「東海アマ」氏はある部分では偏見と狂信の塊だと私は見ているが、下の記事は「日韓の相互嫌悪」の根本原因を明晰に示していて納得できる内容なので転載する。つまり、「粘着質」の韓国人と「淡泊な」日本人では油と水の関係なのである。日本人の祖先のかなりの割合が朝鮮人だと私は思っているので、これは長年の間「和をもって尊しとする」精神(悪く言えば「事なかれ主義」で「大勢順応主義」)で社会を作ってきた日本と、朱子学儒教(朝鮮儒教)の精神が社会を作ってきた韓国・朝鮮の精神的違いだろう。
だが、朱子学は徳川幕府お勧めの学問でもあったのだから、朱子学の「朝鮮的解釈」と「日本的解釈」の違いがあったか、あるいは日本では武士階級の「出世勉強」的意味でしか朱子学は受容されなかったのだろう。ちなみに、ネット掲示板では「他者見下しコメント」がその多くの割合を占めているのだが、これはあまり「日本的」には思えない。つまり……www
なお、朱子学は儒教の一説でしかなく、しかも、かなり時代的には新参者で、祖先崇拝などの部分も含めて一種の宗教だと見れば、「新興宗教」に近い。つまり、創価学会か統一教会が日本の国教になったようなものだ。それを馬鹿馬鹿しいと思う人は韓国には少ないのだろうか。
ちなみに、韓国にオリジナルな文化や発明を産む能力が低いのは、その精神の偏狭性や固着性に原因があるかと思うが、ここでは考察しない。
(以下引用)
ここからは、慰安婦問題のように、凄まじい執着心、執念で、事実をねじ曲げてまで日本を攻撃し続ける理由について。
「韓国が歴史問題にあんなにしつこい」深い理由 在日が証言!「水に流せない」のはなぜか? 2022/08/02
記録が高層ビル並にある「朝鮮王朝実録」
前略
「過去からの正統性」にこだわる儒教の影響からか、韓国は「過去の歴史をめぐるこだわり」が強いのだ。
『朝鮮王朝実録』は約500年分が編年体で書きつづられ、その量は数え方により1700~2000巻以上もある。
しかも焼失などで失われないよう、複製などが4~5カ所に保存されてきた。この本を積み上げると高さ32メートル、実に12階建てビルの高さに相当するという(最後の2代は日本の支配・監督下で編纂されたので、正史から除外される)。
ユネスコの世界の記憶(いわゆる「世界記憶遺産」)にも登録されている『朝鮮王朝実録』だが、この歴史記録の豊富さが、韓国ドラマの時代劇がネタに困らないコンテンツ力につながっているとも言えよう。
この「過去の実態へのこだわり」は、韓国の現代文化にも大きな影響を与えている。
儒教国家がこだわる「過去の真相究明」
韓国の報道を見ていると「真相究明」という単語がやたらと登場する。
何十年も前の事件にさかのぼって「真相究明が求められている」などとやっているのを見ると、「長い年月をかけて調査したあとに、いまさらどんな真相があるのだろう」と不思議に思ってしまうことも少なくない。
これは、別に日本との間の歴史に絡む問題だけでなく、やれセウォル号事件の真相究明、やれ光州事件の真相究明、少し前ではバレーボール選手や芸能人の小学校時代や中学校時代のいじめ(人気ガールズユニット、セラフィムのガラムが最近の事例)などなど、過去にさかのぼった「真相究明」という単語が、それはそれは頻繁に出てくるのだ。
たとえば韓国ドラマを観ていても、廃位した妃を何代もあとに復位させたりしていたことが見て取れるが、この伝統はいまも脈々と受け継がれている。
北朝鮮でも金正恩氏が金正日総書記の跡継ぎに決まると、本来は金正日総書記の「愛人」であったその母・高容姫の偉人化キャンペーンが行われ神格化が始まった。
現代韓国政治を見ても少し前まで、左派政権が右派勢力の正統性を攻撃するために、いまになってかつての「親日派(戦前の植民地支配に協力した人々の意味)」の墓を掘り起こす法案を論議したり、何代もさかのぼって財産を没収したりする。
韓国の儒教文化では、「過去にさかのぼった正義と正統性」が非常に重要なのである。
韓国のメディアを見ていて気づくもうひとつの特徴的な表現が「道徳的優位性をとる」というものだ。
この言葉がこれほどメディアで使われる国はない。私はいろんな国のニュースを聞いているが、「道徳的優位性を見せるために……」などと言っているのは韓国くらいだ。
たとえば、2019年の半導体部品輸出規制をめぐる動きのときも、「韓国は冷静に対応し、道徳的優位性を示す必要がある」などという論調が存在した。
また、ちょうどこの「道徳的優位性という言葉が政治関連ニュースでよく出てくるな」と思っていた矢先に、ソウルでのとある交渉事で、交渉相手である先方から「ここで大局を見て譲歩してくれたら、あなたは道徳的に上位にいけるではないか」などと、まったくうれしくない説得を執拗にされたこともある。
ちなみに2022年初頭の韓国大統領選挙でも、「私のほうが道徳的なリーダーだ」という論戦が、大統領候補者間のディベートで目についた。
では、この「道徳的優位性」にこだわるのは、いったいなぜなのだろうか?
