ヤフーブログの方の「徽宗皇帝のブログ」は語学関係の記事を中心に書いているのだが、そちらの方にも案外と来訪者がいる。それだけ語学に興味のある人間がいる、ということなのだろうし、また、良い語学テキストは案外と少ないということだろう。
ほとんどの語学テキストは、語学の達人や専門家の書いたもので、学校教科書と似た性質がある。それは、「正確だが、まったく面白くないし、初心者が疑問を持つところにまったく答えていない」ということだ。
あちらのブログにも書いたのだが、物事を習い始めた頃というのは、実は貴重な体験をしているのである。それは、「初心者が何に疑問を持ち、何につまづくのかが、自分で体験できる」ということだ。それはつまり、何かを習い始めた人間こそが、良い教師になれるということだ。学校や塾であっても、教師の講義よりも、仲間や同級生に聞くほうが、理解しやすいものである。それは、教える側に「初心者の疑問」が、まだ生々しく残っているからである。
私は誇大妄想的人間だから、新しい分野を学ぶ時は、まず「自分でその分野のテキストを作ってやろう」という気持ちで学ぶ。そうすれば、学ぶこと自体が面白いし、意気も高くなる。これは学習のポイントの一つであり、「誰かに教える気持ちで学ぶ」ことによって、自分自身の理解が正確になるのである。
私自身は、中国語はほとんどできないが、ヤフーブログの「中国語クエスト」が役に立つことは多分確かだと思う。要するに、現役時代は三流のプレイヤーだった選手でも、名コーチにはなれるのである。私は、頭で物事を把握する人間であり、学んだことを体に刻み込む「猛練習」はできない。しかし、それのできる人間こそが名選手になるのである。
ほとんどの語学テキストは、語学の達人や専門家の書いたもので、学校教科書と似た性質がある。それは、「正確だが、まったく面白くないし、初心者が疑問を持つところにまったく答えていない」ということだ。
あちらのブログにも書いたのだが、物事を習い始めた頃というのは、実は貴重な体験をしているのである。それは、「初心者が何に疑問を持ち、何につまづくのかが、自分で体験できる」ということだ。それはつまり、何かを習い始めた人間こそが、良い教師になれるということだ。学校や塾であっても、教師の講義よりも、仲間や同級生に聞くほうが、理解しやすいものである。それは、教える側に「初心者の疑問」が、まだ生々しく残っているからである。
私は誇大妄想的人間だから、新しい分野を学ぶ時は、まず「自分でその分野のテキストを作ってやろう」という気持ちで学ぶ。そうすれば、学ぶこと自体が面白いし、意気も高くなる。これは学習のポイントの一つであり、「誰かに教える気持ちで学ぶ」ことによって、自分自身の理解が正確になるのである。
私自身は、中国語はほとんどできないが、ヤフーブログの「中国語クエスト」が役に立つことは多分確かだと思う。要するに、現役時代は三流のプレイヤーだった選手でも、名コーチにはなれるのである。私は、頭で物事を把握する人間であり、学んだことを体に刻み込む「猛練習」はできない。しかし、それのできる人間こそが名選手になるのである。
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