「反戦な家づくり」から、容量関係で引用部分の前後をカットしたが、特に誤解を招く引用の仕方にはなっていないと思う。
引用内容に賛同しての引用ではなく、議論の参考にするためのものである。いや、不賛同というわけでもない。部分的には同感のところもあるが、どこがどうと私の中で明確になっていないので、今は単に今後の議論のためのメモである。
とりあえず、簡単に言えば、「国体護持」とは何か、というのは論者それぞれに勝手な定義づけをしているように思うのである。天皇家だけの問題か、日本という国の文化的伝統まで含めての話か。妙な言い方だが、私の頭を切り取って、安部や橋下の体にくっつけたら、それは誰なのか。私の自我(国体)は維持されたことになるのか。天皇という「頭」がアメリカという頭に挿げ替えられたら、それでも国体は護持されたということになるのか。
天皇家を「日本の所有者」であったと仮定したら、その財産権をほとんど放棄した時点で、国体の主体者ではなくなったと見るべきではないのか。憲法に昭和天皇の御名御璽があるから、など屁理屈にしか思えないのである。
アメリカの公文書にある記述についても、「谷間の百合」さんと同じく、なぜその記述内容が全面的に信頼できると思うのか、私には分からない。自国(米国)や時の米国政権に有利な話を作って、それを公文書に記述するなど、占領国には簡単なことではないか。
(以下引用)
原爆という凄まじい大量破壊兵器をつかって非戦闘員を大虐殺したアメリカの犯罪は揺るがないけれども、国体護持のためだけに敗戦を認めなかった日本の責任も決してなくなりはしません。
そして、沖縄を捨て石にした罪も。
国体護持
つまり、天皇を頂点とした大日本帝国の権力体制の延命のために、沖縄を盾にして時間を稼ぎ、いよいよ降伏したあとは天皇自らの意思で米軍に沖縄を貢ぎ物のように差し出し、形の上では本土復帰した今でも貢ぎ物のままで据え置かれているのです。
一般には、天皇は権力を失って象徴になり、戦争の首謀者は戦犯として裁かれ、多くの政治家や官僚が公職追放になったことで、「国体護持」はなされなかった、と思われています。
憲法も変わり、国名も 大日本帝国から日本国になりました。
しかし、私は「国体護持」は成功したのだと考えています。
政治権力は失ったとはいえ、最高責任者が責任を問われなかったこと。
岸信介や石井四郎(731部隊)に代表されるように、アメリカと取引した人間はのうのうと生き残り、あまつさえ総理大臣にまでなっていること。
政治権力の主体となった自民党の半数は、実態的にも思想的にも大日本帝国のままだったこと。
日本国憲法に「御名御璽」があること。(ドイツ連邦共和国基本法にヒットラーのサインがあるようなもの)
そうしたことから、政治権力がまるっきり入れ替わる革命ではなく、修正は施されたけれども、大日本帝国の体幹は維持されてしまったのだと判断せざるを得ません。
沖縄を貢いでまでアメリカに取り入った天皇や大日本帝国の幹部たちの「努力」の成果であったと同時に、自分たちの力で新しい国を準備できなかった日本国民の限界でもあったと思います。
昭和天皇が、保身の為に沖縄をアメリカに貢いだことは、アメリカの公文書にはっきりと残っています。
上の原本のコピーは沖縄県のホームページに掲載されています。
(クリックするとリンクします)
公式の訳はないのですが、こちらのサイトが訳文をつくってくださっていますので、一部引用させていただきます。
括弧は私の補足です。
(左側はアメリカの対日政治顧問であるW.J.シーボルトが国務長官宛てに書いたもの)
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
(右側は天皇の秘書が伝えた天皇の意向を、シーボルトがマッカーサー宛ての覚え書きにしたもの)
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような“事件”をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――二十五年ないし五十年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。
(引用以上)
できれば、元記事で全文をご覧になってください。
5月にも私はこのテーマで記事を書いています。
その時は、「擬制」という言葉について書きました。
擬制というとわかりにくいですが、原文では fiction つまり 虚構 です。
「日本の主権という虚構」 これほど戦後日本を象徴する言葉はありません。
今日は、「私利に大きくもとづいている希望」にこだわってみます。
