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徽宗皇帝のブログ

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宗純氏による「吉本隆明一刀両断」
「混沌堂主人雑記(旧名)」から「逝きし世の面影」記事の一部を転載。非常に長いので、冒頭(立花隆関係)と末尾(中盤と内容がほぼ同じ)を省略。
実に興味深い記事で、私の持っている吉本隆明の不可解な印象の理由がこれを読んではっきりした。まあ、「共同幻想」という言葉を広めたのだけは大きな功績だと思うが、私はこの「共同幻想」という言葉の説明を読んだことが無いので、自分なりの解釈で使っている。つまり、国家とか政府とかいった、現実に人を縛っているが、その実態が存在しないもの、というものだ。(広義ではあらゆる概念は共同幻想だとも言える。しかし、その概念が人間の世界を動かしている。)政府の建物はあるし、政府に勤める人間もいるが、「政府そのもの」は存在しない。ところが誰かが政府を盾にして徴税したり刑罰を与えたりする。私はそれを自分の創作の登場人物の「アナーキズム理論」の骨子としている。

(以下引用)宗純氏が吉本隆明を斬り捨てる様は、まさに名人の技である。


2012年04月04日 | 社会・歴史 
吉本隆明、新左翼のアイドルか賞味期限の切れた毒キノコか
『吉本隆明逝く』大槻義彦のページ3月19日

評論家 吉本隆明氏が亡くなった。
朝日新聞やNHKなどは大騒ぎ。『戦後最大の思想家』と持ち上げた。
1960年代後半から、新左翼運動のカリスマとなったので、私の大学院生時代から助手の時代には多くの左翼友人たちがこの人物にかぶれていった。
しかし、私はどうしてもこの人が好きになれなかった。
どこかニヒリズムのにおいがした。『真っ当な生き方』を心がけていた私には吉本隆明は危険な思想家であった。
それでも常に興味がわく思想家であった。いわば毒キノコであったが、つい手をだして食べてみたい誘惑に駆られた。
私は真っ当な科学者にあこがれて努力に努力を重ねていたから、このような誘惑に懸命に抵抗した。友人の左翼活動家は次第に私から去っていった。
そして、やがてすっかり吉本隆明のことは眼中になくなったころオウム真理教事件が起こった。
このとき忘れていた吉本隆明が登場した。
彼はこともなげに言い放った。『宗教家としての麻原彰晃は評価する』と。
一体麻原彰晃のどこが宗教家なのだろうか。宗教家とはこんなグロテスクなものか。
なるほど宗教家というものがもともとグロテスクで殺人狂ならば、まさに麻原彰晃は宗教家である。
しかし、吉本隆明は『いい意味での宗教家』と評価したのだった。
ああ、やっぱり、私は吉本隆明に近づかないでよかった。
ニヒリストは毒キノコだった。そういえば彼が『反核、反原発運動』を批判していたことをおもいだした。
反核運動、つまり原水爆廃絶のための運動を拒否していたのだった。
それは単に『典型的な戦後の左翼運動』だからだった。
つまり『新』左翼運動ではなかったからだった。合わせて反原発の運動も批判した。
実際には反原発運動は主に新左翼運動だったのに、である。
ともかく時代は変わった。
そして吉本隆明は死んだ。今にして思えば吉本隆明の思想はどの点からしても誤りであったことが明らかとなった。
麻原彰晃のオウム真理教がまっとうな宗教でなかったことはいまや明らかではないか。
反核、反原発運動は世界的に高く評価されているではないか。
毒キノコは所詮毒キノコである。

