"メモ日記トゥディ"カテゴリーの記事一覧
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今日の分の「メモ日記トゥディ」は先にアップしたが、先ほど目にふれた文章の中に、重要な情報があったので、備忘のために書いておく。
現在、検察が政治を壟断していることが大きな問題になっているが、その遠因が「政党助成法」にあったというのが、森田実の1994年の著作から分かったのである。
森田実は、言うまでもなく小泉改革に反対してマスコミから追放された硬骨の政治評論家だが、似た名前の政治評論家「大森実」と混同している人も多いだろう。その森田実の「官僚とマスコミ大批判」という副題を持った著書『日本をダメにする二つの守旧派』に、現在の政治状況に関わる情報がある。全部引用すると長くなるので、その概略を書く。
(政党助成法は)日本の政治に深刻な矛盾を引き起こす危険がある。
第一に、政党助成金は国民の税金によってまかなわれるため、政党に不祥事が生じた場合は行政府の会計検査院の検査を受けねばならない。
第二に、政党そのものが、これまた行政府の検察当局の追及を受ける対象になる。
従来は(政治家個人の不祥事は別として)政治家の集団である政党そのものは、破壊活動防止法などの例外はあるが、基本的に行政府にとって不可侵の存在であった。これが政党助成法によって行政府に従属的な側面を持つことになる。これは国会を国権の最高機関であるとする憲法の規定に矛盾する。
さらに、政党助成法は、政党の党内民主主義を破壊するおそれが強い。政党助成金を一手に握ることができるボスの独裁が成立しやすくなる。
また、企業献金が禁止されていないのは、この法律自体が政治浄化のために作られた意図と矛盾する大きな欺瞞である。
大意、以上のようなものだが、現在の検察による民主党破壊工作とともに、民主党内の「小沢独裁」をも予見していたような見事な洞察ではないか。もっとも、「小沢独裁」は、現在の民主党の脆弱な基盤を維持する過渡的な状態としては排斥も批判もする必要は無いと私は思っているが。
少なくとも、自民党(+公明党)が国民の批判を受けて退場し、民主党が国民の信託を受けて政権党となったことは確かである。その民主党が自民党の腐敗政治の後始末をするまでは、米国の一部の人間の指示によると思われる検察の日本政治破壊活動を許すべきではない。PR -
私は頭の中身が宇宙的なので、個人的な出来事にはほとんど興味がない。神は存在するか、とか善とは何か、とかいった問題を考えるほうが、自分の日常の出来事について悩むよりもずっと楽しいのだから、精神世界でくらいは好きなことをしていたい。
しかし、それはある意味では贅沢というものでもあって、この世界では、「まず自分の食い扶持を稼げ。話はそれからだ」というのが現実だ。その、食い扶持を稼ぐために、人間は自分のいやな作業もあれこれしなくてはならないわけである。
自分という人間があまりにも現実に適合しないので、私は自己教育の目的で「生活の技術」というハウツー書的文章を書いたことがあるが、偽善を排除して書いたため、一般には公表しにくい内容になってしまった。何しろ、人生で一番大事な技術は「嘘と演技」である、などと書いたりしているのだから。これは私にとっては自明な事実だが、真面目な人間や、その逆に嘘と演技で世間を渡っている偽善的人間には(自分の正体をばらしているということで)許せない発言になるかと思われる。
そのうち、気が向けば、その文章も掲載するかもしれない。生きるのに悩んでいる人間には案外といいアドバイスになるかもしれない。私は偉そうな肩書きも無い底辺の人間であるが、同じ問題で悩んだ先達ではあるから、世に溢れた新興宗教関係の「悩み救済の書」よりはましな文章になっているとは思う。 -
他人の失敗を見るのは楽しいもので、書かれた記事などでもそういう発見はたくさんある。ブログ上の誤字脱字・文法間違いなどは指摘するのも馬鹿ばかしいほどで、最初からそういうのは気にせずに書いている人も多い。
しかし、印刷・出版された文章となると、たいていは校訂者・校正者の手を経ているから、誤まりの数は少なくなる。それでも、書いた本人は何とも思わずに書いた部分が、読む側からは奇妙なものに見えることもある。
先ほど読んでいた本に、次の一文があった。
「ハーシーは一九四五年に八十八歳で死ぬが、そのときはまだ四十六歳の働き盛りだった。」
もちろん、この「そのとき」は同一文中の内容を指示するのではなく、その一文より前のところに指示内容はあるわけだが、単独でこの一文を見ると、ナンセンスなユーモアがある。 -
夢の話というのは、本人には切実な感じがあるものだが、聞かされる方には馬鹿ばかしいものだ。それを承知で、昨夜見た夢の話をする。
母と娘の二人家族がいて、その二人が冤罪で死刑の宣告をされ、その翌日にはすぐに処刑されることになった。どういうわけか、最後の頼みを聞き入れることができるようで、高校生の娘の希望で芸能人アイドルグループ(「嵐」とかいう連中だ)と面会できることになった。しかも、その「嵐」が死刑の執行までする役割なのである。私自身はその場にいて、その現場を見ているのだが、そこでは何の役割もしていない。ただの目撃者だ。
