「東海アマブログ」から転載。
資本主義への批判、安倍政権への批判はまったく同感で、その根拠もほぼ同じであるが、「解決策」についてはまったく共感しない。そのような道徳主義で社会システムは成り立たないだろう。儒教や仏教やキリスト教を否定する人は多いし、私もそれらが「権力維持システム」の一部だった点に関しては否定的(批判的)だが、それは社会を「道徳的に秩序を与える」ものでもあった。
だが、今や、先進国で宗教心を持っている国民はほとんどいないだろう。
では、宗教無しで道徳は本当に可能だろうか。神仏の存在を否定しながら、道徳を「絶対的なもの」と信じ、それに基づいて行動することが可能だろうか。
私は、それは不可能だと思っている。もちろん、表面的な道徳を演じる、「美徳の切り売り」は可能だろう。だが、それは要するに社会に嘘を蔓延させるということだ。社会全体が嘘つきになるということだ。確かに、偽善は悪徳よりはマシだが、社会全体が偽善で覆われた世界というのは、私は気味が悪い。
もちろん、東海アマ氏の「助け合って生きる」は道徳とは無関係なものかもしれないが、道徳と無関係に助け合って生きる、というのは昔のソ連のコルホーズやソホーズを想起させるもので、他者への過度の干渉を必然的に将来するだろう。個人の自由に慣れた現代人がそれに耐えられるとは私には思えない。(確か東海アマ氏自身、現在の居住地で孤立的に生きていたと思う。)
前々から言うように、現代の「資本主義の泥沼」からの抜け道、解決策は「資本主義と社会主義の結婚」つまり、政治が社会福祉を最優先課題とする、そのような政治システムを作ることだと私は思っている。
(以下引用)
私は、過去のブログのなかで、さんざん、「資本主義は、競争と拡大再生産にしか生きられない」と指摘してきた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-162.html
その理由は、資本主義社会の本質から来ている。日本のような資本主義社会における企業は、多額の納税を避けるために、利益の大半を設備投資と配当金に回し、借金経営のなかで利益を最小に計上しなければ株主が納得しない。
企業は、必ず多額の借金に押しつぶされ、あえぎながら設備投資、拡大再生産に邁進することしか考えられないのだ。
それによって、人間より狐狸兎相手に商売するのかと言いたくなる弩田舎に巨大な店舗を建設するのである。それが自滅の合図だ……。
企業は、借金と拡大再生産なくして延命することができない。そして、最期は消費ニーズを見誤って、拡大再生産のなかで、「赤信号みんなで滅べば怖くない」と、究極の不況、断崖絶壁のなかにレミングの群れのように集団自殺してゆくのである。
資本主義の辞書には、「繁栄があれば衰退がある」という諸行無常の真理を示す言葉が存在していないのだ。
まあ、ダイエーやユニー、イオンが崩壊してゆくくらいなら、いくらでも代わりがあるから問題ないのだが、今は、東芝・日立・三菱といった戦前からの日本資本主義大黒柱が朽ちて倒壊しようとしている。原発に未練を持ち、拘泥したせいだ。
内部留保を450兆円ため込んでいたって、底辺のニーズが失われてしまえば、シロアリに土台を食い荒らされた豪邸のごとく、倒壊する運命しか残されていない。
ケインズは、ニューデール恐慌のなかで、景気の本質は、底辺の消費者の消費ニーズにあると喝破した。だから、ケインズは底辺の大衆に消費資金を供給するための公共投資に力を入れるようルーズベルトに促した。
ドイツのシャハトも同じだ。第一次大戦で疲弊の極地にいたドイツ労働者階級に、直接カネを渡して元気づけ、消費を活性化することだけがドイツ復活の道と確信し、アウトバーン建設を使って、ドイツ労働者階級に新鮮な血液を流し込んだのだ。
景気の本質は、「人々の未来に向けた希望のマインド」だ。未来が鮮明に見えるからこそ、人々は手元にあるカネを使って、未来に向かって走り出そうとする。
未来が見えなければ、誰も動こうとさえしない。消費は流行であるとともに「雰囲気」なのだ。
ところが、日本の究極の痴呆政権=安倍晋三・竹中平蔵の自民党は何をやったか? 消費に10%という罰金を科し、今回のコロナ対策資金として、消費税を15%に増税するとまで言っている。
新型コロナ禍は、資本の流動性を止めている。いわば血液が滞り、日本経済全体が回転力を失ってしまっている。
これに、さらに消費税増税をかければ、日本経済の死を通り越して、日本という国の機構そのものがドロドロに腐り落ちてしまうだろう。
今の、政治家・官僚たちの無能・無知蒙昧・人間性崩壊は、もう絶望の一語であり、これも学歴社会の増長傲慢がもたらしたものなのだが、それ以上に、世襲議員利権を前提とした腐敗した身分制度が確立してしまっている。
どんなに有能であっても、世襲議員の利権の前に、自由に正しい仕事をこなすことができない。
