現在の日本は天皇に政治権力は無いから、本来の意味での「天皇制」ではない、というのは明白だが、一部の人間は「象徴天皇制」にすら不満なようで、日本の文化の歴史の土台であるのが天皇の存在だ、という私の「尊皇主義」とは対立する。もちろん私は「象徴天皇」こそが日本の歴史においての天皇のもっとも本質的な在り方だ、という意見である。ただし、政治が腐敗した時に、それを抑止する「権威」としての天皇を政治制度に組み入れるのがいいのではないか、と私は思っている。それは世界の中で日本だけに与えられた特典・アドバンテージなのである。
下の記事は、言うまでもなくその内容にすべて賛同してのものではなく、一部(古い日本の子育てなど)が読む価値があるからの引用で、これに類した記事は私自身、以前にも書いていると思う。「日本の精神」を褒めたたえながら、日本の欧化が日本人の精神を滅ぼすだろう、というのは、江戸末期から明治初期に来日した多くの西洋人が危惧していたことである。
(以下「混沌堂主人雑記(旧題)」から引用)
下の記事は、言うまでもなくその内容にすべて賛同してのものではなく、一部(古い日本の子育てなど)が読む価値があるからの引用で、これに類した記事は私自身、以前にも書いていると思う。「日本の精神」を褒めたたえながら、日本の欧化が日本人の精神を滅ぼすだろう、というのは、江戸末期から明治初期に来日した多くの西洋人が危惧していたことである。
(以下「混沌堂主人雑記(旧題)」から引用)
虐待~水戸学~維新~天皇家による日本人大量虐殺=第二次大戦 て構図があった。
2021 - 08/14 [Sat] - 09:49
水戸学ってカルト宗教がある。
「天皇の元に平等」って言っている思想が、実際はそれに適応する施策を一切しなかった現在の天皇国が日本人を支配する思想である。
はっきり言って「殺人カルト」
でもなぜにそんな思想が、幕末に燎原の火のように広がったのか。
どうも「下級武士・プチブル的な商人・宗教家の層」は、熱狂的に支持した。
だが、日本人の思想は、水戸学のような「カルト傾向」がベースには無いと思われる。
上記文抜粋・・・・・・・・・・・・・
とても深い意味を持っているので引用します 日本社会に体罰支配が登場したのは明治以降です
2020年12月18日 江戸時代の日本の子育て ~西洋人からの報告~
1873年に、明治新政府の骨格が定まり、国民皆兵徴兵令が出された。
1945年、敗戦によって廃止されるまで72年間、徴兵制は日本国民の心のゆとり、自由な権利を暴力の鎖で縛り付けた。それまで、日本社会には、戸籍を持たない「放浪の自由民」がたくさんいた。
例えば、サンカ・マタギ・木地屋などの山々を渡り歩いて生活する「遊民」である。彼は戸籍も持たず、権力や暴力によって強制される生活の経験が少ないので、徴兵の持つ意味を実感できなかった。
そこで、新政府は西欧流の暴力的な支配を行った。戸籍帰属と定住を強要し、「言うことを聞かない者は体罰・暴力で無理矢理、従わせる」というやり方だった。
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以下引用
今年の4月から子供への体罰が法律でで禁止されたとか。
子供への体罰は以前から、是非をめぐって議論がありましたが、意外と知られていないのが昔の日本の子育てには、もともと体罰がなかったということ。
体罰の考えは、明治以降西洋の教育制度を導入する中で定着したものなのです。
以下(https://blog.canpan.info/feuille/archive/42)より引用します。
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日本は昔から子どもを殴ったり、文字通り“鞭打って”育てていたかというと、歴史的に見るとそうではないのですよ。
子どもを叩いたりする躾は、明治以降の西洋式子育てが伝わってからのことです。
その子育て法が庶民にまで広がったのは、ひとつは明治以降の学校教育によって。
そして太平洋戦争後であるとわたしは考えています。
では、明治以前はどのような子育てをやっていたかというと、江戸時代後期に来日したカール・ツンベルクというスウェーデン人は、その紀行文のなかで、
「注目すべきことに、この国ではどこでも子どもをムチ打つことはほとんどない。
子どもに対する禁止や不平の言葉はめったに聞かれないし、家庭でも船でも子どもを打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」
という日本古来の子育て法をヨーロッパに伝えています。
さらに明治維新後、すぐに来日したアメリカ人の動物学者エドワード・シルベスター・モースは、大森貝塚の発掘や、日本の文化を写真におさめたり、民具を収集したりしたことで知られている人ですが、その紀行文である『日本その日その日』にこう書いています。
「また私は、いままでのところ、お母さんが赤ん坊に対してかんしゃくを起こしているのを一度も見ていない。