高校生の娘は、最後にあこがれのアイドルグループに会えて、満足する。その娘と母親の両手に自動車の電気ケーブルのようなコードを接続して、嵐の誰かがスイッチを入れ、母と娘は感電死し、死刑は終了するという夢だ。母と娘に電気が流れた時、ジュッと水蒸気が立ち昇るあたりが、いやにリアルであった。
これだけの夢である。
いったい何の意味があるのか、わけのわからない夢だが、例の高知白バイ事件のように、明らかな冤罪でも裁判官が平然と有罪判決を下し、刑が執行されるというのが日本という国なのだから、冤罪から即座の死刑執行という流れはありえないことではない。裁判員制度で裁判の迅速化が進めば、なおさらだ。
まあ、夢の中でまで社会的な問題を考えているわけでもないだろうから、この夢も個人的な出来事に起因するものかもしれない。うちの娘が最近、「嵐」の出る番組を見ていることが多かったから、たまたまその連中が夢に出ただけだろう。だが、芸能人も含めて、マスコミが大衆支配や洗脳の道具になっているというのは、周知の事実ではある。
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あなたは好きなものから先に食べるタイプだろうか。それとも嫌いなものから先に食べるタイプだろうか。それはどちらでもいいのだが、その理由が知りたい。
私は「分析と解釈」を趣味とする人間なので、物事の理屈というものに興味があるのだ。
たとえば、嫌いなものから先に食べるとしたら、こういう理屈が考えられる。
「私は嫌いなものから先に食べる。なぜなら、最後に好きなものを食べることで口中に残った不快感を一掃し、好きな味の記憶だけが残るから」
あるいは、好きなものから先に食べるとしよう。すると、こういう理屈だ。
「私は好きなものから先に食べる。なぜなら、嫌いなものから先に食べた場合は、好きなものを食べる頃には腹が一杯になっていて、好きなものを食べてもおいしくないだろうから。また、自分が嫌いなものを食べている間に、好きなものを他の人に取られることもあるだろうから。その一方で、好きなものを先に食べれば、その間に、嫌いなものを食べなくてもいいという状況が生まれるかもしれないから」
たかが食べ物のことなら、どちらでもいい話だ。しかし、人生訓としては、後者の態度が有利だと私は思う。人生では、やりやすいこと、好きなことを先にやるのがいいのだ。昔の人間は、「艱難辛苦汝を玉にす」とか言って、刻苦勉励することを価値のあることだとしていたが、実際の世の中では、困難な仕事やいやな仕事は先延ばしにしておくと、状況が変わって、それはやらなくてもいいということになることが多いのである。辛い仕事をやっていたA君と、楽で楽しい仕事をしていたB君が、それぞれ仕事の途中で仕事は中止だと告げられ、それまでの仕事の報酬を受け取るとなれば、どちらが得かはわかりきった話だ。
仕事の内容と仕事の報酬とは比例しないというのが、この社会の現実である。
もちろん、これは一般論として述べたのであり、自分の能力を鍛え上げ、生きるための武器として自らを作り上げるべき青少年の時代には、安逸さへの逃避は、人生の選択肢の幅を狭めることになるのは言うまでもないことだろう。 -
映画『フィッシャー・キング』の意味するもの
「fisher king」とは「不毛の王国の王。客である騎士の質問により(呪いが解かれ?)王国は豊穣の地となる」という存在である。
映画では、元DJの男、ジェフ・ブリッジスが漁夫王であり、ロビン・ウィリアムズのキチガイ乞食が騎士に当る。この「騎士」と幻想を共有することで、不毛の世界に生きていた漁夫王である男は生きる意味を取り戻すのである。
映画ラストの花火は、この世界が豊穣の王国となったことを意味する。
その時に、二人が真っ裸であるのは、この二人がこの世界で新しく生まれ変わったことを意味しているのである。
*もちろん、これは私の解釈にすぎない。『フィッシャー・キング』は名作なので、見ることをお勧めする。ただし、「考えさせる名作」という奴なので、面白おかしい作品を見たい気分の時には別の作品がいいだろう。 -
・常用漢字の中には、一般人がけっして「常用」しない漢字がたくさんある。「陛」「朕」「后」などの皇室用語と法律用語である。なぜこれらを「常用」漢字としなければならないのか、疑問であり、むしろこれらの漢字が常用されるのは恐ろしい時代なのではないかと思われる。
「子供が誘かいされた」のように書くのは確かに間が抜けてはいるが、子供が〈ゆうかい〉されるのが日常的であっては困る気がする。常用と言うからには、やはり一般人が日常的に用いる漢字に限定するのがよいのではないか。
ちなみに私は「憂鬱」や「薔薇」という漢字は書けるが、「誘拐」の「拐」は書けなかった。なぜなら、私にとって憂鬱も薔薇も日常的な概念や存在だが、〈ゆうかい〉を身近に経験したことは無いからだ。ミステリー作家以外で、「誘拐」という漢字を書ける人間が、はたしてどれくらいいるのだろうか。
