しかし、まあ、これほど理不尽な、人権完全無視の行動が世界的に堂々と進行しているのだから、それを見ても「DSなど存在しない」と言う人間は低脳であるか狂信者であると言っていいのではないか。まあ、DS側に立てばおこぼれが貰えるかもしれないという、貴族の食卓の下の犬みたいな連中かもしれない。
(以下引用)
まあ、タイトルに「ナチス」なんていう唐突な名称が出てくるのは、数日前、イスラエル政府が、
「ワクチンパスポートに準ずる生活様式プログラム」
を発表していた、その内容からのものです。
それがまさに、もうナチス時代にユダヤ人に対しておこなっていたことと同じだと思いまして。
ちなみに、先日、以下の記事で、フランスのワクチンパスポートについて書きましたけれど、フランスでは今後、ワクチン接種の証明がなければ、「飲みにも行けないし、病院にさえ入ることができない」というところにまで統制が進んだことにふれています。
仏英のワクチンパスポートの現実。そして、1990年のファイザー社の特許「コロナウイルス遺伝子組み換えスパイクタンパク質の発明」から30年間の努力の歴史
投稿日:2021年7月15日
この記事で、
> イギリスでも…ワクチンパスポートの導入もすぐかもしれません。
と書いたのですけれど、すぐもすぐ、7月19日にイギリス政府は、ジョンソン首相の演説を通してワクチンパスポートの実施を発表しました。
しかも、発表は、「ロックダウンの全面解除から数時間後」のことでした。
「な? 自由はいいだろ?」
と国民に行動の自由を進呈し、その直後に、
「でも、その自由を味わうには、こちらの提案に従う必要があります」
ということになりました。
以下の記事で、イギリスの新しいワクチンパスポートに関しての英ガーディアンの報道などををご紹介しています。
イギリスでロックダウンの解除がおこなわれた「数時間後」、英国首相がワクチンパスポートの完全な実施を発表。どこに入るのにもワクチン接種証明が必要に
地球の記録 2021年7月20日
ジョンソン首相は、ナイトクラブという言葉を強調していまして、このナイトクラブは、日本でいう音楽系や踊る系の若者中心のクラブ全般ですので、ワクチンの「自主的な接種」のターゲットが若者たちに向けられたと言えそうです。
そして、おそらく、イギリスが「ロックダウンを解除した理由」はこれでしょう。
ロックダウンの解除後は、お店はどこも開いている。
バーもクラブも、若者たちが集まるようなお店はどこも常にオープンしている。
もう時間制限もない。どれだけお酒を飲んで騒いでも、どれだけ踊っても、もはや社会的距離の規制も何もない(社会的距離は全廃されています)。
以前のように好き放題楽しめる。
ただ、ひとつだけ条件がある。
「ワクチンパスポートがないと、そもそもお店に入ることはできませんよ」
と。
華々しいネオンと、若者たちの歓声や熱狂の声が聞こえてくるそのお店はたくさんあっても、ワクチンを打っていなければ、「入ることができない」のです。
フランスの例ですと、ワクチンパスポートを提示しない客を入れた事情主も激しい罰則を受けるとフランスの大統領は述べています(ガーディアンの報道によれば、そのような事情主には、1年の懲役と、日本円で最大約 600万円の罰金の可能性)。
イギリスも同じタイプの規定を施行すると思われます。
完全なロックダウンの中でお店が一切やっていないのと、「全部お店はやっているのに入ることができない」という状態とどちらが心理的に厳しいか、という話です。
フランスとイギリスの若い人たちは、厳しい選択をせざるを得なくなっています。
極端にいえば、「娯楽か死か」という選択になる人もいるかもしれません。
ヨーロッパを中心とした各国が着々と、このような「管理された自由」の確立を目指す中、イスラエルでは「結婚式を行いたければ、ワクチンパスポートが必要」というようなところにも介入しています。
まずはそのイスラエルの報道をご紹介します。
ナチス時代にユダヤ人を排斥・粛正した同じ手法が、そのダビデの星のお膝元の国で実施されています。
イスラエル最大の規模を有する英字新聞であるエルサレムポストの 7月17日の報道からです。
イスラエルでコロナハッピーバッジが始まるに際して知る必要があること
Israel’s COVID Happy Badge starts Wednesday. Here’s what you need to know
