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徽宗皇帝のブログ

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「マルキシズム」への疑問
私は無知そのものの人間だが、長所と思える部分がひとつあって、「自分が分からないことを分からないと認識できる」ところである。詳しく言うと、どんなに基本的な、あるいは初歩的なことでも、自分に分からないことは「棚上げ」にして先に進むことはするが、それが「自分は分かっていない」ということは常に知っているということだ。だから、「ビッグバン説」も「進化論」もほとんど信じていない。キリスト教にはずっと興味があって、ドストエフスキーなど大好きだったし今でも好きだが、自分はキリスト教が分かっていないという意識がいつもあった。仏教も同様だ。すべて、興味はあるが、根本部分がまったく理解できないのである。
共産主義というのもそのひとつで、やはり根本的な部分が理解できなかったのである。社会主義なら、昔の「空想的社会主義」の活動を見れば、それが社会的弱者、特に労働者の貧困と不幸な生活状況への同情というヒューマニズムが根本にあり、その生活状況の改善が主な目的だという、非常に分かりやすいものである。だが、マルキシズムとなると、「暴力革命」とか「プロレタリアート独裁」とか、さっぱり分からない。なぜ、そんなに人と人が血を流して争い合い殺し合わねばならないのか。ところが、議会を通じて労働者の地位改善を図ろうとしたら「修正主義だ」とか言われて共産主義者からは糾弾されるらしい。その理屈としては、労働者の地位が向上したら、社会が安定し、革命の契機が失われるからだ、という論理らしい。馬鹿じゃねーの、としか思わない。「現在の労働者が不幸であればあるほど革命のためには望ましい」というキチガイ思想がマルキシズム(あるいはレーニンの思想)ならそんなものには近づきたくもない、と思うのは「労働者と同じ側に立つ者」として自然ではないだろうか。だが、そのマルクスの思想やレーニンの思想を書いた本などまったく読んだことも無いのだから、これはあるいは事実無根の言いがかりかもしれない。
まあ、私のように無知で頭の悪い人間でも理解できるような説明をマルクス・レーニン思想を奉じる人は読みやすい本に書いてほしいと思う。あるいは、自称マルキストの「紙谷研究所」氏などが書いた本を読めばいいのかもしれない。


で、ここからが本題だが、前置きが長いわりに本題は短い。
それは、「共産主義、あるいはマルキシズムとは都市労働者だけしか頭に置いていない思想ではないか」という疑問だ。つまり、雇用・被雇用関係がマルキシズムの大前提ではないのか。「資本家による労働者の搾取」というのは、まさにそれだろう。しかし、社会の仕事は雇用・被雇用関係だけではない。簡単な話、家庭の主婦はどうか。あるいは個人事業主はどうか。あるいは芸術家はどうか。あるいは百姓はどうか。これらの人々も何らかの搾取はされていると言えるかもしれない。しかし、それでは彼らは闘争に立ち上がり、プロレタリアート独裁を目指すべきなのか。家庭の主婦は亭主を打倒して主婦独裁を目指すべきなのかwww
まあ、ここでは問題提起だけにしておく。マルキスト諸君はこの問題にどう答えるだろうか。


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