韓国の日常生活でも重視される「道徳的優位性」
実はここにも、「道徳的に正しい社会を建設する」という儒教観念および、「他人の悪を憎む」という朱子学思想が表れている。
なお韓国儒教は極めて深淵な世界なので、私が完全に理解できるわけもないし、そのようなそぶりも見せるつもりはない。
それでも、儒教のなかでとくに朝鮮王朝で発達した朱子学で盛んだった性理学を学ぶことは、韓国の伝統的な集団的思考回路を理解する重要な一助になるだろう。
琴章泰(クム ジャン テ)の「韓国社会と儒教──韓国儒教の課題と特性」(東京大学コリア・コロキュアム、2004年7月14日)では、次のように指摘している(以下要約)。
朝鮮王朝時代の朱子学は、純正性の追求を特性のひとつとする。したがって価値判断において正当性の基準を画一化させようとする意志が強く、対立するときに折衷や妥協の余地がなくなってしまう。
また「正統論が強化され、異端排斥論が強く、現実への適応力が弱くなり、妥協と包容を通じた和合の機能が衰える」とも論じられているが、これは現代韓国社会にも、結構当てはまる傾向だ。
韓国ではこのように、原理原則論や道徳的優位性にこだわるからこそ、妥協なき「明確な謝罪獲得」に躍起になることになる。
「過去を正す」ために、「真の謝罪」を求める
私が知る限り、韓国ほど、さまざまなトピックに関し、「反省せよ! 反省せよ! 謝罪せよ!」と群衆が叫ぶデモを、あれほど大規模かつ頻繁にやっている国は、ほかにない。
ちなみに江南のサムスン本社の前に行くと、いつも「サムスンは何々の道徳的責任をとり、謝罪・補償せよ!」という垂れ幕と自分の連絡先を大きく掲げてデモをしている人々がいる。
こうした「謝罪」と「補償」要求デモは、別にとりたてて日本だけにしているわけでなく、国内的にも活発にやっているのだ。
また、2022年初頭の韓国大統領選挙でも、与野党候補共に家族のスキャンダルなどで国民に何度も「謝罪」を求められており、「謝罪選挙」だと揶揄されていた。そして候補者同士でお互い、「あなたこそ謝罪する必要がある!」とやりあっていたのだ。
このように、韓国では相手が国内だろうが国外だろうが、「反省」と「謝罪」を引き出して、「道徳的優位性」を確認したい人が多い。
だからこそ、単に謝罪を求めるだけでなく、「いったい何に対して謝っていて、反省しているのか」を細かく具体的に追及してくる。
また謝っても、「チンジョンソンインヌンサジェ(真の感情がこもった謝罪)」「ソンイ(誠意)あるサジェ」であることが求められるので、「形式的な謝罪」は逆に怒りに火をつけるのである。
ここに、謝っているのか、謝っていないのか、何に対して謝っているのかを曖昧にして、「なんとでも解釈できる玉虫色の決着を狙う」ことが一般的な日本とは、大きな違いがあるのだ。
これまで述べてきたように、朝鮮半島の伝統的儒教文化では「道徳的正しさ」にこだわる。そして「本来あるべき論」を求め、過去にさかのぼって「歴史をあるべきものに戻す」という傾向が極めて強い。
ただ念のため再度強調するが、現代の個人レベルではまったくそうではない人もたくさんいる。儒教嫌いを公言している韓国人の若者も少なくない。
しかし政治といった比較的高齢世代が多く、「民族的記憶」や「民族的アイデンティティー」で集団意思決定がされる場になると、この儒教文化がいまだに色濃く影響するのである。
「真相究明の国」vs.「水に流す国」が争うと…
この「過去にさかのぼったしつこさ」は、ひとえにその「先祖の魂は不滅」という儒教的死生観も一因であるように思われる。
実際のところ韓国では、下手したら死後も責任を問う傾向が強い。たとえば韓国ドラマでも日常生活でも「最後まで責任を問う」という言葉が頻繁に出てくる。現代の政治家でも、相手方に対し「墓を掘り起こして処罰」みたいな言葉を使ったりもする。
日本のような「武士の情け」はなく、責任追及はちょっとやそっと、死んだくらいでは終わらない。儒教の世界では、「死後もその魂はこの世に長らく存在しつづける」と考えられていた。
そして、儒教文化にのっとり、先祖の功徳や罪状は後世の子孫にも引き継がれるので、「悪いことをしたのだから、罪を徹底的に償うべきだ」というように、子々孫々の代まで徹底追及してくる。
