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徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

人間、特に若者の興味と関心は基本的に娯楽と個人的利害にしかない
「大摩邇」所載の「東海アマブログ」所載の「現代ビジネス」記事を転載する。ああ、面倒くさいww
この記事は最初の1ページだけこの前転載したが、今の政治状況への批判を持つ人々、社会を改善したいと思う人々は、残りも含めて読んだ方がいい。
ここに書かれた分析や意見のすべてに同意するわけではないが、少なくとも今の若者の心理の分析は、かなり適切だと思う。それは、日本の悪化を食い止めることはほとんど不可能だ、という結論にさえ至るだろう。
若者は、むしろ「政治(権力)を批判する人々」を嫌悪し、「意味不明のお説教をするうるさい老害」としか思っていないのである。十代二十代の私もそうだったから、その気持ちはよくわかる。これは戦後日本の「教育」(子供を社会から隔絶した「温室」あるいは「強制収容所」で育て、政治の現実に無知な大人を作り上げる)とマスコミ(形だけの政権批判と、本質的権力迎合)の偉大な成果である。
若者(大人の多くも同じだが)は政治など自分には無関係だと思っているから、政治問題をうるさく喚く人々のことは「(政治に無関心な)自分たちを批判している」とすら感じて(このように、他人に関する言葉や批判を自分に向けられたもののように思うことを、沖縄方言で「ウチアタイする」という。)、嫌悪感や不快感を感じるのである。悪い政治のもたらす害は、国民全体に広く薄くかかるだけだから我慢するわけだ。保守党政治の社会的弱者への冷酷さにも、「自分とは関係ない連中の問題」だから気にもとめないのである。
まあ、今の若者が本気で「安倍ー菅政権」でいいと思っているなら、日本が滅んでもべつにかまわないかな、という気持ちにすらなってくる。

(以下引用)


 なぜ若者は、安倍晋三に続いて「菅義偉も」支持するのか
彼らが自民党政権に親和的な「真の理由」(現代ビジネス10月25日)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/76675

 アベからスガへ引き継がれる若者の支持

「なぜ若者は自民党を支持するのか?」
「若者は自民党や安倍晋三をリベラルだと考えているというのは本当なのか?」

――などと年長者から尋ねられることが、近頃多くなった。『なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか』という小論を現代ビジネスでリリースしたのは、そうした問いかけに対する回答のつもりだった。だがむしろ、この記事をリリースしてからますますそうした質問を受ける機会が多くなった。

安倍政権が幕を閉じ、そのあとを引き継いだ菅政権が発足した。朝日新聞世論調査によると、やはり政権発足直後ということもあって全世代にわたって支持率は高い。しかし特筆すべきは、29歳以下、39歳以下の世代において不支持率が低いことだろう。
ちなみに安倍政権末期(2020年7月)の調査でも同様の傾向がみられた。この時期になると、ほとんどの世代で安倍政権への不支持が支持を上回っていたが、そのような状況でもなお29歳以下の世代だけは支持46%・不支持29%だったのである。

とくに自民党政権に批判的な立場の方々の意見をうかがっていると、「物事の道理をただしく理解さえすれば、若者たちはとてもではないが自民党やアベ・スガなど支持できるはずがない」という前提を自明として考えていることがわかってきた。

「自民党支持者」に対する先入観

若者たちは、政治に対する勉強も理解も足りていない。ただ「少数派になるのが嫌だ」という付和雷同、あるいは同調圧力によって自民党政権を支持しているにすぎないのだと彼らは推測する。

〈駒沢大学法学部の山崎望教授は、2017年後期のゼミを振り返って言う。「学生たちに『共感』というか、ああ、そう考えちゃうよねと腑に落ちました」

 当時、世間を騒がせていた森友・加計学園の問題を議論した。安倍政権を肯定する意見がゼミ生25人の7割を占めた。 「何政権であろうと、民主主義国家としてよくないのでは? 私がそう水を向けると、彼らはきょとんとした顔でこう言うんです。『そもそも、総理大臣に反対意見を言うのは、どうなのか』って」

 政権に批判的な残りの学生に対しても、肯定派は冷たかった。「空気を読めていない、かき乱しているのが驚き、不愉快、とまで彼らは言うんです」

 なぜ、そう考えるのか? 学生たちにリポートを書いてもらうと、「政治の安定性を重視しているから」という理由が多かった。不安定でも臨機応変に対応すればいいんじゃないの? 山崎氏がさらに問うと、肯定派はみな言葉に詰まってしまったという。