jpost.com 2021/07/17
イスラエル政府は先週、大規模な屋内イベントによる感染を減らすことを目的とした新しいシステムである「ハッピーバッジ」を発表した。
このプログラムは 7月21日に発効する。
「ハッピーバッジ」プログラムの詳細は次のとおりだ。
1. イベントに参加できるのは、ワクチン接種を受けた人、回復した人、または 72時間以内に行われた COVID-19 検査で陰性の人だけとなる。この基準を満たす人の場合、参加に制限はない。
2. 飲食など、それを困難にする活動を行う場合を除き、すべてのイベント参加者はマスクを着用する義務がある。
3. 特定の基準を満たすイベントのみがハッピーバッジを必要とする。これには、軽食やダンスなどのゲスト同士の交流を含む 100人以上の参加者が参加する屋内イベントが含まれる。
4. ハッピーバッジが必要なイベントの例としては、結婚式やその他のお祝い、スタンディングコンサート、パーティー、会議などがある。
ハッピーバッジは、ベネット首相、経済大臣、および、いくつかのイベントホールの所有者たちとの会談の後、発表された。
「私たちの目標は、結婚式やお祝いを防ぐことではありません」とベネット首相は述べている。
「目標は、イベントへの害を最小限に抑え、イスラエルの市民を最大限に保護しながら、パンデミックの時期にそれらをどのように保持するかを定義することなのです」
ここまでです。
100人以上が参加するイベントに参加するには、ワクチンパスポートが必要ということで、あるいは記事には書かれていませんが、葬儀や宗教的儀式なども、100人を超えるものは、すべてここに含まれると思われます。
学術会議、医師会の会議などもあてはまりそうです。
年間でいくつかあるユダヤ教の大きな祭事の催し事もそうでしょうね。
しかも「イベントでのマスク着用は、イスラエルではほぼ恒久化した」ことが決定付けられたことも示されています。
まあ、このようなことを書きましたのも「他の国だけの出来事だとは思っていない」からです。
日本がどうだということを書くつもりはないですが、他の多くでも採用されるシステムのようには思われます。
報道には、イスラエルでの罰則規定は書かれていませんが、罰則はあるのでしょうね。
まあ……強圧的ではありますわな。
ワクチンワクチンと言っていますけれど、遺伝子コロナワクチンの大規模接種が最も迅速に進められたイスラエルでは、結局その効果は今にして見られない状態になっていますが、
「それはもう関係ない」
と。
イスラエルでは、以下のグラフのように、感染確認数が最低レベルだった 6月上旬から、今はその 100倍ほどの感染確認数となっています。
Israel / Daily COVID-19 vaccine doses administered per 100 people
つまり、「感染数は実は最初から関係ない」ということが、このイスラエルの件でも、イギリスのロックダウン解除の件からもよくわかります。
どこまでも行動を制限して、自由と引き換えにワクチンを打たせることだけが目的だったと言えるのかもしれません。
ヒトラーの『我が闘争』の第10章の要旨は以下のようなものでした。
『我が闘争』第10章の要旨
十分に大きな嘘をつき、それを繰り返し続けると、やがて国民はそれを信じるようになる。
真実は嘘の致命的な敵であり、ひいては、真実は国家の最大の敵であるため、国家が大衆の異議を抑圧するためにすべての力を使用することが極めて重要となる。
『我が闘争』第10章からの抜粋は以下の記事にあります。
…全体主義を追ったドイツ人女性哲学者の言葉。それは、いつの時代でも「悪の本質は《システムを無批判に受け入れること》」
投稿日:2021年2月10日
粛正のためのイエローバッジが各国に
ナチスなんて言葉が出てきましたが、先ほどのイスラエルのハッピーバッジという言葉は、ヒトラー政権下で、ユダヤ人たちにつけることを強要していた「イエローバッジ」と同じ意味合いであり、
「同じことが繰り返されるものだ」
と感心します。
ナチスは、ポーランドを侵略した後、すべてのユダヤ人たちに明確に識別できるための印を付けるよう要求したという歴史が資料に残されていますが、それは、「すべてのユダヤ人は、ダビデの星が刻まれている黄色のバッジを左の胸につけなければならない」としたものでした。