このように、過去にさかのぼり徹底的に責任追及する儒教文化が、「死ねば皆、天に行く」という仏教的な思想や、「過去を水に流す」武士道の思想と対立すると、双方の違和感につながるのだ。
そんな文化の違いがあるなか、「真相究明の国」vs.「水に流す国」が争えば必然的に、
「なぜ、そう曖昧にして簡単に忘れるのだ!」という韓国の怒り 「いつまで過去にこだわっているんだ!」という日本の怒り
にそれぞれつながり、まさに「イマここ」状態なわけである。
なおこのコラムを書いている今も、韓国新政府が「徴用工問題の解決は、日本側の誠意も必要」とメディアに向け語っていた。
「法的に払ったやろ!」などの建前的アプローチではなく、感情がこもっているかどうかが、何をするにしても韓国側にとっては重要だと考えているのである。
*********************************************************
一部引用以上
韓国では日本人には理解不能な価値観、「道徳性」が社会原理として厳然と存在することが上に示されている。
犯行後の「謝罪」がめちゃめちゃに重要で、史上最悪の殺人鬼が「謝罪」したことで死刑判決が執行されていない。
この道徳は、日本人のように「人間としてどうか?」ではなく「儒教秩序に照合してどうか」という意味である。
「千年の恨」という言葉があるように、韓国には水を流すという文化はないが、謝罪すれば許すという文化はある。
ちなみに、「千年の恨」の価値観からいえば、関東大震災の朝鮮人大虐殺と、731部隊による新宿大虐殺、そして天竜ダム大虐殺について、朝鮮人が大量虐殺された証拠が明らかだが、これは、まだ韓国に知られていないので、これから楽しみだ。
なお朴正熙・李承晩による400万人を超すといわれる左派大虐殺は、同じ韓国人なので糾弾対象にされていないようだ。
さらに、韓国人が数万人のベトナム人女性を虐殺し、強姦して子を産ませたライタイハン問題も、韓国世論では完全無視されているところが、実に不可解、不思議な国である。
だが、朱子学は徳川幕府お勧めの学問でもあったのだから、朱子学の「朝鮮的解釈」と「日本的解釈」の違いがあったか、あるいは日本では武士階級の「出世勉強」的意味でしか朱子学は受容されなかったのだろう。ちなみに、ネット掲示板では「他者見下しコメント」がその多くの割合を占めているのだが、これはあまり「日本的」には思えない。つまり……www
なお、朱子学は儒教の一説でしかなく、しかも、かなり時代的には新参者で、祖先崇拝などの部分も含めて一種の宗教だと見れば、「新興宗教」に近い。つまり、創価学会か統一教会が日本の国教になったようなものだ。それを馬鹿馬鹿しいと思う人は韓国には少ないのだろうか。
ちなみに、韓国にオリジナルな文化や発明を産む能力が低いのは、その精神の偏狭性や固着性に原因があるかと思うが、ここでは考察しない。
(以下引用)
ここからは、慰安婦問題のように、凄まじい執着心、執念で、事実をねじ曲げてまで日本を攻撃し続ける理由について。
「韓国が歴史問題にあんなにしつこい」深い理由 在日が証言!「水に流せない」のはなぜか? 2022/08/02
記録が高層ビル並にある「朝鮮王朝実録」
前略
「過去からの正統性」にこだわる儒教の影響からか、韓国は「過去の歴史をめぐるこだわり」が強いのだ。
『朝鮮王朝実録』は約500年分が編年体で書きつづられ、その量は数え方により1700~2000巻以上もある。
しかも焼失などで失われないよう、複製などが4~5カ所に保存されてきた。この本を積み上げると高さ32メートル、実に12階建てビルの高さに相当するという(最後の2代は日本の支配・監督下で編纂されたので、正史から除外される)。
ユネスコの世界の記憶(いわゆる「世界記憶遺産」)にも登録されている『朝鮮王朝実録』だが、この歴史記録の豊富さが、韓国ドラマの時代劇がネタに困らないコンテンツ力につながっているとも言えよう。
この「過去の実態へのこだわり」は、韓国の現代文化にも大きな影響を与えている。
儒教国家がこだわる「過去の真相究明」
韓国の報道を見ていると「真相究明」という単語がやたらと登場する。
何十年も前の事件にさかのぼって「真相究明が求められている」などとやっているのを見ると、「長い年月をかけて調査したあとに、いまさらどんな真相があるのだろう」と不思議に思ってしまうことも少なくない。