・音楽が与える効果(快感や感動)については、計算できる部分とできない部分がある。曲の終わりをシやレなどからドで結ぶ時の安定感や安心感は計算できる部分だろうが、たとえば「ベティ・デイビスの瞳」のキム・カーンズの声の魅力は、計算できないものだろう。けっして美声ではなく、むしろしゃがれ声、かすれ声であるにもかかわらず、聞いて心地よい声というのがあるのだ。トム・ウェイツの声なども同じである。その一方で、オペラ的美声が、何一つ感動を与えないということもある。(これは男性テノールに多い。ソプラノの、『魔笛』の夜の女王のアリアなどの超絶的歌唱になると、やはり感動的である)
注:私は1970年代以降の音楽シーンには疎いので、上に書いたキム・カーンズやトム・ウェイツもかすかにしか知らない。 -
過去の思索の断片を備忘のために書いておく。一種のアフォリズムとしても読める。
・警察官には一瞬で物事の状態を見て取る素早く鋭い観察眼が要求されると同時に、彼らはそれを報告するためにあらゆる物の名前を知らねばならない。ということは、彼らの受けている訓練は、優れた作家になる訓練にもなるはずだが、警察官から優れた作家が出たことはほとんど無い。作家になるほどの繊細さや自己省察癖を持った人間は、警察官のような仕事を目ざすことは最初からほとんど無いということだ。
・高速道路の渋滞の時に、禁じられている路肩走行をして行く車のほとんどは3ナンバーの車だという。この事実が教えているのは、3ナンバーの車に乗るほどの人間は、法律というものは庶民にしか適用されないこと、法律を破っても処罰を逃れる方法があることを知っている人間だということである。
・日本がアメリカの属国であるという事実の前に、どのような改革がありえようか。すべてがアメリカから指示されている以上、日本国民や政治家に何ができようか。
・女流歌人の一般的特徴
①ナルシシズム
②セクシュアリティ
すなわち、自分が女であることへのこだわり。(あるいは、そのこだわりは、彼女たちが自分たちへの需要を察知して戦略的に自ら選び取ったものかもしれない。)
読む側から言えば、単なるナルシシズムにすぎないものを「女性的なるもの」一般の賛歌にすりかえることが多く、男性読者をヘキエキさせることが多い。
もちろん、ナルシシズムは自己保存に必要な動物的本能であり、必要不可欠なものではある。しかし、それと、「自分が好き」と臆面もなく表明することとは話が別。
・子供は躁病的であり、老人は鬱病的である。(なだ・いなだ「くるい・きちがい考」より)
・我々は世界について学ぶのに20年から30年、長ければ50年以上もかかり、学び終わる頃には、その知識は時代遅れになる。
「葉はあまたあれど根はひとつ。なべて我が偽り満ちし若き頃、
葉と花を我、日に揺すりぬ。今ぞ我、真実のうちに萎れ行かむ。」
(W.B.イエイツ「時とともに知恵は来る」西条八十訳をうろ覚えで書いたもの。転載するなら、自分で確認してからにすること) -
現代人は時間に追われる生活をしているために、休日でもゆったりとした気持ちで過ごすことができない。映画をDVDやビデオで見るにしても、2時間も同じ映画につきあっているという状態に耐え切れないのである。少なくとも、私はそうだ。そうした生活や心理状態の人間が多いから、断片的な情報を中心としたブログやツィッターがメディアの主流となってきたのだろう。いわば「表層的生活」が人間性の内奥まで支配するようになってきたわけだ。これは、知的活動が読書中心であったかつての時代にくらべて、人間性が表層的になってきたということだ。つまり、現代の我々は「情報検索人間」であり、「思考人間」ではないということである。その情報も、ちょっとした気晴らし程度か、ちょっと得する(だろう)という情報にすぎない。
ある意味では、読書も勉強も情報入手の作業ではあるが、しかし、いくら情報を手に入れても、それを自分の頭で考えないと、その情報は自分のものにはならないのである。
いい映画をじっくりと見たり、長大な世界文学を咀嚼し考えながら読んで楽しい時間を過ごした、そういう時代にはもはや戻れないのだろうか。 -
雪崩現象というものは絶えず起こるもので、世間の流行やヒット作品の根底には必ず雪崩現象があると言ってよい。
今ならば「アバター」がそうだし、「タイタニック」もそうだった。ジェームズ・キャメロン(だったか?)監督は、そういう雪崩現象に乗る強運を持った人間のようだ。「タイタニック」など、登場人物はまったく共感できない連中だし、(ヒロインの女優は、そのために男が自分の生命を投げ出すほどの美女でもない。もっとも、「ネヴァーランド」での彼女はいい演技をしていた。つまり、「お母さん」役ならぴったりの女優なのだ。)ストーリーは陳腐。ただ、船の船首で恋人たちが飛行ポーズを取る、あのシーンが雪崩現象を起こしたのだろう。
というわけで、私は多分「アバター」は見ないだろう。そもそも、あの3Dキャラが醜悪すぎて、見る気がしない。
