すべてというわけではないが、部分部分に示唆的な言葉があり、一種の思想的叩き台になる記事ではないだろうか。
高校大学の7年間を遊んですごすと立派な馬鹿が出来上がるわけで、私自身、そのひとりである。しかし、今の高校や大学の教育内容自体が(医学部や法学部などを除き)そういう風に作られているわけだから、現在の日本社会の馬鹿な大人たちは社会制度の犠牲者だと言っていい。
もちろん、他の国が優れているわけではなく、「高学歴の馬鹿」は先進国の宿命のようなものだ。というのは、「暗記した知識をテストすることで『優秀者』らしきものを選別する」というのが高等教育の基本システムであるのはどこの国も変わらないからである。
昨日、ネットテレビで見た「きっとうまくいく」というインド映画を見ると、今のインドもそういう「馬鹿げた教育システム」が大手を振ってまかりとおっているようだ。それに対する痛烈な批判がこの映画のテーマと言っていいが、観た人やまだ観ていない人の大半は単なるコメディ映画としか思わないかもしれない。傑作なので、インド的な、あるいはアジア的な泥くさいコメディ映画の苦手な人も一見をお勧めする。最初は馬鹿な大学生のバカ騒ぎ映画だろうと思っていた私も、中盤からはすっかり引き込まれ、これは傑作だ、と思ったものである。ただし、「きっとうまくいく」という日本語タイトルはうまくないと思う。私はインド系の顔も苦手なうえ、このタイトルが好きになれないために長い間敬遠していたのである。
映画タイトルは映画の顔だから、責任が重い。
なお、この映画によると、インドの学生の自殺率は世界最高らしい。
(以下引用)
私も年功序列制がいいと考えております。アメリカ型の成果主義は、アメリカ人と話して
いても一部の人だけがいいと考えています。年功序列制は、世界に誇る人材育成法
2017年10月5日 木曜日
◆バリの兄貴「日本は年功序列を取り戻すんや!」 バリの兄貴こと丸尾孝俊氏を迎えて(1) 10月4日 大城太
ずっと海外にいる兄貴から見て、今の日本をどのように感じていますか? 特に働く環境をどのように感じていますか?
兄貴:僕がずーっと思っていること。やっぱり、日本はね、勢いよく年功序列を取り戻す必要があると思ってます。いろんな職業の中で、昔は当たり前やった、年功序列制度、これを取り戻してかからんと、助からんやろなと思っています。
これはね、職人さんに限らず、いろんなオフィスや営業の仕事においても、やっぱり経験を積んだ人が、常に上司にある状態。どっちかいうたら、立派な大学出たから出世街道でキャリアという考え方よりも、いかに実際実務をこなしてきた方かというのが肝心。よりよいサービスや、人が唸るモノづくりだったりとかが、欠かせないと思ってます。
大城:私も年功序列制がいいと考えております。アメリカ型の成果主義は、アメリカ人と話していても一部の人だけがいいと考えています。
旧来の日本型の年功序列制は、世界に誇る人材育成法だと思います。年功序列制だからと言って、若い人にチャンスがないわけではありませんので。
兄貴:この年功序列型の社会をね、じゃーどういうふうに作っていくんですかと。今後の日本は、どういうふうに助かるんだろうな、どういうふうに上向きになるんだろうなと、真剣に考えると、もう一度、高卒であるとか中卒であるとか、こういった若者の就職枠を積極的に設ければ良いと真剣に思ってるんです。
例えば、中卒であったら、高校で3年間、大学で4年間だとしたら、7年間実業実務の修行ができるわけや。7年もあれば、そこそこの板前、コックさんになっていたり、そこそこの経理や人情備わった人事ができたりと社会に通用する実戦向きな成長ができる。実際実務にあたれば、本当の職人さん、本当のビジネスマンを育成、そして誕生可能と考えています。
だから中学や高校を卒業しても、就職先が見当たらん、ましてや大学出ても就職せず将来の検討がつかんような人生だったら、日本は救われないと感じます。企業や社会風潮も大卒でないと採用せん、そもそも残念な傾向やわ。一刻も早く社会で活躍してもらおうと思えば、より若いうちから社会に出さないかん。
それは、丁稚奉公! 住み込み見習い! より若いうちが柔軟や。
大城:適性や本人の希望は大切ですね。就職のためには大学へ、だと本末転倒になっていますね。
それは、大手企業に限らず、どこでも年功序列を見直さなくてはならないということでしょうか。
恥ずかしさを感じる前にたたき込め
兄貴:結果、何が違うか言うたら、貢献率が圧倒的に違う。実際に経験を永年積んできた先輩。それは係長だったり課長だったり部長だったりするかもやが、これら先輩が別に役職なくても20年間培ってきた事があったとしよう。そういった人たちの仕事を的確に、そして上手に次の世代に担わせるためには、一刻も早い入社、より若い時代に入社させること。それこそが業績アップの近道だと思っています。
大学卒業を待って入社させるのではなく、中学、高校、専門学校卒業とともに入社させて、恥ずかしいという感情が薄いうちに、できる人材を育成、形成する。というか、収入がキチンと確立出来るだけの状態を、何とか30代までには構築して、結婚を急いでもらうわけです。子だくさんの日本を目指したい。
現状、高度成長期に人口増加によって構成構築された日本のインフラを維持、カバーする事は、働き手が3分の1になると言われている現状、容易なことではないんや。このままでは大変なことになる。だから一刻も早く、若いうちから就職出来る仕組みを、各企業がこぞって構築する。そういう修行枠を設けるんでもええかも知れんが、そこから社会第一線の先輩方に鍛え上げられた若者と、立派な大学、学校を出て就職したばかりの者と、お互いどれぐらい頑張れるかな? 勝敗は歴然なはずや!
