忍者ブログ

徽宗皇帝のブログ

徽宗皇帝のブログ

他人(外国人か?)の「夢」のために日本人全国民は犠牲を払うべきか
私は運動音痴(略してウンチww)だったため劣等感が強く、スポーツを自分でやる習慣がまったく無かったので、年を取ってからの足腰の弱りに悩んでいる。つまり、「スポーツ=勝ち負け」という社会の風潮に人生を狂わされた(自分で勝手に劣等感を抱いて自分で狂わせたとも言えるが、私のような人間は多いはずだ。なぜなら、人間の半数は運動偏差値が50以下だからだ。中には私のように運動偏差値20レベルの者もいる。)わけだ。「体育=健康増進」が本来であったはずだのに、その体育の内容はすべて「スポーツ」、つまり「勝ち負け」である。
まあ、競技性が無ければ体育がつまらないものになる、という考えもあるだろうが、その「娯楽性」は常に敗者を犠牲にしてのものなのである。もちろん、勉強でも同じだ、とも言えるが、勉強の勝ち負けは「俺はまだやっていないだけ」で誤魔化せるし、しかも勝敗の結果(敗者の無様な姿)が無残に衆人の目にさらされない。
とは言いながら、スポーツ観戦は嫌いではないから、まあ、スポーツは才能のある人間だけを集めて、闘技場で戦わせればいい。つまり、「娯楽用奴隷」の仕事にすればいいwww 何も、競技開催国の国民の税金を無駄遣いし、苦しめてまでやることではない。
「五輪の夢を実現するために誰もがいくらかの犠牲を払わなくてはならない」そうであるが、犠牲を払うのは誰で、「夢(金儲けとかねwww)」を実現するのは誰なのか。主語を明確にしてほしいものである。

(以下引用)

バッハ会長も五輪予定通り開催強調「最後のカウントダウン」コーツ氏発言を“後押し”


配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
デイリースポーツ

トーマス・バッハ会長





拍手

PR

コメント

コメントを書く