安倍晋三という稀代の嘘つき、無能宰相に対して、正論を言って諫める者は絶無だ。
ただ安倍の背後に控える官邸の警察官僚たちを恐れ、愚かな忖度を繰り返すばかりである。
こんな絶望的無策ばかり繰り返されれば、やがて、大都市の路上に病死者の遺体が放置され、腐敗して白骨化しても、誰も始末しないという究極の行政崩壊の事態がやってくることは避けられないだろう。
本当に能力のある者が、行政に口を出すことさえ許されない。私がブログで、どれほど正論を述べても、読んでくれる者さえいない。
ただ世襲議員利権を死守する者たちが、徴税から莫大な報酬を抜くことだけが国家機能になってしまう。
新型コロナ禍は、もう二度と取り返しのつかないほど、日本の国家経済の基礎である消費ニーズを破壊し尽くすだろう。馬鹿しかいない行政・政治家は、何一つ手を打てず、国家崩壊に任せるしかないのだ。
新型コロナ禍は、もう資本主義の基底メカニズムを完全破壊し、日本経済を二度と立ち直れなくさせる。
そりゃ、一時的に弱毒化して、コロナ禍が収束したように見える時期もあるだろう。しかし、RNAはDNA遺伝子の千倍、突然変異を起こすのであり、弱毒化に次にやってくるのは、核戦争の惨禍のような猛毒ウイルスの蔓延だろう。
このとき、安倍晋三(おそらく背後霊は竹中平蔵に違いない)が消費税15%増税を打ち出して成功させたなら、日本の産業の半分が倒産し、日本国民の8割が路頭に迷い、猛毒化したコロナ禍で死亡した人々の遺体も放置されたまま回収できなくなる。
もう、これは待ったなしのスケジュールであり、安倍と竹中をのさばらせておくことは、日本の未来に対する犯罪であると断言するしかない。
彼らが消えれば、日本経済が救われるわけではないが、少なくとも消費税廃止によって延命することは可能だ。
しかし、資本主義のメカニズムの破綻、拡大再生産の本質が再生することは二度とないだろう。
日本人の半数以上は、大混乱のなかで生きてゆく道を失うと、私は予想している。
それでは、生き残る残りの半分は、どうなるのか?
私は、「助け合って生き抜く」という心=精神性だけが、未来を保証すると考えている。
大都会で国家権力に依存する人々に生き残る道はない。過疎の田舎で、「助け合う」心を持った人々が、辛うじて未来に命を伝えていけるだろう。
資本主義など、もはや存在しない。ただ、人間が必死に生き抜く姿しかない。
国家が崩壊するとは、そういうことだ。
資本主義への批判、安倍政権への批判はまったく同感で、その根拠もほぼ同じであるが、「解決策」についてはまったく共感しない。そのような道徳主義で社会システムは成り立たないだろう。儒教や仏教やキリスト教を否定する人は多いし、私もそれらが「権力維持システム」の一部だった点に関しては否定的(批判的)だが、それは社会を「道徳的に秩序を与える」ものでもあった。
だが、今や、先進国で宗教心を持っている国民はほとんどいないだろう。
では、宗教無しで道徳は本当に可能だろうか。神仏の存在を否定しながら、道徳を「絶対的なもの」と信じ、それに基づいて行動することが可能だろうか。
私は、それは不可能だと思っている。もちろん、表面的な道徳を演じる、「美徳の切り売り」は可能だろう。だが、それは要するに社会に嘘を蔓延させるということだ。社会全体が嘘つきになるということだ。確かに、偽善は悪徳よりはマシだが、社会全体が偽善で覆われた世界というのは、私は気味が悪い。
もちろん、東海アマ氏の「助け合って生きる」は道徳とは無関係なものかもしれないが、道徳と無関係に助け合って生きる、というのは昔のソ連のコルホーズやソホーズを想起させるもので、他者への過度の干渉を必然的に将来するだろう。個人の自由に慣れた現代人がそれに耐えられるとは私には思えない。(確か東海アマ氏自身、現在の居住地で孤立的に生きていたと思う。)
前々から言うように、現代の「資本主義の泥沼」からの抜け道、解決策は「資本主義と社会主義の結婚」つまり、政治が社会福祉を最優先課題とする、そのような政治システムを作ることだと私は思っている。
(以下引用)
私は、過去のブログのなかで、さんざん、「資本主義は、競争と拡大再生産にしか生きられない」と指摘してきた。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-162.html
その理由は、資本主義社会の本質から来ている。日本のような資本主義社会における企業は、多額の納税を避けるために、利益の大半を設備投資と配当金に回し、借金経営のなかで利益を最小に計上しなければ株主が納得しない。
企業は、必ず多額の借金に押しつぶされ、あえぎながら設備投資、拡大再生産に邁進することしか考えられないのだ。
それによって、人間より狐狸兎相手に商売するのかと言いたくなる弩田舎に巨大な店舗を建設するのである。それが自滅の合図だ……。