『大槻義彦の吉本隆明毒キノコ説』

大槻名誉教授は吉本隆明の実像を科学的に正しく見ているのに、ご自分は『原子力は科学の成果であり原発は危険だが必要です。』との立場なのですから困ったは話ですね。
大槻氏は、『今にして思えば吉本隆明の思想はどの点からしても誤りであったことが明らかとなった』と断定しているのですが、その根拠とは麻原彰晃やオウム(破壊的カルト宗教)への吉本隆明の賞賛と同時に、それと対になっている『反核、反原発運動』(民主運動)への露骨で浅ましい敵意である。
大槻氏も言うように『オウムの悪さ』も『反核、反原発運動の正しさ』も、今では世界でも日本でも誰でもが知っている。
それなら実は吉本の『間違い』や『悪さ』は、例外なく今では誰でもが知っているのです。
一言でいえば、民主主義とか科学的事実に敵対する『毒キノコ』である。
ところが一部の極左のアイドル(カリスマ)だったが、世間的には誰も知らない吉本隆明は、毒キノコの当人が死んだ途端、『戦後最大の思想家』の枕詞で語られているのですから大笑いですね。 
NHKのETV特集『吉本隆明 語る沈黙から芸術まで』なる1時間30分もの長い放送を行うし他の新聞社も歯の浮くような軽薄な意味不明の賞賛を繰り返している。
実は吉本隆明が極左のカリスマとなりえた理由は極簡単で、反戦平和の日本共産党の非転向を非難したことに尽きるでしょう。
永久であると信じられていた大日本帝国の敗北により、共産党の先見性(正さ)は誰の眼にも明らかで有り、この点に関しては右翼を含めて誰一人も批判出来なかった。
その唯一の例外が、この吉本隆明なのですが、彼の屁理屈では、『共産党の反戦の主張は、戦争を止めれなかった』→『だから共産党は悪いのだ』ですね。
この無茶苦茶な主張にネットウョと同程度の社会常識しかない60年代の新左翼はしびれたのです。
『戦後最大』どころか、お馬鹿な子供の主張で支離滅裂。意味をなしていない。
この吉本の理屈が正しいなら同じ意味で、万年助教という屈辱的な原発村からの露骨なイジメに耐え清貧を貫いて40年間一貫して原発の危険性を世間に訴えた小出裕章助教も『原発事故を止められなかった』から原発ムラの御用学者と同じで『悪い』となる。
事実、吉本隆明は無条件の原発賞賛で経団連の米倉会長や石原慎太郎や渡辺恒雄と原発に関してはそっくり同じ凄まじい見解なのです。
ぐるっと360度回ればもとの位置に帰るマゼランの法則で西経180度と東経180度が同じ位置である。
極左のアイドル吉本隆明は、歴史を自分勝手に解釈する破廉恥な極右政治家と同じ思想や政治的立場で、新左翼云々とか戦後最大の思想家とか不真面目であり呆れ果てる。
その主張やお粗末なオツムの程度は、今では漫画中毒のお馬鹿なネットウョよりも遥かに劣ることが明らかなのです。

『知の巨人加藤周一とリトマス試験紙としての吉本隆明』

ブログに加藤周一の『日本人とは何か』に付いて書いていたのですが、奇しくも吉本 隆明が死に、何と驚いたことにこの人物が加藤周一と同じ様に『戦後思想界の巨人』と呼ばれてたらしい。
呆れ返る話です。
大槻義彦氏は吉本隆明をずばり毒キノコと表現しているが大笑いですね。
加藤周一と吉本隆明では、同じ知の巨人でも意味が正反対。
本来なら著作の紹介では出来る限り要約して短い文章にするのですが、加藤周一の場合には主張の内容が深いので、簡単には要約できなくて長文になってしまった。
反対に吉本隆明はその主張の中身が、内容的には何も無い衒学(ほとんどが感情論)であり、1行で要約が可能なのです。
今回の吉本隆明の死でマスコミが特集を組んでいるが、ここで面白いことを見つけました。
マスコミの常連の有名知識人、学識者ですが、この連中が本物か偽ものかのリトマス試験紙として、この吉本隆明が使える。
これは『国民的人気の安倍晋三』のように統一協会(勝共連合)との関係の有無と距離の近さで、その政治家の主張や判断力が本物かニセモノかのリトマス試験紙として、誰でも正誤が簡単に識別できるのに似ている。
胡散臭いが悪賢い内田樹や中島岳志や橋爪大三郎が、今回吉本隆明を褒めちぎっているのは哀れであり、『なるほど』『やっぱり』その主張がニセモノだったと納得する話である。
吉本が何を主張して何を非難していたのかを少しでも考えれば、答えは自ずと明らかなのです。
知恵足らずの馬鹿馬鹿しい極左のゲバ学生ならいざ知らず、知識人を自称するなら、どの面下げて吉本隆明の『正しさ』を主張できるのか。
恥知らずにも程がある。
少しは羞恥心を感じて欲しいものである。
新自由主義を賞賛し小泉改革を手放しで喜び原発推進に狂奔、ついでの破壊的カルトまで賞賛する吉本隆明が知の巨人に見えるとしたら、その人物のお頭の程度(論理的な思考力の有るなし)と極左に対する距離感(政治的な判断力の正誤)が判ろうというものです。

