"創作小説"カテゴリーの記事一覧
-
七
秀吉の凄みは、ここからの政治的手腕にある。あらゆる策謀によって自分を信長の後継者と周囲に認めさせ、それに従わぬ相手とは力で戦った。そして、彼は信長の事業を完成し、日本を統一した。彼は関白太政大臣となり、日本の支配者となった。
乞食、浮浪者の身から日本の最高の地位に昇りつめた彼の一生は、人間の可能性というものについて、我々にある感慨と勇気を与える。もしも、人が望むなら、家柄や地位に最初から恵まれた人間でなくても、どこまでも昇っていけるのである。
それは、長い歴史の中のある時期にのみ特有の現象だったかもしれない。しかし、秀吉は、ありとあらゆる社会の底辺にいる人間にとっての希望の象徴として輝き続けるだろう。
天下人となってからの彼は、かつてのお市への恋慕の代償として、その娘のお茶々、後の淀君を側室に入れ、あらゆる漁色を尽くし、刀狩をして身分の固定化をはかり、意味不明の朝鮮出兵をするなど、後世から見れば批判の種となる様々な愚行をした。だが、人が権力を手に入れるのは、そういう好き勝手をする権利を手に入れるためだと考えるなら、そのような批判にはあまり意味はない。少なくとも、批判された当人は、ほんの僅かの痛痒も感じないだろう。
とにかく、人は、本当に望むならどこまでも進めるものだということを示してみせただけでも、秀吉は讃えるべき存在だと言える。
そして、彼があそこまで昇りつめたのは、実は、一つ一つの段階に於いて彼がいつも最善を尽くし、常に次の段階についての準備があったということを見落とすべきではない。
秀吉が信長の草履取りをしていたということが事実かどうかはわからないが、その頃の彼が周囲の人間に次のような事を言っていたという伝説は、確かに彼の本質を示している。
「俺は、草履取りになるなら、日本一の草履取りになってみせる」PR -
六
秀吉が自分の運命を悟ったのは、同僚の明智光秀が本能寺に於いて謀反をし、主君の信長を討ったという知らせを、中国毛利攻めの陣内で受けた時だった。
実は彼はこの事件を予知していた。はっきりとではないが、光秀が信長に叱責され、耐えるその眼の光の中に、いつかただならぬ事態が起こることを感じていたのである。
そして、その日が来た時、どうするか。秀吉はずっとその事を考えていた。これは恐ろしい想像ではあるが、戦国の侍大将の一人として、天下を取ることを想像しない者は少ないだろう。彼は自ら信長を裏切る気はなかったから、その日は永遠に来ないかもしれない。だが、もしも仮に、そのような日が来たならば、自分はどうするか。勿論、その時こそ天下に名乗りを上げるのである。信長の家臣の中でも四番手五番手の秀吉が天下取りに参加するとは誰も思っていないだろうが、この頃、秀吉にはすでに、信長の家臣の中では自分が一番だという自負があった。度胸もあるし、頭も良いという自信が。他の連中は、柴田勝家のように度胸だけか、光秀のように頭だけ、という連中である。
一人だけ、秀吉が恐れていたのは、信長の家臣ではないが、徳川家康だけであった。あの茫洋とした風貌の男は、得体の知れない深さを感じさせる。軍略の面でも統率力の面でも、勝れた武将だ。しかし、今は織田の天下であり、信長の跡を継ぐのは信長の家臣から出るのが当然と、誰でも思っている。
だから、自分だ、と秀吉は考えた。
中国の毛利攻めを中断して京都に取って返した秀吉が、山崎の戦いで光秀を破ったのは、知られた通りである。自ら天下を取る意思で謀反したというより、突発的、発作的に信長に謀反した光秀には、その後のプログラムはなかった。ふわふわと秀吉の軍に向かった光秀の軍勢を破ることは、どの武将にとってもたやすいことだっただろう。おそらく、光秀軍の兵士たちには、そもそもその戦いが何のためなのかの確信も無かったはずである。山崎の戦いで秀吉が勝ったのは当然すぎるほど当然の話であり、秀吉の偉さは、この戦いなどにではなく、一瞬のうちに天下取りの決意をして、毛利と偽りの和議をして誰よりも早く京都に向かったという「中国大返し」にあるのである。 -