企業は、借金と拡大再生産なくして延命することができない。そして、最期は消費ニーズを見誤って、拡大再生産のなかで、「赤信号みんなで滅べば怖くない」と、究極の不況、断崖絶壁のなかにレミングの群れのように集団自殺してゆくのである。
資本主義の辞書には、「繁栄があれば衰退がある」という諸行無常の真理を示す言葉が存在していないのだ。
まあ、ダイエーやユニー、イオンが崩壊してゆくくらいなら、いくらでも代わりがあるから問題ないのだが、今は、東芝・日立・三菱といった戦前からの日本資本主義大黒柱が朽ちて倒壊しようとしている。原発に未練を持ち、拘泥したせいだ。
内部留保を450兆円ため込んでいたって、底辺のニーズが失われてしまえば、シロアリに土台を食い荒らされた豪邸のごとく、倒壊する運命しか残されていない。
ケインズは、ニューデール恐慌のなかで、景気の本質は、底辺の消費者の消費ニーズにあると喝破した。だから、ケインズは底辺の大衆に消費資金を供給するための公共投資に力を入れるようルーズベルトに促した。
ドイツのシャハトも同じだ。第一次大戦で疲弊の極地にいたドイツ労働者階級に、直接カネを渡して元気づけ、消費を活性化することだけがドイツ復活の道と確信し、アウトバーン建設を使って、ドイツ労働者階級に新鮮な血液を流し込んだのだ。
景気の本質は、「人々の未来に向けた希望のマインド」だ。未来が鮮明に見えるからこそ、人々は手元にあるカネを使って、未来に向かって走り出そうとする。
未来が見えなければ、誰も動こうとさえしない。消費は流行であるとともに「雰囲気」なのだ。
ところが、日本の究極の痴呆政権=安倍晋三・竹中平蔵の自民党は何をやったか? 消費に10%という罰金を科し、今回のコロナ対策資金として、消費税を15%に増税するとまで言っている。
新型コロナ禍は、資本の流動性を止めている。いわば血液が滞り、日本経済全体が回転力を失ってしまっている。
これに、さらに消費税増税をかければ、日本経済の死を通り越して、日本という国の機構そのものがドロドロに腐り落ちてしまうだろう。
今の、政治家・官僚たちの無能・無知蒙昧・人間性崩壊は、もう絶望の一語であり、これも学歴社会の増長傲慢がもたらしたものなのだが、それ以上に、世襲議員利権を前提とした腐敗した身分制度が確立してしまっている。
どんなに有能であっても、世襲議員の利権の前に、自由に正しい仕事をこなすことができない。
安倍晋三という稀代の嘘つき、無能宰相に対して、正論を言って諫める者は絶無だ。
ただ安倍の背後に控える官邸の警察官僚たちを恐れ、愚かな忖度を繰り返すばかりである。
こんな絶望的無策ばかり繰り返されれば、やがて、大都市の路上に病死者の遺体が放置され、腐敗して白骨化しても、誰も始末しないという究極の行政崩壊の事態がやってくることは避けられないだろう。
本当に能力のある者が、行政に口を出すことさえ許されない。私がブログで、どれほど正論を述べても、読んでくれる者さえいない。
ただ世襲議員利権を死守する者たちが、徴税から莫大な報酬を抜くことだけが国家機能になってしまう。
新型コロナ禍は、もう二度と取り返しのつかないほど、日本の国家経済の基礎である消費ニーズを破壊し尽くすだろう。馬鹿しかいない行政・政治家は、何一つ手を打てず、国家崩壊に任せるしかないのだ。
新型コロナ禍は、もう資本主義の基底メカニズムを完全破壊し、日本経済を二度と立ち直れなくさせる。
そりゃ、一時的に弱毒化して、コロナ禍が収束したように見える時期もあるだろう。しかし、RNAはDNA遺伝子の千倍、突然変異を起こすのであり、弱毒化に次にやってくるのは、核戦争の惨禍のような猛毒ウイルスの蔓延だろう。
このとき、安倍晋三(おそらく背後霊は竹中平蔵に違いない)が消費税15%増税を打ち出して成功させたなら、日本の産業の半分が倒産し、日本国民の8割が路頭に迷い、猛毒化したコロナ禍で死亡した人々の遺体も放置されたまま回収できなくなる。
もう、これは待ったなしのスケジュールであり、安倍と竹中をのさばらせておくことは、日本の未来に対する犯罪であると断言するしかない。
彼らが消えれば、日本経済が救われるわけではないが、少なくとも消費税廃止によって延命することは可能だ。
しかし、資本主義のメカニズムの破綻、拡大再生産の本質が再生することは二度とないだろう。
日本人の半数以上は、大混乱のなかで生きてゆく道を失うと、私は予想している。
それでは、生き残る残りの半分は、どうなるのか?
私は、「助け合って生き抜く」という心=精神性だけが、未来を保証すると考えている。
大都会で国家権力に依存する人々に生き残る道はない。過疎の田舎で、「助け合う」心を持った人々が、辛うじて未来に命を伝えていけるだろう。
資本主義など、もはや存在しない。ただ、人間が必死に生き抜く姿しかない。
国家が崩壊するとは、そういうことだ。
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