元共産党員の北林あずみ氏による「社会主義と共産主義の違い」と、なぜ世界に「反共主義」の名の下に「反社会主義」思想が広まったかの簡単な説明部分を抜粋して転載する。
(以下引用)赤字は徽宗による強調。つまり、「反共主義」自体が幻想を相手の戦いなのである。言うまでもなくその実体は「社会主義」を壊滅させ、支配層と富裕層を守り、下級国民を搾取し続けるための、各国政府やマスコミを動員した戦いだ。
共産主義と社会主義との違いをどれほどの人が知っているだろうか。
ほとんどの人が共産主義と社会主義とをごちゃ混ぜにして使っている。
ごちゃ混ぜになっている責任は、共産主義という概念自体の曖昧さにある。というか、共産主義という概念が、あってないようなものだからだ。
エンゲルスは『空想から科学へ』を出版して、フーリエ、オーエン、サン=シモンなどの空想的社会主義を批判したが、共産主義こそまったくの空想であり、妄想だ。
マルクスが論じたのは社会主義であって、共産主義ではない。共産主義社会は、社会主義社会の「はるか先に出現」するだろう理想的社会として「空想的」に、そして夢物語として、ほんの「さわりだけ」触れられたに過ぎない。マルクスが論じた社会は社会主義社会であり、共産主義社会は、社会主義社会がより高度に成熟した先に出現する「だろう」社会として「夢」見たものでしかない。
マルクスの哲学(もしくは思想)と、マルクス主義とは違う。
これもほとんど理解されてはいない。この件については後述する。
共産主義という概念は、ほとんど語るに値しないものだ。夢でしかない社会であり、空想、もしくは妄想の世界の社会でしかない。
「共産主義」という言葉が一人歩きを始めのは、マルクスとエンゲルスによって書かれたとされる『共産党宣言』の影響があまりにも大きかったからだ。が、『共産党宣言』は共産主義者同盟の思惑が濃厚に入り込んだもので、厳密に言えば、マルクスによって書かれたものとは言えない。そして、共産主義という思想を具体的に語ったものでも、共産主義社会それ自体を語ったものでもない。社会主義を目指す政治的姿勢の宣言に過ぎない。
が、その宣言が社会に与えた衝撃があまりにも大きかったから、共産主義が一人歩きを始めてしまったのだ。本来なら、『社会主義への道と宣言』とでもすべきものだ。
一般にいわれているマルクス主義は、社会主義革命を初めて成し遂げたレーニンがマルクス哲学を独自にアレンジしたものだ。当然に、社会主義革命に至るまでの実践的革命論と、革命後に樹立した社会主義国家をいかに維持し発展させていくか、その実践的課題と克服とを中心にしたものになる。言葉の厳密な意味でのマルクスの思想とはいえない。だからマルクス・レーニン主義といわれている。
ロシアの国内と国外のブルジョアジーによる反革命から、革命後の脆弱な国家を死守していくために、強調されたのがプロレタリアート独裁だった。レーニンはその独裁国家を、「共産主義社会」へと移行するまでの過渡期の国家として位置づけ、社会主義国家とした。したがってその独裁国家は全体主義国家だといえる。階級のない社会へと止揚しながら発展していく、原動力であり、歴史的使命を背負ったプロレタリア―トによるものだから、独裁が正当化されたのだ。
「反共」を考えるときに重要となるのは世界革命論だ。
世界革命論とは、ロシア一国にとどまらず、全世界に社会主義革命を広めて、社会主義国家を樹立していかなければ、究極的な目的である「共産主義社会」の実現は不可能だというものだ。インターナショナリズムとは世界革命論と結びついて生まれた思想だ。
世界各国に「共産党」を名乗る政治結社と政党が生まれた理由と原因は、この世界革命論にあり、ソ連指導によるインターナショナル(コミンテルン)が結成された必然性も、この世界革命論にある。
日本共産党もそうした党の一つだった。