五
信長と藤吉郎の有名な出会いは、後世の作者の創作だろう。信長は、直接彼と出会う前からこの末端にいる小役人の存在を知っていたに違いない。
信長は有能な人間を好み、無能な人間を憎んだ。それは、自分よりも無能な弟を愛し、自分を嫌った母親への憎しみから生まれたものかもしれない。
有能さとは、その立場立場においていかに力を発揮するかである。大言壮語する人間の自己宣伝を信長は少しも信じなかった。彼の見るところ、織田家の家臣のうち半分は、古い家柄によりかかっただけの無能な人間であった。
織田家を相続して以来の、信長の日常の大半は、そうした家臣たちの力を量ることに向けられていたと言ってもよい。彼はとにかく無駄なものが嫌いだった。もちろん、その判断は彼の主観であり、自分の嫌いな物を無駄と思う面も多かったが。
ともかく、信長は藤吉郎の取り計らいの才能を高く評価して台所奉行から足軽頭に取り立てた。彼の見るところ、物事の合理的判断ができるということは、単なる武勇以上に将として必要な能力であったからである。台所の差配ができるなら、戦の差配はできる。逆に、台所の差配もできない人間では戦の差配はできない、ということである。
藤吉郎はやがて武将としても出世して名前も羽柴秀吉と変わるが、秀吉が武将として人以上に有能であったという証拠は無い。伝えられている墨俣の一夜城の話は武将としての功績としては小さい話だし、演習で長槍を使って勝った話にしても実戦とは関係がない。しかし、少なくとも戦における形勢判断は確かだっただろうし、戦後の論功行賞は的確に行い、部下に不満は持たせなかったに違いない。上に立つ人間のなすべきことはそれに尽きるのである。単に刀を持って戦うだけなら足軽の中にも剛勇の持ち主は何人もいる。しかし、彼らは部隊を率いることはできないのである。
幸運にも恵まれ、幾つかの戦を無事に生き延びて、彼は順調に出世した。かつての乞食の境遇から見れば、夢のような暮らしである。しかし、彼は、自分にはまだまだ上がありそうだ、という気がしてならなかった。それが何かを考えると、恐ろしい気さえしたのだが。 -
四
あれは藤吉郎がまだ寺にいた頃の話であるから、今からもう十年以上も前の事になるが、寺の小僧仲間の一人に貴族の息子だとかいう男がいた。名前ももう忘れてしまったが、その男が何かの機会にしてくれた二つの話を藤吉郎は今でも覚えている。その話がどうしようもなく気に入ってしまったのである。
二つとも史記の中の話で、一つは、項羽が若い頃、学問をしても剣を学んでも続かないことを人から説教されて、
「字は名前さえ書ければそれでいい。剣は一人を相手にするのみ。俺は万人を相手にする方法を学びたい」
と言ったという話。その「我は万人の敵を学ばん」という言葉の威勢の良さに、当時の日吉丸はすっかり参ったものである。
もう一つは劉邦の話で、彼が部下の韓信に、自分はどれくらいの兵を率いる才能があるかと尋ね、
「陛下はせいぜい十万人程度です」と言われて憮然とし、「ではお前は」と聞くと、
「私は多ければ多いほどいい。(多々益々弁ず)」
との答えに、
「ではなぜお前はかつて私の虜となったのだ」
と聞くと、
「陛下は兵に将たる才能は無い。しかし、将に将たる才をお持ちだからである」
と答えたという話である。
