1月1日16時10分に能登半島で発生した地震の報道を見ていて感じたことは、なぜか被害がひどく矮小化されて、最初は、死者数名~数十名の、それほど深刻ではない地震であるかのような印象を持たされた。
以下は、発生から12時間以上経過した段階での記事。
石川県で震度7 死者4人、各地でけが人 輪島港で1・2m津波 「令和6年能登半島地震」命名 2024年1月2日5時6分
そして、発生から9日後の記事
【能登半島地震】死者202人に 火災の輪島「朝市」で大規模捜索、安否不明は120人 2024年1月9日 13時37分
被災死者は200名を超え、さらに安否不明者が120名いるというのだから、最終的に死者数が300名を超える可能性が見えている。
1月1日~2日あたりの、緊迫感のない報道を視聴していた誰が、死者数が300名を超える巨大災害になると想像しただろう?
ほぼ1993年の奥尻島地震に匹敵し、それを超える震災被害が出ているのだが、30年も前の奥尻地震のときは、発生直後から凄惨な震災被害がリアルに報道され続けた。
だから、日本中が大騒ぎして、救援物資も殺到したのだが、今回の能登地震では、なぜか当初、被害が軽いように報道されたため、救援体制がひどく遅れた、
また、台湾など他国救援隊が救援を申し出たのが、なぜか日本政府は「ニーズがない」として、それを拒否した。
石川県の馳浩知事が「非常事態宣言」を出したのは、実に発生から5日後のことだった。死者が126名に増え、さらに被害が想像以上に深刻であると認識されたからだ。
東京都の有名な「ハイパーレスキュー部隊」が出動したのも、なぜか地震から8日も経た1月8日だった。
1月2日の報道では、阪神大震災のように家屋が押し潰された映像は非常に少なかった。津波警報が出た後も、輪島の映像では、ほとんど影響がないように見えた。
だが、実際には珠洲市で、高さ4.5mの津波が押し寄せていたのだ。
家の倒壊も当初の報道では想像もできないほと多く、行方不明者、死者の大半が家屋倒壊の下敷きになっているものだった。
緊迫感、喫緊の非常事態でないかのような不可解な初期報道の結果、奥尻地震や阪神大震災、東日本大震災に比べて、能登地震に窮迫した深刻さを感じた人は少なかったように思える。だから、上の地震のような初期救援体制は作られなかった。
だが、そのとき、数千軒の家屋が倒壊し、数百名の人々が下敷きになり、津波に襲われていたのだ。
この人たちを救命するには、一秒でも早いがれき除去が必要だった。
もし、それが報道されていれば、たくさんんの人が力を併せて倒壊家屋の下敷きになった人々を救えたかもしれなかった。
だが、メディアは、能登に救援に向かう人たちに対し、「邪魔になるからやめろ」と報道し、抑圧したのだ。
メディアのどこが、人々が家屋の下敷きになっている緊迫した危機を報道しただろう? なぜ、メディアは深刻な被害の実態をきちんと報道しなかったのか? なぜ、一般市民の救援を邪魔したのか?
どこかから、震災被害を軽く見せろと圧力がかかっていたのか?
「震災被害を軽微に見せる」それを断固として実行したのが、もし稼働していたならフクイチ事故のように北陸地方を全滅させ、数百万人もの住民を福島のように「彷徨える民」にしていたにちがいない北陸電力、志賀原子力発電所だった。
もしも志賀原発の本当の被害がすみやかに報道されていたなら、日本国民はその恐ろしさにすくみあがったことだろう。
私は、原子力規制委員会の原発安全緊急メールに登録しているので、規制委員会が発表したメールを紹介しておく。
この規制委員会による緊急情報は、原発が震度4以上の揺れに遭ったときに登録者に通報される。
全部で9回届いたが、志賀原発での震度4以上は数十回あったのに、なぜ、こんなに少ないのだろう?
(徽宗:メール内容省略)
以下、無内容につき省略
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引用以上
私に届いた原子力規制庁からのメールは、すべて「異常なし」であった。
実際にはどうだったのか?
我々は、2007年に発生した(新幹線を脱線させた)中越沖地震で、柏崎原発でかなり大きな変圧器火災が発生した事例を知っている。
このときも、東京電力と原子力規制委員会は、「異常なし」の発表しかしなかった。
実際には、柏崎原発が黒煙に覆われるほど激しい火災が起きていて、周辺住民は原発事故になるのではないかと強い不安を抱かされた。
今回の志賀原発被災でも、実は同じことが起きた。ただ火災には至らなかったものの大量の変圧器冷却油が漏れて、周辺海域を大きく汚染した。
志賀原発で変圧器の配管が破損、3500リットル油漏れ…外部への放射能の影響なし2024/01/02
当初の発表は、絶縁油が3500リットル外部に漏れたというものだったが、それが海域汚染していることは隠蔽された。
だが、それではすまなかった、実際に漏れた量は、5倍の約20000リットルだったのだ。
2024-01-05 北陸電、油漏出は1万9800リットル=志賀原発2号機の変圧器―能登地震
その一部は、海を汚染したが、100ミリリットル程度と発表された。しかし、嘘つき原発の発表を誰が信じるだろうか?
今回、原子力規制委員会は、志賀原発の地震による変圧器破損、2万リットものオイル漏れについて、完全に無視し、「異常なし」と発表している。
柏崎原発の変圧器火災とまるで同じだ。
実は、変圧器の絶縁油にはPCBが含まれていることが知られている。
これが海に漏れたのだ。PCBは1968年に「カネミ油症事件」を引き起こした。
米油に混じったPCBを数千人の人が摂取した結果、深刻な大きな被害が出て、日本の食品公害を代表するような事件にもなっている。
このPCB変圧器油の大規模な漏洩事件を、原子力規制委員会は「異常なし」報告でもみ消そうとしているのである。
私は、能登半島巨大地震の被害報道が、300名の死者に比べて、当初、ずいぶん矮小化された理由について、政府が志賀原発の被害を軽く見せようとしていた意思を感じる。
後になって、報道されていなかった被害地域の実情が分かるにつれて、もうもみ消すことができずに、次々に救援体制の拡大を迫られているが、もしも世界最大級の日本列島断層上に建設された志賀原発が、もの凄い被害を出していることが知られたなら、もう二度と志賀原発の再開は不可能になるということが、政府関係者の頭にあり、かつ報道を統制する原発村の守護神である電通が、報道の矮小化を求めたとしか思えない。
だが、初期報道で事態の深刻さが伝わらなかったことで、倒壊家屋の下敷きになった、助かるべき命が助けられなかったと私は思う。
なんとかして原発存続を守ろうとするあまり、あらゆる被害を矮小化し、隠蔽する政府の意思は、今も健在だと思うしかない。
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