原文では a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest です。
試しにGoogle翻訳してみると 「疑いもなく主に自己利益に基づく希望」 となりました。
self-interest を調べてみても、私利、私欲、利己心 とろくでもない意味しか出てきません。
では、天皇の利己心とはなんでしょうか。
この文書の日付は1947年9月22日ですから、すでに象徴天皇とした憲法は施行されています。
つまり、単純な命乞いではない ということです。それはもう決着しています。
東京裁判はまだ続いていましたので、A級戦犯の減刑を狙っているとも考えられますが、それでは「利己心」ではありません。
1947年は中国の内戦で、スターリンと手を結ぶことで勝利目前と思われた蒋介石・国民党にたいして、毛沢東・共産党が急激な反撃を始めた時点になります。
国内においても、共産党は合法化されて国会に議席を得つつ、武装闘争も繰り広げていました。2.1ゼネストはGHQに潰されたとは言え、昨今の労働運動とはまったく異次元のものでした。
天皇をふくめて、大日本帝国を引き継いで日本国を担っていた人たちにとって、最大の恐怖と関心は、革命を起こさせない ということだったのは間違いありません。
つまり、天皇の利己心とは こういうことだったのでしょう。
「ここで米軍に撤退されてしまったら、日本でも革命が起きてしまう。そうなったら、せっかく象徴として生き残ったのに、今度こそ戦犯で処刑されてしまう。お願いですから、このまま日本を支配してください。沖縄を自由にしていいですから。」
■
このときの天皇の利己心は、71年たった今日も、そのまま沖縄に呪いのように覆い被さっています。
今の日本の 良い面も悪い面も、沖縄の犠牲の上にできあがってきたということから、目をそらしてはなりません。
米軍に占領されている という面はもちろんです。それは本土の人たちも、十分に理解しているでしょう。
しかし、そればかりではありません。
戦後民主主義を謳歌し、世界2番目の経済大国になったことも、沖縄の犠牲の上にあったということを、本土のリベラルの皆さんは、直視すべきです。
引用内容に賛同しての引用ではなく、議論の参考にするためのものである。いや、不賛同というわけでもない。部分的には同感のところもあるが、どこがどうと私の中で明確になっていないので、今は単に今後の議論のためのメモである。
とりあえず、簡単に言えば、「国体護持」とは何か、というのは論者それぞれに勝手な定義づけをしているように思うのである。天皇家だけの問題か、日本という国の文化的伝統まで含めての話か。妙な言い方だが、私の頭を切り取って、安部や橋下の体にくっつけたら、それは誰なのか。私の自我(国体)は維持されたことになるのか。天皇という「頭」がアメリカという頭に挿げ替えられたら、それでも国体は護持されたということになるのか。
天皇家を「日本の所有者」であったと仮定したら、その財産権をほとんど放棄した時点で、国体の主体者ではなくなったと見るべきではないのか。憲法に昭和天皇の御名御璽があるから、など屁理屈にしか思えないのである。
アメリカの公文書にある記述についても、「谷間の百合」さんと同じく、なぜその記述内容が全面的に信頼できると思うのか、私には分からない。自国(米国)や時の米国政権に有利な話を作って、それを公文書に記述するなど、占領国には簡単なことではないか。
(以下引用)
原爆という凄まじい大量破壊兵器をつかって非戦闘員を大虐殺したアメリカの犯罪は揺るがないけれども、国体護持のためだけに敗戦を認めなかった日本の責任も決してなくなりはしません。
そして、沖縄を捨て石にした罪も。
国体護持
つまり、天皇を頂点とした大日本帝国の権力体制の延命のために、沖縄を盾にして時間を稼ぎ、いよいよ降伏したあとは天皇自らの意思で米軍に沖縄を貢ぎ物のように差し出し、形の上では本土復帰した今でも貢ぎ物のままで据え置かれているのです。
一般には、天皇は権力を失って象徴になり、戦争の首謀者は戦犯として裁かれ、多くの政治家や官僚が公職追放になったことで、「国体護持」はなされなかった、と思われています。
憲法も変わり、国名も 大日本帝国から日本国になりました。
しかし、私は「国体護持」は成功したのだと考えています。
政治権力は失ったとはいえ、最高責任者が責任を問われなかったこと。
岸信介や石井四郎(731部隊)に代表されるように、アメリカと取引した人間はのうのうと生き残り、あまつさえ総理大臣にまでなっていること。
政治権力の主体となった自民党の半数は、実態的にも思想的にも大日本帝国のままだったこと。