『かんながらの道?の吉本隆明』

バーチャルなインターネット空間ですが、これは私達が住んでいるリアルな現実世界とは必ずしも一致しない。
読んでも面白い、『他と違う意見』の護憲とか左翼系のブログ記事ですが、驚いたことにこれが全て極左の全共闘崩れといって良いほどに多いのです。
これとは対照的に選挙の得票数から考えて普通なら沢山あるはずの共産党系とか護憲左派系は例外的な少なさなのですよ。
余りにも実生活と違いすぎる。
普通の社会人で極左や元新左翼の友人知人がいる人は粗ゼロですよ。
一般の普通の市民には極左と実生活で遭遇する機会そのものが無い。
極左との遭遇は、沖縄旅行をしてヤンバルクイナやイリオモテヤマネコに遭遇する確率よりも低いでしょう。
生息数の絶対数が少なすぎるので、県外の旅行者どころか地元の沖縄県人でも現実に目撃した人は皆無なのです。
ところがネット世界では正反対。
この珍現象はネット空間だけの限定した話ではなくて、実はマスコミ界でも(ネット程では無いが)良く似た状態であることが、今回の吉本隆明の25日のETV特集で証明されたようです。
あれは酷すぎた。批判する気も起こさない代物。
ご自身で極左上がりを自認しておられた元マスコミ人の岩下俊三さんの例もあるが、マスコミ界には今でも元極左の全共闘崩れやそのシンパが不思議なことに沢山いるのですね。
吉本隆明のまともな日本語で無いぐちゃぐちゃの日本語表現ですが、これらの吉本用語の『関係の絶対性』などのらりくらりして雲を掴むような話で徹底的に抽象的で、そもそも内容自体が何も無い。
いくら読んでも何を書いてあるかが誰にもよく判らない。
ところがこの『誰にも良くわからない』ところが全共闘連中には馬鹿受けしたのですから大笑いですね。
何故なら、吉本の誰にも判らない抽象的なぐちゃぐちゃの観念論とは、逆に『何にでも自分勝手に当てはまる』ことでもあるのですよ。
NHK放送の1時間半ものETV特集での吉本隆明の講演内容を文字に起こしてみれば、この事実は誰の眼にも明らかでしょう。


『趣味の悪いブラックジョーク』

知恵足らずの極左にとって超難解な言葉を駆使するとらえどころの無い吉本隆明は、そもそも新左翼は勉強不足で社会科学に疎いので何となく賢そうに見えたのですね。
基本的に何にでも当て嵌まる万能薬とは何の効能も期待できないが、吉本隆明の場合には具体的個別的問題に答えた時の荒唐無稽な主張の出鱈目ぶりが際立っていた。
到底正視に耐えない徹底的な『お粗末さ』と『悪質さ』のコラボレーションなのです。
例えば原発問題を見ればこの東工大出の吉本隆明の科学知識がどの程度のレベルかが誰にでも明らかです。
だからNHKでもその他のマスコミでも『戦後最大の思想家』とは宣伝したが具体的な、お馬鹿過ぎる発言例は意識的に避けていた。
当たり前です。
原発村の住民以上の歯の浮くような原発賞賛なのですから呆れ果てる。
加藤周一のような『知の巨人』ではなくて、一字違いで大違いで吉本隆明の場合は『痴の狂人』だったことは具体的な事例に当たれば誰にでも判るレベルなのです。
こんなお粗末な吉本隆明の言葉に簡単に簡単にだまされるとはオウムの麻原にだまされた理科系の高学歴の信者の社会性の無さと共通する。
無邪気な軍国少年だった吉本少年だったが、良く考えれば1945年当時、そもそも20歳の大学生ですが、特攻隊の予科練よりも年上であり到底『子供とは言えない』のですよ。
しかも、敗戦後も自分の今までの間違いに気が付かず、敗戦後に転向した知識人を攻撃した。
ついでに非転向の共産党も同じように口汚く攻撃した。
反核兵器運動も左翼運動だからとの理由で攻撃した。
今では正しいことが誰の眼にも明かな、『反原発』も攻撃した。
しかも吉本隆明少年の場合、反省も無しで態度も変えなかった67年前の敗戦時と同じで、去年の福島第一原発の爆発後でも態度を変えないし反省もしない。
事実によって、今までの自分の主張の間違いが完膚なきまでに明らかになっても、主張を変えず以前のまま。
まったく自分の間違いを認めようとはせず、今までの狂気の態度を変えなかったのです。
これは社会性がまったく無い、頑是無い幼児以上に子供染みていて無茶苦茶。
少しも面白くないブラックジョークですね。
今度のマスコミによる『吉本劇場の悪ふざけ』ですが、不思議なことに元新左翼系の政治ブログは完全無視なのですよ。
誰も取り上げない。
理由ですが、多分ネットのブログとは一方通行のマスメディアとは性格が大きく違い双方向。それなら『戦後最大の思想家吉本隆明』何て、マスコミと同じことを自分のブログに書いたら批判が殺到することは間違いないし、自分の阿呆ぶりが丸出しになる。
政治ブログの大炎上間違いなし。
かといって自分で昔信奉していた吉本隆明の毒キノコの正体が判っても今更手のひら返しで批判もできない。
どちらにしても福島第一原発事故以後では『吉本隆明』は極左にとっては鬼門で、なんとも都合が悪い。
だから結果的に新左翼系政治ブログでは吉本は完全無視で、それ以外には何も出来なかった。

