政府による学術会議会員候補の任命拒否 の 撤回をもとめる
日本科学史学会 会長 木本忠昭
2020 年 10 月 11 日
(前半略)
未知の問題に立ち向かう科学研究や科学的措置に関しては様々な意見があり、科学的成果に関する評価も様々であり得る。そのうちの一部を時の政権が恣意的に排除するならば、多様な意見を交えることによって現行社会のもつ科学的能力の最善を発揮し、必要な結論に到達するという科学的プロセスをねじ曲げてしまうことになる。科学的成果の国民的福祉への貢献方法や可能性についても多様であり、科学的立場からの総合的な判断がもとめられるが、ここにおいても、また科学の成果公開や、言論や研究姿勢の自由と独立的判断、学問内容の独立、そして民主主義的な協力体制が強くもとめられている。
新型コロナウイルスの研究やウイルス対策にも未知の問題にあふれているが、政権の利害に合わないからといって政治的判断基準を導入して、一部の科学者を排除するならば、彼ら科学者に求められている中立的な科学的究明活動は阻害され、結局は国民の期待に期待に添えないないことになりかねない。政治的利害あるいは行政的立場からの判断基準は、科学者達の科学的判断基準と一致するとは限らないし、むしろ科学的判断を歪め、結局は科学成果の利用においても国民の利害にも反しかねない。日本原子力発電史での苦い経験、すなわち政治的経済的利害関係に巻き込まれて形成された、いわゆる「原子力ムラ」を基盤に一部の科学者の科学的知見を排除して「安全神話」、を展開したが、これが、3.11福島第一原発事故としてどれほどの被害をもたらすことになったかを、そして現在まだ故郷に帰れない多くの国民がいることを忘れることはできない。
学術会議の会員の選出方法は、当初は公選制、1983年には学協会からの推薦制、そして2004年から今日のコ・オプテーション方式に変わった。その会員選考基準は、優れた研究または業績がある科学者であり、それぞれ選出方法には課題があったが、しかしいずれの場合においても行政という別次元からの人事介入は、特定の行政目的への迎合性という基準を科学に持ち込み、科学において最も大事な学問の自由、言論の自由を脅かし、それは研究の方法に影響し、科学者達の民主主義的な議論と姿勢、そして科学の自律的発展を損ない、結局は国民の利害を損ないかねない。
今回の任命拒否は、「法に基づき適正な措置」「総合的、俯瞰的」な措置(菅首相)というが、拒否理由・拒否基準は示されていない。日本学術会議法とは別の選考基準があるとすれば、それは明示されなければ説得性をもちえず、むしろ日本学術会議法に反した政治的人事介入といわざるを得ないことになる。こうした政治的人事介入は、自主的で自由な学問的活動を妨害するものであるが、拒否理由の説明がないこということは、結局は歴史的に比をみない野蛮な公文書破棄まで生んだ「忖度」政治を科学界にまで持ち込もうとする狙いを疑わせざるをえない。科学研究は未知への挑戦であるが、それは同時に科学者自らを含めての学問的社会的権威への挑戦でもある。学問の自由が抑圧され、「忖度」が蔓延するならば、社会的・学問的権力・権威に立ち向かい、未知を切り開く科学界における民主主義的で自由闊達な議論と進取の気風は阻害されかねない。そうなれば、長期的に見ても、未知に立ち向かう科学者の力を削ぎ、社会の「科学的能力」を損なうことに繋がり、国民の利益追求の力をも弱めかねない。
今回の政府による措置はひとり日本学術会議にのみならずひろく科学界、国民生活にも害をもたらすものとして強く憂慮するもので、早急に任命拒否を撤回し、6人の任命をもとめるものである。
なお、10月9日、菅首相は、日本学術会議が提出した105人の推薦リストは見ていない、見たのは(すでに6人が除外された)99人のリストである、と説明した。事実であるならば、「総合的、俯瞰的」判断をしたと言うこと自体が疑われ、公文書改竄の疑義さえ出てくる。日本学術会議会長の推薦文書提出から99人の任命決裁までのプロセスと、6人の拒否理由の正確な説明がもとめられる。
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