私は、世界中に日本ほど赤ん坊のために尽くす国はなく、また日本の赤ん坊ほどよい赤ん坊は世界中にいないと確信する」
「いろいろなことがらのなかで、外国人の筆者たちがひとり残らず一致することがある。
それは「日本が子どもたちの天国だ」ということである。
この国の子どもたちは親切に取り扱われるだけでなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を濫用することはより少なく(中略)
日本の子どもたちが受ける恩恵と特典から考えると、彼等はいかにも甘やかされて増長してしまいそうであるが、しかし世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること日本の子どもほどのものはいない」
と、書き残しています。
ここで二人の西洋人が述べているのは、
「子どもに体罰を与えない」
「親がかんしゃくを起すことはめったにない」
「一見、甘やかしているようであるが、日本の子どもは、両親を敬愛し、老人も尊敬している」
ということでした。
明治時代、日本が見習った西洋式教育法というのは、キリスト教式の教育法で、それがどのようなものであるかというと、旧約聖書にはこうあります。
「まだ望みのあるうちに、あなたの子を打ち懲らせ」(箴言19章18節)
「あざける者をあなたは打つべきである。それは経験のない者が明敏な者となるためである」(箴言19章25節)
これがキリスト教的教育法。
(他にも子どもを鞭打てという文言があったと思うのですが、いまちょっと思い出せない)
欧米に比べると、日本における凶悪犯罪の少なさは、こういった子どもを可愛いがる日本文化と、子どもを家畜のように鞭打って躾る西洋文化にあるのではないかと言う識者は、多くいます。
かつて、子どもに暴力を振るうことが少なく、そうやって育てられた子どもは、親や老人を敬愛し、尊敬していた文化は、だんだんと消えつつあるように思えます。
人間は、幼少期・少年期に親や周囲の人に愛され、可愛がられることによって、他人を信用し、うまくコミュニケーションできるようになり、愛し愛されることが出来るようになると言われています。
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引用以上
久しぶりに、心に触れる文章を見た。幕末から明治初期、日本にやってきた文化人はたくさんいた。
なかには、ペリーやブチャーチンなど、帝国主義の尖兵として日本の隷従を目的にした人々もいたが、純粋に、知的好奇心と文化知識の浸透を目的にした友好的な人々もいた。
ぱっと思いつくだけでも、シーボルト・フォーチューン・ワーグマン・ベアト・ハラタマ・オールコック・サトウ・バートン・シュリーマン・ハーン・バード・ウェストンなど、優れた人物が、ずいぶんたくさんいた。
彼らは、一様に日本人を褒めちぎっているのだ。
古代のトロイアの遺跡の発見者シュリーマンは、幕末に横浜の農村を訪れ、「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」と印象を記している。
アメリカ初代駐日総領事ハリスは、「下田の住民はいずれも豊かではないが、それでも人々は楽しく暮らしており、世界中の労働者で彼らよりもよい生活を送っているものはない」と断言した。
ウェストンは、安曇村の上條嘉門次の人間性を絶賛し、安曇野の人々を世界でもっとも素晴らしいと書いている。
イザベラバードも、辛辣な表現で春日部の人々を非難するようなところもあるが、おおむね日本人の誠実性、優しさを褒め称える表現が多い。
ラフカディオハーン(小泉八雲)は、日本の風土と日本人を愛し、日本人女性を娶り、日本人に同化して、地方の民話収集から、民俗学的に価値ある小説を書いている。
彼らが、日本人の人間性を絶賛したのも、明治中期までである。
それ以降、敗戦後までは、日本社会には暗い人間性崩壊の逸話が無数に生まれた。例えば、津山30人殺し、金子みすゞの自殺、小林多喜二殺害、大杉栄ら、たくさんの冤罪処刑など。思い出すのも辛い事件ばかりだが、日本全体が太平洋戦争という残酷のなかに押しつぶされてゆく暗黒のプロセスだ。
この時代、明治中期から太平洋戦争敗戦までの日本社会の狂乱、傲慢、自滅のプロセスを直視し、それが何によって起きたのかを知ることは、未来社会を用意する我々の責務である。
この時代が、どのようなものだったか? 民俗学者の柳田国男が「山の人生」のなか書き留めているが、この風景を直視することも本当に辛い。
私は、たくさんの民俗文献を目にしてきて、結局、これらの人間性崩壊を生み出したものは、「徴兵制による暴力」ではないかと思い始めた。
「言われたことをやれ!」、一切の弁解を許さない。支給された靴が足に合わなければ、「足を靴に合わせろ」と言われ、不満を述べようものなら、徹底的に殴り倒された。
私の父も三河で徴兵され、中支戦線からビルマに送られ、最後はインパール作戦に放り込まれたが、軍隊のなかで、無数の暴力を受けた。