 「理屈ではなく感覚なんです。安定に浸っていたい、多数派からはじかれて少数派になりたくない。そんな恐怖が少数派は罪という考えまで至るのではないでしょうか」〉

 (朝日新聞GLOBE+『なぜ若者の政権支持率は高いのか 学生との対話で見えた、独特の政治感覚』(2020年9月30日)より)
 「(ただ感覚的に、多数派から疎外される恐怖によって自民党を支持しているにすぎないのだから)根気よく説明してものの道理を理解させれば、若者たちは自民党支持などやめるはずだ」と、政権や自民党に批判的な人は少なからず考えているようだ。
 つまるところ「自民党を支持するということは、どこか社会や政治について理解度が低い部分があるに違いない」と。もっと言い方を選ばずに表現すれば「コイツはどこか阿呆なところがあるから、自民党など支持しているのだ」という前提を抱いているということだ。

 しかし残念ながら、このような認識では、若者たちの考えていることをとてもではないが理解できるはずがない。もし彼らに政権支持をやめさせたいと思うのであればなおさらだ。

 若者たちは「放っておいてほしい」

 「どうして君たちは政権を支持するの?」と尋ねられても、若者たちは、おそらくは即答できない。往々にして答えを濁してしまうだろう。

 だからといって「とくに確たる根拠や信念があるわけではないが、ただ少数派になるのを嫌がり、付和雷同的に支持している」わけではない。彼らがそのような態度を見せるのは、どちらかといえば「放っておいてほしい」からではないだろうか。

 〈中央メーデーの式典に先立つ文化行事では今年70年を迎えた東京のうたごえの仲間が壇上いっぱいに並び、アメリカのLGBT(性的少数者)権利獲得運動で歌い継がれる「いのちをうたおう」などを合唱。ラッパーのATSさんはラップ調の「がんばろう」を熱唱し、参加者と一緒に「安倍はやめろ」とコールしました〉(しんぶん赤旗『第89回中央メーデー 多彩な行動 各地で文化行事』2018年5月2日より)

 数年前から、野党やリベラル派を中心として、若者に政治的問題意識を訴求する手段として「ラップ」が使われ始めている。若者になじみ深い文化を取り入れれば、関心と親しみを向けてくれるはずだという狙いがあってのことだ。その端緒はおそらく、2016年に結成されて2018年まで活動した学生左派運動「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)」にあるだろう。

 だが「なんとなく若者が好んでいるカルチャーだから」という理由で、SEALDsのようなインテリ・リベラル学生たちから借り物の方法論としてラップを導入したところで、大多数の若者には響かない。

 たとえば同じラップでも、いま若者たちの間で爆発的な人気を誇るHIPHOPユニット「BADHOP」の楽曲の歌詞を1バースでも読めば、多くの若者たちが政権あるいは自民党のポリシーを支持している背景が見えてくるはずだ。「育ちのよいインテリ・リベラル学生が活用していたから、政権批判をラップにすれば若者に受けるはず」という程度の理解では、なにも見えてこない。

 成功しこの街に恩返す

 ゼロからじゃねぇマイナスから巻き返す
何にでもなれる誰だってやれる
夢を見せれるなら貧乏も歌う

 正直歌いたくねぇ金がねぇあの日々
でもなんか響くなら歌うあの子に
前にならえ出来ねぇ育ちのせい
壊すだけ破壊していく

 後ろ盾無く自分の腕でメイク
リスク抱える壊れかけのレーン
燃料が切れるたび何度も止まりかける
ここで権力に媚びたら俺たちじゃねぇ

 街に借りた恩なら腐った環境すらも楽しむ事
金じゃ買えない物
地位や名声手にするのがゴールではなくて
次に繋ぐ事が俺達の役目
(BADHOP [2020]『Hood Gospel』より引用)

 「自己責任」と「共同体主義」の折衷

 若者たちは、自分や自分の身内による自助努力と自力救済とを重視して成功を望む。だが自分たちだけで完結させようとするのではなく、自らの属する共同体でその繁栄を継承しようとしているのだ。身内や気心知れた仲間に有効範囲を限定した共同体主義、いうなれば「マイクロ共同体主義」の原理で彼らは動いている。

 もちろん彼らは自由主義や個人主義を当然のように享受しこれを肯定しているが、しかし最終的には地元を愛し、仲間を愛し、そして後輩や家族に自分たちの成功を引き継いでもらいたいと願う共同体主義をも折衷している。それは、かつて地方の商店や中小企業がつくってきた地域社会の形と相似形であり、まさしく自民党の支持基盤、自民党を支持する心性と重なり合っている。

 自分たちは自分たちでうまくやる、そして自分たちの手の届く範囲の中でささやかな幸せを次代へ引き継いでいく。だから、せめて邪魔するのだけはやめてくれ――若者たちはそう考えているからこそ「とりあえず余計なことはせず現状を守ってくれそう」という理由から安倍政権を支持し、そして今度は菅政権を支持するのである。

 これは政治的な安定を志向しているというよりも、むしろ「政治から自分たちに対する干渉を最小限に留めたい」というインセンティブに基づいていることを強調しておきたい。若者たちが、一見すると矛盾しそうな「新自由主義的な自己責任論」と「共同体主義的な世界観」をともに違和感なく受け入れていることは、このように見ると説明がつく。
 