大城:今、兄貴がおっしゃられた恥ずかしさを感じる前というのが、結構ポイントのように思います。
兄貴:立派なカンバンを背負った人、例えば立派な大学を卒業した人、これがぶしつけに仕事ができないといって怒られる。確かに学校は出たけど年期なく1年そこらで出来るわけないのにや。これは本人にとって屈辱的で心理的にも恥ずかしいと感じてしまうねん。
ところが、中卒だったり高卒だったりすると、自分はまだまだ未熟であり先輩に従う事が前提になるわけや。自分も中卒やからようわかる。だからいろんなことを真摯に受け止めやすい。ということは、社会が年功序列を一気に取り戻そうとしたら、見よう見まねで仕事見せてやる事、見せて育てる事。つまりたたき上げや。仕事教えてくれる人、教わった人が身近にあるという状態を継続化するべき、そんなように思います。
今の日本は年功序列が崩れていると思われますか
兄貴:ずいぶん崩れてきたように思います。これは、企業の都合もあるんだろうし、情熱を持ち続けて人を育て続けて常に先頭を走り続けてくれる先輩ばかりとは限らんし、永年続けた仕事が飽きたかのように仕事せん先輩管理職に高い給料を払い続けるわけにもいかん。いろんな問題あるんやと思うんだけど、名刺に役職と別に勤続年数印刷するとか、何とか情熱取り戻し伝統も取り戻さんと残念な事になる。(後略)
(私のコメント)
10月に入っていよいよ秋も深まってきました。今朝は空気もひんやりとして11月の陽気だといいます。私も夏の陽気のボケ気味だったのが、気持ちもシャンとなって気持ちも引き締めていかなければなりません。しかし今年の夏は雨ばかりで夏らしいカンカン照りの日がほとんど無かったような気がします。
政治の世界も、全くわけのわからない事態になっていますが、北朝鮮のミサイルが日本のEEZ内に打ち込まれる事態となり、日本上空をICBMミサイルが横切るとなれば、日本の国民世論も変わってきます。民進党が解党してしまったのも北朝鮮の金正恩のおかげでしょう。
安倍総理はこれを絶好の機会として、衆議院を解散に打って出ましたが、憲法改正も視野に入ってきました。今までの自公体制では憲法改正は無理な状況でしたが、希望の党がどれだけ議席を獲得するかにかかってきました。小池氏の日本人離れした強烈な個性はエジプト仕込みなのでしょうか。
最近では、誰も彼もが大学に進学しますが、高校から大学は一番自我の育成に大切な時で有り、本来ならば社会に出て職業訓練を受けるのにふさわしい時なのですが、高校大学と無駄な時を過ごしてしまうと、社会に適応ができない人材を大量生産しているような気がします。
それくらい15歳から25歳頃は非常に大切な時期であり、この時期を漠然と過ごしてしまうと一生涯その影響を受けてしまうだろう。高校を出て就職するのと、大学を出て就職するのとでは、会社に対する順応性に大きな違いがあるような気がします。
高校出て18歳くらいの時なら、体力も順応性もあり上司に叱られても未成年だから、仕事ができなくても恥ずかしいと思う気持ちも薄い。しかし大学を出た人が就職して、いきなり仕事をさせてもなにもできるわけがなく、上司に叱られればショックを受けて引き籠もりになってしまう。
私自身も、大学を出て会社に就職して一番こたえたのは、大学時代のルーズな生活から、いきなり生存競争の厳しい社会生活となり、会社の雰囲気に馴染めず会社を辞めたいと思ったくらいだ。高校生活から会社なら比較的順応はしやすいが、大学から会社に入ると、非常に体力的にきつかったように感じた。
手に職を付けるにしても適齢期があり、スポーツの世界でも15歳から25歳くらいがピークになるスポーツが多い。プロ野球にしてもプロサッカー選手にしても一番技を身につけられるのはこの世代だ。だから高校大学と遊んでしまうと手に職が身に付かず、家で引き籠もりになりやすい。高学歴化と引き籠もりは関係がある。
最近では大学進学率が高まり、過半数が大学に進学しますが、これは大学が就職予備校のようになってしまって、卒業証書が就職の条件のようになってしまっている。しかしFラン大学が増えてきて、能力の伴わない大学卒業者が増えて、社会不適応者を大量生産している。
しかし社会も、高度技術者を大量に必要としているから高度専門教育を否定しているわけではない。しかし文化系の大学を出て、会社からいきなりコンピュータプログラムを書けと言われても無理だが、現実にはそのような状況が生じている。医者や弁護士や会計士など高度な学力を必要とする職業も増えてきましたが、若いうちから仕込まないと身に付かない職業も増えている。
現在の教育制度は、高学歴者を大量に生み出しているが、社会とのミスマッチが大きくなってきている。私が銀行員時代に感じたことですが、大学を出たはずなのに、それにふさわしい学力が身についていない大卒者が多かったように感じた。要するに本もろくに読んでいないような大卒者が多いのだ。
だから会社で高度な事を教えようとしても基礎学力がなければ身に付かない。もっと分かりやすく言えば、大学を出ても英語も読めない話せない大学生がほとんどだ。理工系でも数学がわからない大学生では技術者として使えない。鉄は赤いうちに打てと言いますが、大学を卒業してから打っても鉄は硬くなってしまっている。
コメント