島田裕巳は宗教学者だから、この言葉はちゃんとエビデンスがあるものだろう。
私自身も「二礼二拍手一礼(だったと思うが自信は無い)」というのが覚えられないので(なんせ、1年に1度行くか行かないかくらいだしwww)神社に行っても域内を散歩するだけでお参りはしないほうが多い。
まあ、サラリーマン用のマナー講師みたいなもので、どこの誰がいつ作ったかも分からない怪しいマナーを人に押し付けて商売にする、というのが最近多すぎる。神社がそれで何のメリットがあるのか知らないが、茶道も華道も最初は個々人が茶を飲み、花を活けるのを好き勝手にやっていたのが「商売人」がそこに口出しをして儀礼で権威づけるのである。
私自身も「二礼二拍手一礼(だったと思うが自信は無い)」というのが覚えられないので(なんせ、1年に1度行くか行かないかくらいだしwww)神社に行っても域内を散歩するだけでお参りはしないほうが多い。
まあ、サラリーマン用のマナー講師みたいなもので、どこの誰がいつ作ったかも分からない怪しいマナーを人に押し付けて商売にする、というのが最近多すぎる。神社がそれで何のメリットがあるのか知らないが、茶道も華道も最初は個々人が茶を飲み、花を活けるのを好き勝手にやっていたのが「商売人」がそこに口出しをして儀礼で権威づけるのである。
- 新しい会話
やっぱ神社本庁なんだ… それなりの「形」にでっち上げたいんだな。 私はなんでもアリでなんでも祀っちゃう節操の無い自由さが好きです、神道の。
子供の頃に教わった参拝方式より、やたら礼(お辞儀)の回数が増えてるな?と思っていたので、でっち上げだと知ってすっきりしました。 私も、八百万の神々がギリシャ神話並みの人間臭いドラマを繰り広げる古事記の世界や、大木や大岩、田んぼや竈にまで神々がいる「古来の」神道なら好きです。
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