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徽宗皇帝のブログ

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高梁川という名前の記憶
昔、小学校の社会科で、高梁川と何とか川に囲まれた地域は川の底が川の周囲の土地より高く、川の増水で水が堤防を越え、洪水被害が出やすいところだ、と習った記憶がある。高梁川という名前の漢字が奇妙だった(漢字だけ見ては読めなかった)ので印象に残っている。
問題は、50年以上も前から洪水の危険地帯だと社会科の教科書で習うくらいだのに、そういう場所に住宅地を作るということをやってきたことだ。
50年に1ぺんくらい、来るか来ないかの災害だから、覚悟してそこに家を作り、住んでいたのだとは私は思わない。おそらく、住んでいた人の大半は、そこが危険地帯だということすら知らないで「家を買わされた」「土地を買わされた」人々ではないのか。では、こういう災害が起こった時、その土地の危険性を購買者に知らせないで売った側に対して何かの罰則はあるのだろうか。無いと私は思う。売り得、逃げ得だと思う。
これは戦争と同じパターンだ。戦争が終わると国民は、戦争は二度とこりごりだ、と思い、戦争に反対する。だが、年月が経ち、戦争の記憶が薄れ、戦争に無知な若者が社会の多くを占めるようになると、また「戦争で金儲けをする連中」が、「国を守れ」「軍備をしろ」「敵に備えよ」「戦争ができるように法体制を整えよ」と言い出すのである。


(追記)今調べると、高梁川が「天井川」であるというのは私の記憶違いかもしれないが、洪水の多い川だったことは確かなようだ。ウィキペディアから転載する。


現在の倉敷平野部では、高梁川の洪水に幾度も悩まされたため、度々河川の改修・治水工事が行われた。その後、1907年(明治40年)から始まった改修で東西の分岐点が、古地から現在の倉敷市酒津で東西に分岐するように変更され、東高梁川東松山川)、西高梁川西松山川)となった。旧分岐点から新しい西流(西高梁川)までの流路は柳井原貯水池となり現在に至る。[2]



(以下引用)











 西日本を襲った記録的な豪雨による犠牲者はさらに増え、毎日新聞の10日午後9時現在のまとめで、死者は13府県で159人に上った。新たに鳥取県で死者1人が確認された。安否不明者も依然として56人おり、被害の全容は見えない状況が続くが、多くの高齢者が河川の氾濫で犠牲になった様子が浮かんできた。


 地区の約3割が水没した岡山県倉敷市真備(まび)町では、警察や自衛隊が水の引き始めた地域を中心に捜索。10日には男女18人の遺体が新たに見つかった。この地区の犠牲者は計46人に達し、県内で亡くなった人の8割超を占めている。


 真備町地区の死者をみると、年齢が判明した35人のうち30人が65歳以上の高齢者だったことが、県への取材で判明。70代の女性は家族と一緒に避難中にはぐれて死亡。90代の男性は自宅1階のベッドで遺体で見つかった。いずれも水死とみられる。身元不明者の中にも、高齢者が複数含まれている可能性がある。


 この地区では1級河川・高梁川水系の支流の堤防が決壊。短時間のうちに多くの住宅が濁流に次々とのみ込まれ、災害弱者の高齢者が避難できないまま犠牲になった状況がうかがえる。


 また、広島県でも被害の拡大が確認された。主要道路や交通網の相次ぐ寸断で「孤立状態」に陥った呉市で、新たに5人の死亡が確認された。市内では天応地区や安浦地区を中心に土砂被害が広範囲に及ぶ。市内の死者は計13人になり、現在も10人以上が安否不明のままになっている。


水が引き、地面が見え始めた真備地区=岡山県倉敷市で2018年7月10日午前10時14分、本社ヘリから小出洋平撮影 © 毎日新聞 水が引き、地面が見え始めた真備地区=岡山県倉敷市で2018年7月10日午前10時14分、本社ヘリから小出洋平撮影

 多数の住宅が大量の土砂で流された同県熊野町の住宅街「大原ハイツ」では、安否不明になっていた3人の死亡が確認された。


 国土交通省によると、崖崩れなどの土砂災害は10日午後1時現在、29道府県で424件発生した。


 一方、気象庁によると、被災地では10日も午前中から気温が上がり、各地で真夏日になった。愛媛県大洲市(34・8度)や岡山県倉敷市(32・8度)は今季最高を更新。被災地では多くの住民が避難所生活を強いられており、同庁は熱中症への注意を呼びかけている。


 岡山、広島両県では、JR山陽線(笠岡-海田市間)は復旧のめどが立っておらず、JR西日本は同区間の利用者に対し、山陽新幹線による代替輸送を9日から続けている。区間内の定期券などを6日までに購入した人が対象。【高橋祐貴、松本紫帆、隈元悠太】






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