昔は、生きる範囲が限られていた(地域社会に限定されていた)から、モラルが有効だった。つまり、悪党の存在は地域社会にとって不利益だから村八分にされるので、誰でも(上辺だけでも)モラルを守っていた。だが、今では、或る地域で詐欺を行っても、そこから逃げて別の土地でまた詐欺を働くのは普通になっているし、生活範囲が広がったために「知らない人間との接触」が増え、悪事の被害者になる率も高くなった。言い換えれば、モラルが消え、「悪に有利で善に不利」な社会になるというのがグローバル化(には限らず、行動範囲の拡大)に伴う必然性なのではないか。
モラルでは束縛できない社会は法でしか人間は守れない。その法を規定し守らせる側が悪党だらけになれば、法すらも個人を守れないわけである。そういう社会でモラルに従って生きる人間は「時代遅れ」になるしかない。
未来はまさに、物質は栄え、人間は滅びるのが、妥当な推移だろうと思われる。
モラルでは束縛できない社会は法でしか人間は守れない。その法を規定し守らせる側が悪党だらけになれば、法すらも個人を守れないわけである。そういう社会でモラルに従って生きる人間は「時代遅れ」になるしかない。
未来はまさに、物質は栄え、人間は滅びるのが、妥当な推移だろうと思われる。
でもその中の限られた志ある人が、少しずつ世界を変えていくかもしれない。わずかな力でできることをして少しずつ。と思わせてくれる、私にはそんな映画でした。
黒澤映画の『生きる』で末期がんの体を押して町の一角を整備して死んだ主人公を、役所の同僚たちが集まって泣きながら称え「俺もやるぞ!」みたいなこと言って盛り上がるんだけど、翌日出勤するといつもどおりののらくらしたお役所仕事を続けてる。あれは本当に人間や世の中の一面を描いてて見事です;
けして、ちゃかして言うんじゃなく、本当に、人はエンタメの悪を見たからといって悪に染まるとは限らないように、また善にも染まらない、ということなんじゃないでしょうか。それはそれこれはこれ、みたいな>RT
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何でこんなことになったんだろう?毎週何百万人もいた少年漫画の読者は何を読んで何を受け取って何を感動していたんだろう?力の支配に打ち勝つ物語を送り続けて来たはずなのに…https://twitter.com/nakano0316/status/1181152921464868864 …
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