に落とし込んだりする人がかなりの数いたように記憶している。


そういったポジティブな影響があったからこそヘタリアは多くの人に受け入れられ、愛されたのだと思う。

擬人化することで生まれるステレオタイプ

しかし、ヘタリアからポジティブな影響ばかりを受け取ったように思えるのは、日本で生まれ育ち日本を母語とし日本人の両親を持つ、私を含めたマジョリティの特権だったのではないか。そう思うようになってから私のヘタリアへの見方は変わっていった。

例えば韓国のキャラクターは「すぐに謝罪と賠償を要求する」「あらゆるものの起源は韓国だとすぐ主張する」という設定だ。


日本が韓国を併合し、更には強制連行を始めとする数々の人権侵害を行った歴史を鑑みればこの表現がいかに差別的かつ自国の歴史を反省しない、ひどい態度か分かると思う。この表象を見た日本に住む韓国人、または韓国をルーツに持つ人はどう思うだろう。

「見なかったらいい」という問題ではなく、こういった価値観を無意識にインストールした人に自分の国籍を明かした場合、不容易に傷つけられるかもしれない。


その可能性すらないマジョリティーがこの価値観を容認しているのは、自分に降りかからない差別を見て見ぬふりをしていることと同じことではないか。


その一方で日本はどう描かれているかと言うと、控えめで遠慮がちでミステリアス、童顔だが実は2600年の歴史を持つ国で、東洋の小国ながら近代に一気に西洋化を成し遂げ、アジアの大国に躍り出たというものだ。


これが本当に平等な目線で描かれた国の表象だろうか?

ファンだった私たちが考えるべきこと

今ヘタリア復活に際して、ヘタリアの差別的な表現などに批判が集まっていることを快く思わないファンも多いだろう。


その気持ちも分かる。誰だって自分の人生の時間を削り取って愛した作品が批判の的になっていたら、平常心ではいられないはずだ。


しかしそこで思考を止めて作品を全肯定し、批判をする人々のことを差別だなんだとうるさい外野が粗探しをして噴き上がっていると決めつけてしまっていいのだろうか。


ヘタリアの曲で、アニメのエンディングとして作られた『まるかいて地球』というものがある。その歌詞の一節の「ああ 世界中に 眠る幸せのレシピ」という箇所が本当に大好きだった。世界には様々な文化があり、その中で暮らす人々がいて、その歴史の中で紡がれた「幸せのレシピ」があるのだというメッセージは、同じ地球に暮らす人々が争うことなく幸せに日々を送ってほしいという祈りだと感じていた。


しかし残念ながらその地球上で紡がれた歴史はけして「幸せのレシピ」ばかりではない。負の歴史から引き継がれた差別や搾取構造が私たちの社会には根深く残っているはずだ。だからこそ、表現物の消費者である私たちは、作中の差別的な表現や偏見につながるような国民性の描写を無視し続けてはいけないのではなかろうか。


私は、昔ヘタリアが大好きだった者として、今回のヘタリアの復活には断固として反対する。


この文章を読んだヘタリアを今もなお愛する方は、自分が無邪気にステレオタイプな描写を楽しんでいた裏で、偏見に苦しむマイノリティがいたかもしれないことを、今この時にもう一度考え直してみてほしい。

執筆=Kobin
画像=Unsplash

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