晩年、認知症を発症したのも、母親によれば、軍隊で散々頭を殴られて意識を失ったせいだという。
骸骨のように30キロまで痩せて舞鶴に帰還した父親は、元の国鉄機関士に戻ったが、軍隊生活で体に叩き込まれた暴力の肯定から自由にはなれなかった。
私は、物心ついてから、絶えず父親に殴られ続けた。だから父親を死ぬまで許せなかったし、葬儀でも何の感情も湧かなかった。「ほっとした」というのがホンネだ。
父は、私を高学歴のインテリしたかったようだが、そんな父の思惑には反吐が出た。私は父の思い通りにならないことで、ささやかに抵抗したのだ。
私だけではない。徴兵された日本中の男たちが、軍隊における暴力を身につけて帰還したから、戦後日本社会は、暴力沙汰の嵐になった。
帰還兵が家族を殴り殺すなど、珍しくもないニュースだった。これはベトナム戦後のアメリカ社会でも同じだ。
上のリンク、柳田国男「山の人生」には、そんな人間観に洗脳された人々の逸話がたくさん出てきて、暗い時代の日本社会を可視化している。
だが、本来の日本社会は、そこまで暗く残酷なものではなかった。もし、徴兵制の暴力がなかったなら、本来の日本人は、ウェストンやハーン、サトウ、バードが紹介したような、自然と調和した心豊かな人間性だったのだ。
冒頭にリンクした、「江戸時代の子育て」に描かれている優しさは、徴兵制のない時代のものだ。これが、徴兵制という暴力のない日本人の心優しい姿である。
そこで、「国家による暴力支配=徴兵」というシステムが、どれほど我々を荒ませるものか、よく知っておく必要がある。
私は、日本社会が徴兵制に向かっている深刻な現実として「裁判員制度」を挙げてきた。強制された裁判員の動員は、もはや徴兵制そのものではないか?
裁判員制度は何を目的にして作られたのか? 2009年03月22日
裁判員制度が始まった 2009年05月24日
残された右傾化スケジュールは徴兵制だけか? 2019年05月02日
徴兵制とともに、再び人間性を崩壊させられ、優しさを見失ってゆく日本社会。
こんな時代に抵抗しないとすれば、それは、自分自身の未来をも貶めるものではないだろうか?
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抜粋終わり
そもそも「体罰・虐待が、脳を破壊する」と、近年の研究で明らかになってきた。
下級武士は、過酷な環境での「強い子」を育てるためにかなり「虐待近似」の教育をすることが多かったようだし。
吉田松陰も、神童だったそうだが、かなりの「強烈な詰め込み教育」を受けてたし。
徳川慶喜は親父が水戸学信者の徳川斉昭だったので、「寝相が悪いので、布団の左右に白刃を置いて、それを強制された」とか、これだけでも「教育虐待」を予想されるエピソードがある。
またプチブルも、一度得た地位・富を守るために子供に「過剰な要求」をして、その子の適否とは無縁の「強要的教育」をしているのは、現今の世情を見ても了解できる。
体罰の横行は、明治と戦後になるが、それに近似した「教育虐待」で、脳を損傷し、人格・思想がゆがんだと思われる。
そう思う一因は、現在の日本のアスリートは、大体が「権主義的で、自公政権を無条件に支持して信奉している」ってのでもある程度わかるだろう。それも海外の「先進国・民主国家」と違いあまりに「独裁国家並み」の政権与党支持の高さは、愕然とするほど。
日本のアスリートは、かなり「体罰・虐待」的なものを、今まで普通の受けてきている。それを「正しい事」と認識していると、当然に他者に暴力やそれでなくても「権力の乱用」を平気にできるようになる。
アスリートと言わなくても「部活動」だけでも、十分に「体罰・虐待」が横行していたので、その「体育会系」の連中が、ほぼ脳を損傷して「いびつなゆがんだ思想」になっているのは、明白な事と思われる。
虐待・体罰が、「下級武士・商人や宗教家のプチブル層」に横行するようになり、それの延長で、当然に「カルト宗教水戸学」が繁盛する。
下級とは言え武士は、当時は「社会を動かす実働層」で、そこがカルトに汚染されると、当然社会は、衰亡していく。
虐待とカルトの成れはて・・ともいえる「維新」
国家レベルで言うと「外資によるステルス植民地化」だったが。
それを敗戦でもっても「否定」できなった。
そのためもあり、体罰・虐待は、「退役兵士」や「無責任官僚」たちの手により、完全に、日本の家庭を支配するようになったとみてもいいかもしれない。
まあ「すべての家庭」ではないが、「体罰・虐待支配」の家庭が、明治以前よりも、戦後に圧倒的に増えた・てことだと思う。
日本が「DV大国」になり、多くの人が生きづらい と感じるようになっているのは、一つは「明治維新」「水戸学」にあり、それを「敗戦の責任を天皇が一切取らない」ことで、爆発的にその「生きにくい環境」が増えたからとてのが、一つの仮説と思われる。
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