これは、別に日本との間の歴史に絡む問題だけでなく、やれセウォル号事件の真相究明、やれ光州事件の真相究明、少し前ではバレーボール選手や芸能人の小学校時代や中学校時代のいじめ(人気ガールズユニット、セラフィムのガラムが最近の事例)などなど、過去にさかのぼった「真相究明」という単語が、それはそれは頻繁に出てくるのだ。
たとえば韓国ドラマを観ていても、廃位した妃を何代もあとに復位させたりしていたことが見て取れるが、この伝統はいまも脈々と受け継がれている。
北朝鮮でも金正恩氏が金正日総書記の跡継ぎに決まると、本来は金正日総書記の「愛人」であったその母・高容姫の偉人化キャンペーンが行われ神格化が始まった。
現代韓国政治を見ても少し前まで、左派政権が右派勢力の正統性を攻撃するために、いまになってかつての「親日派(戦前の植民地支配に協力した人々の意味)」の墓を掘り起こす法案を論議したり、何代もさかのぼって財産を没収したりする。
韓国の儒教文化では、「過去にさかのぼった正義と正統性」が非常に重要なのである。
韓国のメディアを見ていて気づくもうひとつの特徴的な表現が「道徳的優位性をとる」というものだ。
この言葉がこれほどメディアで使われる国はない。私はいろんな国のニュースを聞いているが、「道徳的優位性を見せるために……」などと言っているのは韓国くらいだ。
たとえば、2019年の半導体部品輸出規制をめぐる動きのときも、「韓国は冷静に対応し、道徳的優位性を示す必要がある」などという論調が存在した。
また、ちょうどこの「道徳的優位性という言葉が政治関連ニュースでよく出てくるな」と思っていた矢先に、ソウルでのとある交渉事で、交渉相手である先方から「ここで大局を見て譲歩してくれたら、あなたは道徳的に上位にいけるではないか」などと、まったくうれしくない説得を執拗にされたこともある。
ちなみに2022年初頭の韓国大統領選挙でも、「私のほうが道徳的なリーダーだ」という論戦が、大統領候補者間のディベートで目についた。
では、この「道徳的優位性」にこだわるのは、いったいなぜなのだろうか?
韓国の日常生活でも重視される「道徳的優位性」
実はここにも、「道徳的に正しい社会を建設する」という儒教観念および、「他人の悪を憎む」という朱子学思想が表れている。
なお韓国儒教は極めて深淵な世界なので、私が完全に理解できるわけもないし、そのようなそぶりも見せるつもりはない。
それでも、儒教のなかでとくに朝鮮王朝で発達した朱子学で盛んだった性理学を学ぶことは、韓国の伝統的な集団的思考回路を理解する重要な一助になるだろう。
琴章泰(クム ジャン テ)の「韓国社会と儒教──韓国儒教の課題と特性」(東京大学コリア・コロキュアム、2004年7月14日)では、次のように指摘している(以下要約)。
朝鮮王朝時代の朱子学は、純正性の追求を特性のひとつとする。したがって価値判断において正当性の基準を画一化させようとする意志が強く、対立するときに折衷や妥協の余地がなくなってしまう。
また「正統論が強化され、異端排斥論が強く、現実への適応力が弱くなり、妥協と包容を通じた和合の機能が衰える」とも論じられているが、これは現代韓国社会にも、結構当てはまる傾向だ。
韓国ではこのように、原理原則論や道徳的優位性にこだわるからこそ、妥協なき「明確な謝罪獲得」に躍起になることになる。
「過去を正す」ために、「真の謝罪」を求める
私が知る限り、韓国ほど、さまざまなトピックに関し、「反省せよ! 反省せよ! 謝罪せよ!」と群衆が叫ぶデモを、あれほど大規模かつ頻繁にやっている国は、ほかにない。
ちなみに江南のサムスン本社の前に行くと、いつも「サムスンは何々の道徳的責任をとり、謝罪・補償せよ!」という垂れ幕と自分の連絡先を大きく掲げてデモをしている人々がいる。
こうした「謝罪」と「補償」要求デモは、別にとりたてて日本だけにしているわけでなく、国内的にも活発にやっているのだ。
また、2022年初頭の韓国大統領選挙でも、与野党候補共に家族のスキャンダルなどで国民に何度も「謝罪」を求められており、「謝罪選挙」だと揶揄されていた。そして候補者同士でお互い、「あなたこそ謝罪する必要がある!」とやりあっていたのだ。
