その殺人事件が起こったのは明治の中期で、場所は山梨県の、F川流域の上流に近い小都市らしい。小都市というよりは、村に近い人口だが、製糸工場などもあり、軽便鉄道の駅もちゃんと通っていたようだ。町の名は仮に、話の人物たちの姓に合わせて軽魔町としておこう。その町に、製糸工場を経営している業濫三郎という男がいた。この町がまだ小さな村落だったころにはただの水飲み百姓だったが、どういうわけか大地主の娘を垂らしこんで、入り婿となった。一説によると、村に巡業に来た旅役者に弄ばれて妊娠した娘を、腹の中の子供ごと引き受ける約束で結婚したものらしいが、その真偽はわからない。(それが本当なら)その子供は幸いなことに流産し、濫三郎は、余計な荷物無しにめでたく家付き土地付きの女房を手に入れたわけである。品性はともかく、濫三郎自身も、若いころはなかなかの二枚目だったらしく、地主の娘も彼を婿にすることには文句は無かったようだが、結婚してからは大いに後悔したようである。というのは、この濫三郎は、わけのわからない人間で、傲慢と卑屈、吝嗇と放蕩、軽薄と狷介の入り混じった複雑な性格をしており、それほど残忍というのでもないが、自分が結婚を利用してのし上ったことに引け目を感じていて、その反動からか女房を冷淡に、または邪険に扱ったらしいのである。女房の方も、もとは下賎の者にすぎない亭主から不当に軽んじられることに腹を立てて、結婚して二日目からはほとんど口もきかなくなったようだ。そのまま三年ほどが過ぎ、それでも亭主との間に二人の子供を生んだが、その後、何かの病気であっけなく死んだ。一説では、旦那が殺したのではないかとも言うが、この話には関係がないので、そうではないとしておこう。
女房が死んで、濫三郎は大泣きして悲しんだが、勿論それはお芝居に過ぎないと言う人間がほとんどで、実際、葬式の翌日には、女房の生前から関係のあった女を新しい女房としておおっぴらに家に入れた。これであきれて、前の女房の実家の人々は彼との交際をぷっつり打ち切ったが、それこそ濫三郎には望むところであった。(もちろん、そんな心理は憶測するしかないのだが、いちいち「~だろう」と付けるのも煩わしいから、今後は憶測でも何でも断定的に書くことが多くなることをあらかじめ断っておく。)
新しい女房は、濫三郎との間に子供を一人生み、これで業家の兄弟は三人になった。上から「乱」「論」「憐」というふざけた名前だが、それぞれの性格を現してもいるようだ。だが、それはまだ先の話である。
女房が死んで、濫三郎は大泣きして悲しんだが、勿論それはお芝居に過ぎないと言う人間がほとんどで、実際、葬式の翌日には、女房の生前から関係のあった女を新しい女房としておおっぴらに家に入れた。これであきれて、前の女房の実家の人々は彼との交際をぷっつり打ち切ったが、それこそ濫三郎には望むところであった。(もちろん、そんな心理は憶測するしかないのだが、いちいち「~だろう」と付けるのも煩わしいから、今後は憶測でも何でも断定的に書くことが多くなることをあらかじめ断っておく。)
新しい女房は、濫三郎との間に子供を一人生み、これで業家の兄弟は三人になった。上から「乱」「論」「憐」というふざけた名前だが、それぞれの性格を現してもいるようだ。だが、それはまだ先の話である。
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