日本国憲法に「御名御璽」があること。(ドイツ連邦共和国基本法にヒットラーのサインがあるようなもの)
そうしたことから、政治権力がまるっきり入れ替わる革命ではなく、修正は施されたけれども、大日本帝国の体幹は維持されてしまったのだと判断せざるを得ません。
沖縄を貢いでまでアメリカに取り入った天皇や大日本帝国の幹部たちの「努力」の成果であったと同時に、自分たちの力で新しい国を準備できなかった日本国民の限界でもあったと思います。
昭和天皇が、保身の為に沖縄をアメリカに貢いだことは、アメリカの公文書にはっきりと残っています。
上の原本のコピーは沖縄県のホームページに掲載されています。
(クリックするとリンクします)
公式の訳はないのですが、こちらのサイトが訳文をつくってくださっていますので、一部引用させていただきます。
括弧は私の補足です。
(左側はアメリカの対日政治顧問であるW.J.シーボルトが国務長官宛てに書いたもの)
米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。
(右側は天皇の秘書が伝えた天皇の意向を、シーボルトがマッカーサー宛ての覚え書きにしたもの)
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役立ち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼及び左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような“事件”をひきおこすことをもおそれている日本国民の間で広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄にたいする米国の軍事占領は、日本の主権を残したままでの長期租借――二十五年ないし五十年あるいはそれ以上――の擬制にもとづくべきであると考えている。
(引用以上)
できれば、元記事で全文をご覧になってください。
5月にも私はこのテーマで記事を書いています。
その時は、「擬制」という言葉について書きました。
擬制というとわかりにくいですが、原文では fiction つまり 虚構 です。
「日本の主権という虚構」 これほど戦後日本を象徴する言葉はありません。
今日は、「私利に大きくもとづいている希望」にこだわってみます。
原文では a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest です。
試しにGoogle翻訳してみると 「疑いもなく主に自己利益に基づく希望」 となりました。
self-interest を調べてみても、私利、私欲、利己心 とろくでもない意味しか出てきません。
では、天皇の利己心とはなんでしょうか。
この文書の日付は1947年9月22日ですから、すでに象徴天皇とした憲法は施行されています。
つまり、単純な命乞いではない ということです。それはもう決着しています。
東京裁判はまだ続いていましたので、A級戦犯の減刑を狙っているとも考えられますが、それでは「利己心」ではありません。
1947年は中国の内戦で、スターリンと手を結ぶことで勝利目前と思われた蒋介石・国民党にたいして、毛沢東・共産党が急激な反撃を始めた時点になります。
国内においても、共産党は合法化されて国会に議席を得つつ、武装闘争も繰り広げていました。2.1ゼネストはGHQに潰されたとは言え、昨今の労働運動とはまったく異次元のものでした。
天皇をふくめて、大日本帝国を引き継いで日本国を担っていた人たちにとって、最大の恐怖と関心は、革命を起こさせない ということだったのは間違いありません。
つまり、天皇の利己心とは こういうことだったのでしょう。
「ここで米軍に撤退されてしまったら、日本でも革命が起きてしまう。そうなったら、せっかく象徴として生き残ったのに、今度こそ戦犯で処刑されてしまう。お願いですから、このまま日本を支配してください。沖縄を自由にしていいですから。」
■
このときの天皇の利己心は、71年たった今日も、そのまま沖縄に呪いのように覆い被さっています。
今の日本の 良い面も悪い面も、沖縄の犠牲の上にできあがってきたということから、目をそらしてはなりません。
米軍に占領されている という面はもちろんです。それは本土の人たちも、十分に理解しているでしょう。
しかし、そればかりではありません。
戦後民主主義を謳歌し、世界2番目の経済大国になったことも、沖縄の犠牲の上にあったということを、本土のリベラルの皆さんは、直視すべきです。
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