地味な記事だが、要は国家が解体される時は大資本家という泥棒が大活躍する時だ、ということである。ソ連崩壊しかり。イラクもリビアも同じだろう。国家解体というのは滅多に無いが、大不況も国家経済崩壊という点では同じである。今度の世界的新コロ大不況の結果も同じになるだろう。つまり、中小企業はすべて倒産し、大資本がそれらの資産や資本を手に入れる。1930年代の大不況と同じである。
(以下引用)
急過ぎた民営化、問い直しへ 「格差の元凶」 ドイツ統一30年〔深層探訪〕
1990年まで東独政府価格局次官を務めたマンフレット・ドーマック氏。自宅で「東独のすべてががらくたではなかった」と語った=8月19日、ベルリン近郊ブルーゼンドルフ
1990年10月の東西ドイツ統一から、3日で30年。失業率や所得の東西格差はなお残る。旧東独市民の多くが、格差の元凶と名指しするのが、統一後の急激過ぎた国有企業の民営化だ。優良企業も含め「西側に買いたたかれた」ことが、尾を引いていると不満は強い。こうした不満が旧東側での極右政党伸長にもつながる中、民営化のさまざまな影響を問い直す動きが広がっている。 【写真】保存されている「ベルリンの壁」の横でくつろぐ人々 ◇残った資産は5% 「東独に残った資産は5%だけだった」。統一直前の90年まで東独政府価格局次官を務めたマンフレット・ドーマック氏(82)は、痛恨の思いを抱えていると話す。 89年11月のベルリンの壁崩壊後、西側との統一が不可避となった東独では、市場経済移行のため、コンビナートから零細事業所まで、あらゆる国有企業の民営化が大きな課題となっていた。90年3月設立の管財機関「信託公社」がその任を担ったが、東側に専門家がいない中、幹部ポストは西側の企業家や政治家がほぼ独占。94年末の解散までの5年足らずで、1万2000社の民営化や清算を断行した。 最終的に公社が管理した企業の85%が西独、10%が外国に売られ、東独に残ったのは5%。400万人の雇用は、150万人まで減った。 ドーマック氏は90年春、公社とは別にホテルチェーン「インターホテル」の管財業務を任され、存続を目指し投資家探しなどに奔走。同チェーンは国外からの出張者らに頻繁に利用され、一等地に立地するホテルも多かった。しかし同年7月、公社は突如チェーン解体と売却を決定。ドーマック氏は「一夜にして、まだ存在していた東独政府の頭越しに解体が決まった」と話す。 今も、代表的な独株価指数を構成する30社のうち、分断統治されたベルリンを除けば旧東側に本拠を置く企業はない。また、旧東側の失業率は西側より約2%高く、給与水準は2割ほど低い。この格差は、優良資産が西側に安値で奪われたためと考える旧東独市民は多い。 ◇全長45キロの文書 極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」は、旧東独地域での選挙で公社をめぐる遺恨を刺激して回る。「移民より旧東独市民の尊重を」と、排外主義を結び付けた主張は一定の支持を集め、旧東独5州(ベルリンを除く)中、4州で州議会2位の議席を確保している。 政治利用が進む一方、民営化の経緯を客観的に検証する動きも広がる。公社は数十万点、「全長」45キロに及ぶ契約書などの膨大な文書を残した。連邦公文書館は2016年から8年間をかけ、文書の大部分を回収し、一般の閲覧に供するプロジェクトを開始した。 こうした文書を基に、公社の組織体制や民営化の長期的影響などを検証する研究も、政府の支援を受け進んでいる。 研究を主導するミュンヘン・ベルリン現代史研究所のホフマン教授は、民営化の結果は「悲惨だった」と考える一方、計画経済下では問題視されなかった企業の借金が民営化時に障害となり、安値売却につながった側面もあると指摘。「他に選択肢がなかったのか、客観的な検証が必要だ」と強調した。 ナチスや壁崩壊と比べ、語られる機会が少なかった「統一後」の歴史。極右台頭という新現象の中、総括はかつてなく必要とされている。(ベルリン時事)