だから戦前の日本共産党は、コミンテルンの指導下にあった。
(以下引用)赤字は徽宗による強調。つまり、「反共主義」自体が幻想を相手の戦いなのである。言うまでもなくその実体は「社会主義」を壊滅させ、支配層と富裕層を守り、下級国民を搾取し続けるための、各国政府やマスコミを動員した戦いだ。
共産主義と社会主義との違いをどれほどの人が知っているだろうか。
ほとんどの人が共産主義と社会主義とをごちゃ混ぜにして使っている。
ごちゃ混ぜになっている責任は、共産主義という概念自体の曖昧さにある。というか、共産主義という概念が、あってないようなものだからだ。
エンゲルスは『空想から科学へ』を出版して、フーリエ、オーエン、サン=シモンなどの空想的社会主義を批判したが、共産主義こそまったくの空想であり、妄想だ。
マルクスが論じたのは社会主義であって、共産主義ではない。共産主義社会は、社会主義社会の「はるか先に出現」するだろう理想的社会として「空想的」に、そして夢物語として、ほんの「さわりだけ」触れられたに過ぎない。マルクスが論じた社会は社会主義社会であり、共産主義社会は、社会主義社会がより高度に成熟した先に出現する「だろう」社会として「夢」見たものでしかない。
マルクスの哲学(もしくは思想)と、マルクス主義とは違う。
これもほとんど理解されてはいない。この件については後述する。
共産主義という概念は、ほとんど語るに値しないものだ。夢でしかない社会であり、空想、もしくは妄想の世界の社会でしかない。
「共産主義」という言葉が一人歩きを始めのは、マルクスとエンゲルスによって書かれたとされる『共産党宣言』の影響があまりにも大きかったからだ。が、『共産党宣言』は共産主義者同盟の思惑が濃厚に入り込んだもので、厳密に言えば、マルクスによって書かれたものとは言えない。そして、共産主義という思想を具体的に語ったものでも、共産主義社会それ自体を語ったものでもない。社会主義を目指す政治的姿勢の宣言に過ぎない。
が、その宣言が社会に与えた衝撃があまりにも大きかったから、共産主義が一人歩きを始めてしまったのだ。本来なら、『社会主義への道と宣言』とでもすべきものだ。
一般にいわれているマルクス主義は、社会主義革命を初めて成し遂げたレーニンがマルクス哲学を独自にアレンジしたものだ。当然に、社会主義革命に至るまでの実践的革命論と、革命後に樹立した社会主義国家をいかに維持し発展させていくか、その実践的課題と克服とを中心にしたものになる。言葉の厳密な意味でのマルクスの思想とはいえない。だからマルクス・レーニン主義といわれている。
ロシアの国内と国外のブルジョアジーによる反革命から、革命後の脆弱な国家を死守していくために、強調されたのがプロレタリアート独裁だった。レーニンはその独裁国家を、「共産主義社会」へと移行するまでの過渡期の国家として位置づけ、社会主義国家とした。したがってその独裁国家は全体主義国家だといえる。階級のない社会へと止揚しながら発展していく、原動力であり、歴史的使命を背負ったプロレタリア―トによるものだから、独裁が正当化されたのだ。
「反共」を考えるときに重要となるのは世界革命論だ。
世界革命論とは、ロシア一国にとどまらず、全世界に社会主義革命を広めて、社会主義国家を樹立していかなければ、究極的な目的である「共産主義社会」の実現は不可能だというものだ。インターナショナリズムとは世界革命論と結びついて生まれた思想だ。
世界各国に「共産党」を名乗る政治結社と政党が生まれた理由と原因は、この世界革命論にあり、ソ連指導によるインターナショナル(コミンテルン)が結成された必然性も、この世界革命論にある。
日本共産党もそうした党の一つだった。
だから戦前の日本共産党は、コミンテルンの指導下にあった。
PR
コメント