このように、韓国では相手が国内だろうが国外だろうが、「反省」と「謝罪」を引き出して、「道徳的優位性」を確認したい人が多い。
だからこそ、単に謝罪を求めるだけでなく、「いったい何に対して謝っていて、反省しているのか」を細かく具体的に追及してくる。
また謝っても、「チンジョンソンインヌンサジェ(真の感情がこもった謝罪)」「ソンイ(誠意)あるサジェ」であることが求められるので、「形式的な謝罪」は逆に怒りに火をつけるのである。
ここに、謝っているのか、謝っていないのか、何に対して謝っているのかを曖昧にして、「なんとでも解釈できる玉虫色の決着を狙う」ことが一般的な日本とは、大きな違いがあるのだ。
これまで述べてきたように、朝鮮半島の伝統的儒教文化では「道徳的正しさ」にこだわる。そして「本来あるべき論」を求め、過去にさかのぼって「歴史をあるべきものに戻す」という傾向が極めて強い。
ただ念のため再度強調するが、現代の個人レベルではまったくそうではない人もたくさんいる。儒教嫌いを公言している韓国人の若者も少なくない。
しかし政治といった比較的高齢世代が多く、「民族的記憶」や「民族的アイデンティティー」で集団意思決定がされる場になると、この儒教文化がいまだに色濃く影響するのである。
「真相究明の国」vs.「水に流す国」が争うと…
この「過去にさかのぼったしつこさ」は、ひとえにその「先祖の魂は不滅」という儒教的死生観も一因であるように思われる。
実際のところ韓国では、下手したら死後も責任を問う傾向が強い。たとえば韓国ドラマでも日常生活でも「最後まで責任を問う」という言葉が頻繁に出てくる。現代の政治家でも、相手方に対し「墓を掘り起こして処罰」みたいな言葉を使ったりもする。
日本のような「武士の情け」はなく、責任追及はちょっとやそっと、死んだくらいでは終わらない。儒教の世界では、「死後もその魂はこの世に長らく存在しつづける」と考えられていた。
そして、儒教文化にのっとり、先祖の功徳や罪状は後世の子孫にも引き継がれるので、「悪いことをしたのだから、罪を徹底的に償うべきだ」というように、子々孫々の代まで徹底追及してくる。
このように、過去にさかのぼり徹底的に責任追及する儒教文化が、「死ねば皆、天に行く」という仏教的な思想や、「過去を水に流す」武士道の思想と対立すると、双方の違和感につながるのだ。
そんな文化の違いがあるなか、「真相究明の国」vs.「水に流す国」が争えば必然的に、
「なぜ、そう曖昧にして簡単に忘れるのだ!」という韓国の怒り 「いつまで過去にこだわっているんだ!」という日本の怒り
にそれぞれつながり、まさに「イマここ」状態なわけである。
なおこのコラムを書いている今も、韓国新政府が「徴用工問題の解決は、日本側の誠意も必要」とメディアに向け語っていた。
「法的に払ったやろ!」などの建前的アプローチではなく、感情がこもっているかどうかが、何をするにしても韓国側にとっては重要だと考えているのである。
*********************************************************
一部引用以上
韓国では日本人には理解不能な価値観、「道徳性」が社会原理として厳然と存在することが上に示されている。
犯行後の「謝罪」がめちゃめちゃに重要で、史上最悪の殺人鬼が「謝罪」したことで死刑判決が執行されていない。
この道徳は、日本人のように「人間としてどうか?」ではなく「儒教秩序に照合してどうか」という意味である。
「千年の恨」という言葉があるように、韓国には水を流すという文化はないが、謝罪すれば許すという文化はある。
ちなみに、「千年の恨」の価値観からいえば、関東大震災の朝鮮人大虐殺と、731部隊による新宿大虐殺、そして天竜ダム大虐殺について、朝鮮人が大量虐殺された証拠が明らかだが、これは、まだ韓国に知られていないので、これから楽しみだ。
なお朴正熙・李承晩による400万人を超すといわれる左派大虐殺は、同じ韓国人なので糾弾対象にされていないようだ。
さらに、韓国人が数万人のベトナム人女性を虐殺し、強姦して子を産ませたライタイハン問題も、韓国世論では完全無視されているところが、実に不可解、不思議な国である。
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