『1時間半の吉本隆明ETV特集を見る』

記事で新しく吉本隆明の実像を批判するに当たって『つまみ食い』程度で、ETV特集『吉本隆明 語る~沈黙から芸術まで~』を一回も完全に見ないではフェアではないので、NHK番組を最初から終わりまで1時間30分の間、苦痛ではあるが何事も修行の心算で視聴する。
結論を先に言うとまったくの時間の無駄だった。何ら目新しいものは一つも無い。
一言でいうと『意味不明の単なる低級な言葉遊び』ですね。それ以上でもそれ以下でもない。
あえて指摘すると、この吉本隆明講演の『無いよう』(『内容』の転換ミスだが此方のほうが意味的には合っている)ですが、高齢者の介護施設に行けば今回の吉本隆明の抽象論の『言葉遊び』程度の御粗末な話よりも、もっと具体的で誰にでも理解出来る『内容がある』素晴らしい話が必ず聞けますよ。
それにしても内容の無さが酷すぎる、何故編集して30分以下に短くしなかったのか不思議な話である。
吉本隆明の最大の売り(キーターム)の『自己表出と指示表出』であるが自分の本では、
>『指示表出と自己表出を構造とする言語の全体を、自己表出によって意識からしぼり出したものとしてみるところに、言語の価値はよこたわっている。あたかも、言語を指示表出によって意識が外界に関係をもとめたものとしてみるとき言語の構造につきあたるように』<
と、最初から最後まで意味不明の言葉のマジックで煙に巻いている。
ところが喋らすと肝心の『表出』の意味は『表現』と同じで、『自己表出』とは頭の中で考えたこと、『指示表示』とは『コミュニケーション』と同じであると手品のネタ晴らしを行うのですから、これでは詐欺師としては失格です。
喋る間中途切れることなく、意味なく両手を間断なく動かしていたが元プロボクサーのムハメド・アリと同じで可哀想に脳障害を起こしているのだろう。
今回のように『判りやすく』話をしてはインチキが丸判りで絶対に駄目なのです。吉本隆明が最も大事だと主張した沈黙の『自己表出』ですが、小さな子供でも可能です。否、コミュニケーション能力に劣る乳幼児の方が大人よりもっと優れている。
もっと言えば人間でなくても犬でも可能である。基本的に吉本隆明の主張には何の意味も無いのですね。
とんでもなく難解な吉本方言を駆使して『誰が読んでも判らない』ところにこそ意味があったのです。


『グロテスクな毒キノコが魅力的に見えた?』

何度読んでも誰にも判らない。ところが多くの人々は善良に出来ている。
しかも日本人は謙譲の美徳も心得ている。
自分が『良くわからない』のは→自分の『理解力が足らない』からだと善意に善意に解釈して仕舞うのです。
それ故に『吉本隆明は凄い思想家』だと勘違いした。
しかも多くの新左翼活動家は不勉強で歴史に疎かった。
半世紀前の日本浪漫派や京都学派の悪行を、まったく知らなかったので簡単に騙されたが、これは高尚な哲学思想の話ではなくて、インチキなリフォーム詐欺に引っかかった高齢者が振り込め詐欺にも騙されるという、柳の下にドジョウが二匹いた阿呆臭い笑い話である。
吉本の『主張』とは、そもそも坊主の説教とかキャリア官僚の答弁書と同じで、実は『誰にも判らない』ようにと、わざわざ不明瞭に小難しく書いてあるのですよ。
『戦後最大の思想家』吉本隆明の思想とは、半世紀ほど周回遅れでやってきた日本浪漫派と京都学派の二番煎じである。歴史的な視野で冷静に判断すれば『だまし』に使用されている『手口』がまったく同じである。
それ以上でもないし、それ以下でもない遅れて生まれた一卵性双生児である。
(日本浪漫派と京都学派と瓜二つの吉本隆明なので双子ではなく三つ子?)
彼等三者の『主張』の際立った特徴とは、話が抽象的過ぎて全てに当て嵌まる可能性があるのですが、一たん具体的個別的な話に言及すると様子が一変、悲しいかなその支離滅裂な主張が明らかになる所でしょう。

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