ナチスが1939年からユダヤ人に着用を義務づけた黄色いバッジ
dw.com
ワクチンパスポートも、これとよく似たものであることを感じます。
ナチスの時代には、バッジをつけていた人たちの多くが、その後それを目印として死亡させられたことなどを含めて。
このバッジについて 2016年に特集記事で報じていたドイツの国営放送 DW の記事をご紹介して締めさせていただきます。
排斥と死の星
The star of ostracism and death
DW 2016/09/01
75年前、ナチスはドイツのユダヤ人たちに黄色のバッジを着用するように強制した。これは、ユダヤ人たちが社会から排除されたことを意味する。この識別記号はホロコーストの前身だった。
ダビデの星はもともと汚名を意味するものではなく、過去には、この六芒星だけがユダヤ人の象徴でもなかった。しかし、このダビデの星はドイツのナチス時代からホロコーストと関連付けられてきた。
1935年にニュルンベルク人種法が可決された後、ユダヤ人はますます社会的排除に直面した。法律は、誰がユダヤ人であるか、混血であるか、またはドイツの法律に従ってユダヤ人と見なされるかを細心の注意を払って定義していた。
数年後、これらの人々のほとんどは黄色のバッジを着用しなければなならなくなった。
「敵を見えるようにするために」
第二次世界大戦前から、ナチス国家保安本部長のラインハルト・ハイドリヒは、ドイツの敵を世界に見えるようにする方法を考えていた。
ユダヤ人事業が破壊された 1938年11月の夜、ハイドリヒは「ニュルンベルク法に従って、ユダヤ人である者は、特定の記章を着用しなければならない」と書いた。
これにより、ナチスはドイツだけでなく、他の国でもユダヤ人を見つけ強制収容所に強制送還することが容易となった。
1939年9月の戦争開始直後、占領下のポーランドに住むユダヤ人たちは、青い星が付いた白い腕章を着用することを余儀なくされた。ますます多くの国がドイツに占領されるにつれて、ナチスはユダヤ人たちに必須の IDバッジを課した。
ヒトラーは最初は気が進まなかった
戦争前のヒトラー政権は、このような紋章による ID 化を躊躇していた。1937年、ヒトラーでさえ、ハイドリヒの計画に抵抗を明らかに示していた。 「私は、まだ何ができるのか、何ができないのかを知る正しい感覚を持っている必要がある」と述べながら、ヒトラーは、海外からの激しい反発を恐れていた。
しかし、すべての抑制は戦争の初めに放棄された。
1941年、プロパガンダ大臣であるゲッベルスは、ヒトラーに再びユダヤ人の身元確認について思い出させ、8月中旬に許可を与えられた。
1941年9月1日、警察の規制が施行された。
すべての仕様が作成された。
ユダヤ人がつける紋章は、以下のように規定された。
手のひらサイズの黄色の布のバッジに、黒いラインで六芒星が描かれ、その中に黒い文字で「ユダヤ人」と書かれる。これを衣服の左胸側に目に見える形で配置しなければならない。
ニュルンベルク法に基づくこの規制は、6歳以上のすべてのユダヤ人市民に適用された。
この時点から、ユダヤ人が黄色いバッジなしで公に現れることは禁じられた。たとえばスカーフで星を隠そうとした場合でも、それが誰であっても、バッジの可視性を監視していたゲシュタポによって厳しく罰せられた。
隔離、差別、管理
犠牲者たちは絶望した。ロマンス諸語の専門家であるヴィクトル・クレンペラー氏は、ユダヤ人家系で、第一次世界大戦前にすでにプロテスタントに改宗していた。1935年、クレンペラー氏は教授職を失い、バッジを着用することを余儀なくされた。
2013年にドイツ議会で行われた記念式典で、ホロコーストの生存者であるインゲドイ・チュクローン氏は次のように回した。
「間違いなくバッジは、私たちに差別的な孤立をもたらした」
それから、ユダヤ人は隔離され、差別され、統制された。
ホロコーストの前兆
識別手段は、ナチスがユダヤ人の問題の「最終的な解決策」と呼んだもの、つまり粛正の前兆にすぎなかった。バッジを身につけることを除いて、ユダヤ人は警察の許可なしに彼らの住宅地を去ることを許されなかった。
ホロコーストのための完璧な枠組みが整っていった。
絶滅収容所への強制送還がわずか 1か月後の 1941年10月に始まったのは偶然ではない。何百万人ものユダヤ人たちが生き残ることができなかった。
コメント