(以下引用)
3. 五輪による人流増加
SARS-CoV-2はヒトを宿主として増えるので、人と人との接触や人流が増えればそれだけ感染が拡大するということは、科学的に自明です。東京五輪開催となれば海外から選手、関係者、マスコミ関係など数万人の来日があり、国内では選手、組織委員会関係者、ボランティア・アルバイト、宿泊、輸送などに関係する20万人近くの人流が増えると言われています。これに観客をいれるとすれば全国からの観客の動きが上乗せされます。
政府や組織委員会の専門家は、五輪を中止する場合と開催した場合の人流の違いに伴う感染者数の増加についてしっかりシミュレーションし、それを公開しておくべきだと思います。それは都合のよい前提条件ではなく、最悪の場合を想定したシミュレーションであるべきです。しかしながら、このような試みはまだメディアには具体的には出ていないようです。
先月、東京大学仲田准教授によるシミュレーション結果がテレビ(報道特集)で紹介されましたが、それによれば五輪開催で人流が6%増えた場合は、五輪中止の場合に比べて感染者数が約2倍になると推測されていました。それについて、私は以下のようにツイートしました。
なお、このシミュレーションには、変異ウイルスの増加は考慮されておらず、最悪を想定したものではありません。
おそらくメディアの報道もそうですが、五輪ムードの高まりは国内の人流増加を促し、きわめて感染リスクを高めることは間違いありません。大会直前になればメディアは五輪一色となり、その分感染状況の情報は狭められるかもしれません。
4. 念力主義と呪文
今朝のテレビ「サンデーモーニング」ではコメンテータの二人が、それぞれ念力主義、呪文という形容で政府と大会組織委員会の姿勢を批判していました。それは何度となく繰り返される首相の「国民の命を守る」、大臣や大会幹部の「安全安心の大会」というフレーズです。
「安全」という言葉は、科学根拠が示され、それに基づいた客観的基準が示されて初めて成立するものです。一方「安心」は受け手の主観的感情であり、安全の科学的基準が示され、かつそれが信頼性に足りえると判断できる時に出てくる感情です(→食の安全と安心)。
安全の基準が示されなければ、それは逆に「危険かもしれない」となり、かつ安心感は得られずに「不安」となります。現に国民はそのような状況になっています。その安全と安心の関係とそれが発生するメカニズムを政府と組織委員会はまったく理解しておらず、念力と呪文で何とかなるという精神主義に陥っています。この根拠のない楽観論は、科学的な公衆衛生対策を立てる上で一番厄介なもので、被害を拡大させる大きな要素です。
おわりに
以上四つの要素と原因で、この夏はデルタ型ウイルスの拡大といっしょの感染五輪になると私は予測します。菅首相の頭の中はワクチン一辺倒ですが、ワクチンが間に合うはずもありませんし、前例がなく見切り発車したワクチン接種による個々の免疫や集団免疫が十分に働くかどうかも未確定です。ウイルスの免疫逃避もあるかもしれません。願わくば私の予測が外れてほしいですが、状況はきわめて厳しいです。
加えてメディアの報道の偏向ぶりが目に余るようになりました。必要な情報を伝えず、事実も正確に伝えていません。五輪関係の記事が増え、民衆の自粛疲れからくる気の緩みと開放感に拍車をかけています。今日もG7の日米首相協議で、バイデン大統領が「東京五輪支持」とメディアは伝えていますが [3]、ホワイトハウスの表明は微妙に違います。
ホワイトハウスのウェブページでは、「バイデン大統領は、アスリート、スタッフ、観客に対して必要なすべての公衆衛生対策がなされた上での東京五輪への支持を表明した」となっており、公衆衛生対策必須ということに釘をさしています(以下赤線部)。
その意味で、尾見茂分科会長をはじめ、有志の専門家の皆さんが、G7の前に五輪開催に関する提言を行なっていれば、海外のメディアにも取り上げられ、もう少し状況が違っていたのではないでしょうか。
政府と組織委員会は東京オリパラ開催に向けて一直線であり、時すでに遅しです。この夏は感染五輪、スーパスプレッダー五輪になることは間違いないでしょう。
6月15日更新
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