「将に将たる器」、この言葉に日吉丸は陶酔した。それが具体的にどんな能力を指すものかはわからない。しかし、男として生まれた以上、目指してよいものがそこにはあるような気がしたのであった。
今でも藤吉郎は何かにつけその二つの言葉を思い出す。「万人の敵」と「将に将たる器」。それを思うたびに、今の自分のままではいけないという気になる。だから、彼は人一倍働いた。他人が見ていない時でも、怠けたりすることはけっしてなかった。そしてその事が苦痛ではなかった。
彼の背後には極貧の暗黒の日々があったからである。
それを思えば、何でも耐えられない事はなかった。そして、彼の前には昇る朝日しかなかった。
「わしが生まれる時に、お袋様は朝日を呑み込む夢を見たんだそうじゃ」
彼はよくねねにそんな事を言った。それは罪の無い嘘に決まっているが、彼は自分でも知らぬ間にその嘘によってある幻術を用いていたのである。
すなわち、彼が何か思いがけない離れ業をした時に、その日輪の話が人々の頭に思い浮かぶという幻術である。
ねねからその日輪の話を聞いていた者たちは、その話を一笑に付したものの、その事を忘れる事はなかった。それが後に藤吉郎の栄光に幻の輝きをも加えることになった。いや、その幻も藤吉郎の栄光作りに一役買っていたと言うべきだろう。
相変わらず藤吉郎を毛嫌いする者は多かったが、彼は平気だった。自分を笑う者に対しては一緒になって笑い、自分を笑わぬ者には感謝して、常に真心を尽くした。自然と彼を好む者、彼に味方する者が増えていったのであった。 -
参
藤吉郎に縁談が持ち込まれたのも、彼の名が売れ始めたことの証明だろう。相手は、大した家柄ではないが一応は武士であり、素性不明の藤吉郎から見れば破格の出世とも言うべき相手である。藤吉郎はその縁談を承知した。相手の娘の器量は十人並み以下といったところであり、美女好みの藤吉郎の好みに合うはずはなかったが、この結婚によって彼は正式な武士となり、一応の確固とした格式が得られるのである。
相手の娘から見ればこの結婚はとんだ災難とでもいうべきだろう。世の中に男は数あれど、よりによってこんな猿みたいな男と結婚しなくてはならないのだから。
しかし、親の言いつけに逆らうほどの気持ちも無く、結局は結婚することになった。その事を後では満足に思いもしたはずだ。すなわち、後の北の政所こと、ねねである。
相手の男、藤吉郎は、実際会ってみると、案外優しく、また、他の男にはない何かを持っていそうでもあった。
「わしみたいな男と一緒になって、残念だと思っているだろうな。いや、隠さんでも良い。わしが女なら、わしだってそう思う。しかし、わしが他の男に及ばんのは、この見かけだけだ。中味は誰にも負けん。頭は負けんし、度胸だってある。望みも高い。わしと一緒になったことを、けっして後悔はさせんからな」
そう言って、藤吉郎はねねを抱いた。ねねは男のその言葉に何とも言えない思いやりを感じて、初めてこの結婚を良しとした。 -
弐
彼が織田家の末端の家来となったのも、お市の事が動機の一つだった。何となく、そこにいれば彼女との縁がありそうな気がしたのである。彼が信長の将来性を高く買っていたわけではない。人の評判では、若い頃はどうしようもない阿呆であったが、斎藤道三の娘を嫁に貰ってからは、人が変わったようになったという。と言っても、部下に対してえらく厳しい主人であるらしく、あまり良い評判は聞かない。どうしようもない癇癪持ちで、近臣の者を斬ったことも二、三度では済まないらしい。その一方では能力のある人間は下の者でも家柄に関係無しにどんどん取り立てるという話もある。長所短所それぞれといった所だろう。
信長の家来になったのを機に藤吉郎と名前を変えた彼は、仕事を真面目にした。陰日向なく仕事をするという、それだけでも、この時代、人の目につくには十分である。やがて彼は上役の重宝な助手役として使われるようになった。その仕事というのは、台所の賄いである。つまり、食材やら燃料やらの仕入れと管理の仕事だ。