 本音はシンプル「興味がない」

 「まともに考えれば自民党政権の支持などしていられないはずだ」などと内心見下しながら考えているようでは、こうした若者たちの社会に対するまなざしを読み解くことはできない。

 「安定した政治が良いから」という理由で政権を支持する若者は確かに少なくない。だがそれは先述した朝日新聞の記事が指摘するように「少数派になりたくない」という不安感や、事なかれ主義が動機にあるせいではない。

 端的に言えば、若者たちは政権や総理大臣が個人としてなにをしようが、正直に言ってしまえば大して興味はないのである。かりに総理大臣やその周囲の人物がスキャンダルにまみれていようが、とにかく自分たちに累を及ぼすようなことはくれぐれも慎んでもらえれば、政権の椅子に座っているのは、安倍だろうが菅だろうがあるいは他のだれであろうがかまわない。

 しかし「どうでもいい/興味がない」と率直に言ってしまうと、「最近の若者はけしからん」と憤慨する人や、自分たちのことをバカだと嘲笑する人が現われるかもしれない。だから「政治の安定性を重視している」と、慎重に言い換えているのだ。

 「まともに政治を勉強し理解すれば、政権や自民党を支持することなどできないはずだ」――という物言いは、まさに「目の前の悪をなぜ批判しないのか?」という前提に立脚しているからこその言明であるが、しかしそんなことは、自分や自分の仲間の栄達を求める今どきの若者にとっては「どうでもいいこと」の極みなのである。

 「政治家への批判や政治行動など、自分たちの貴重なリソースを割いてまでやることではない」という判断をオブラートに包んで答えているのに、「いや、臨機応変に批判していこうよ」などと言われても「だからやらねえって言ってるだろ。ていうかなんでそんな必死なの?」と呆れてしまうというわけである。

 そうした非干渉的・無批判的な態度が、周囲の人びと(とりわけ政権や自民党に批判的な人びと)からすれば「若者の政治的無関心」とか「付和雷同」とか「頭が悪い」「ネトウヨ」などと見えてしまうのは無理もないことだ。しかし若者の側もそういう風に思われることを承知しているからこそ、とくに与党に批判的な人の前では、ますます政治の話をしたがらなくなる。

 もし若者が選挙に行ったとしても…

 ツイッターで大きな声を出す若者を集めても「若者」の姿は見えない。

 冒頭で引用した山崎教授は、政権に肯定的な若者たちの、政治批判に対する反応――「空気を読めていない」「かき乱すな」「不愉快」――に、たいへん驚いてしまったようだ。

 だからといって、もちろんこうした「政権批判に対する拒否」は、若者たちが「政権に異論をはさむ人間は許さない!」という、さながらファシズム的な心情を抱いているために発せられるわけではないことはいうまでもない。与党を支持する若者を見て「若者たちが右傾化している」とか「ファシズム支持者になっている」などと突拍子のない分析を表明する人がたまにあるが、いずれも的外れである。

 若者たちのこうしたリアクションが出るのも、先ほど述べたように「現状でも自分たちは身内でうまくやれているんだから、『批判すべき』だのと騒いで波風を立てようとするな、自分たちに道義的義務を要求するな」という思いがあるからだ。

 現在の若者の投票率が低い点については、政治的関心の低さが反映されていることは間違いない。だがそうした若者に投票行動を喚起したとしても、おそらくは左派・リベラル派の期待とは裏腹に、若者の多くは自民党に票を投じることになるだろう。
 自民党のポリシーは、先に見たような若者たちの基本的なスタンスである「新自由主義(自分や自分の仲間で自力救済)とマイクロ共同体主義(身内に成功を継承していく)の共存」にもっとも適合しているからだ。

 政権に対して旺盛な批判精神を発揮してクリーンな政治や社会を目指すとか、旧来の社会を批判してポリティカルにコレクトな制度設計を提案するといった「リベラル」な方向性は、地元の因習を軽蔑・嫌悪して都会の大学にやってきた、あるいは豊かな生まれで自力救済を目指さなくても生活に困らない、ごく一部の恵まれたインテリの若者たちが支持しているにすぎない。

 そうした都市生活を送るインテリの若者のほうが、自力救済に親和的で、地元密着型で、地縁的結合のもとであくせく働くその他大勢の若者よりもはるかに余暇が豊富にあるため、彼らの声がSNSとりわけツイッター上では実態以上に大きく聞こえてくるだけだ。実態を見誤ってはならない。

 多くの若者は、周囲の人びとが想像するよりもずっと「生活者」の視点に立って懸命に生きている。リベラルな大人たちが、ひとりの生活者として自力救済に勤しむ彼らを「大局的な視野で物事を見られない愚か者」と見なすのは仕方ないことだろうし、それは実際のところ部分的には当たっているかもしれない。

 だがそのような態度で若者と接している限りは、彼らの政権支持の深層を見通すのは、途方もなく困難なことであり続けるだろう。



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