藤吉郎は、ここで抜群の取り計らいの才能を見せた。彼がその役につく前よりも、費用を二割以上も節約したのである。と言っても食事の内容を貧弱にしたわけではない。前任者のように無駄な金を使わず、また費用の一部を懐に入れることをしなかっただけである。
彼のそんな行為を周りの連中はあざ笑った。
「そんな事をしたって誰が見ているものかよ。自分一人できれいぶったって何にもなりゃしねえよ」
聞こえよがしのそんな声にも藤吉郎はただ笑ってみせるだけだった。
「はっはっはっ。わしゃ頭が悪いもんでな。一は一、二は二としか勘定できんのじゃ。一を二に見せたり、三に見せたりするような、そんな器用な真似はよう出来ん」
このような当意即妙の言葉に返答できる者は無く、相手は黙り込むのが常だった。
以前の陰鬱な日吉丸を知っている人間には、今の藤吉郎は、驚くほど人が変わったと思っただろう。
何より、明るくなった。もともと声は大きい方だったが、最近ではその大きな声があたりに響いていないことがない。大声で指示し、軽口を叩き、大声で笑う。その声がしないと、周りの人間は物足りない気にすら、最近ではなってきていた。
すなわち、藤吉郎ここにあり、と織田家中の人間は誰でも知るようになってきていたのである。 -
昇る太陽
壱
日吉丸、後の木下藤吉郎、いや、豊臣秀吉が、自分は何者かであるとの確信を抱いたのは、そう早い時期ではない。成人するまでの彼は、自分はとうてい二十歳過ぎるまで生きることはあるまいと考えていた。人より自分が勝れているという自惚れなどは、なおさらなかったのである。それも当然で、尾張の水呑百姓の子で、幼時に寺の小僧に遣られ、そこを数年で飛び出して後は、乞食同然で各地を放浪してきた人間に、自分をひとかどの人間であるなどという自信がある筈はない。寺の小僧だった時、同輩より多少は機転が利くという気持ちを持ったこともあったが、それもかえって同輩との折り合いを悪くする役にしか立たなかった。その後は乞食や物売りをしながら、あるいは野盗の下働きさえしながら、何とか食いつないできたのだが、そのような生き方にもこの頃では嫌気がさしてきて、いっその事、死んでしまおうかと思うことさえあったのである。
その理由の一つは、生まれつきの醜さだった。背が人並みはずれて小さく、四尺三寸ほどしかない。子供の十二、三歳並みの大きさだった。その上、顔ときたら、猿そっくりである。それも萎びた老人に近く、愛嬌に乏しい。むっつり黙り込むと異様な凄みがあるのも、人に嫌われる理由の一つだ。反面、それを憐れんでもらえることもある。しかし、女にもてたことは生まれてから一度もない。母親だけはこの醜い息子を愛しんで何かと面倒を見てくれたが、養父などは彼をひどく嫌っていたものである。
彼の不幸は、その容貌の醜さとはうらはらに性欲の強かったことである。それも美しい女が好きでたまらない。美しい女に好かれることは一度も無かったのだから、これは地獄と言うべきだろう。
彼が織田信長の妹、お市の方を見たのは、彼女が他国に輿入れする日だった。館から輿に乗る、その僅かな間に見たのである。その時、この世にこれほど美しい女がいるということに、彼は目もくらむような思いがした。そして、その女を抱く男がいるということに、腹の中が黒くなるような煮える思いを感じたのである。
このわずかに数秒の出会いが彼の運命を変えた。
この空の下のどこかにあの女がいる。いや、あの女でなくとも良い。ともかく、あのような女が世の中にはいるのだ。それを抱くまでは俺は死ねない、と日吉丸は心に決めたのだった。