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徽宗皇帝のブログ

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「尖閣列島」の所属問題は、日中紛争の種としてわざと米国が残した
増田俊男の「時事直言」記事だが、これほど重要な記事を書いていたとは驚いた。まあ、ホラかもしれない(すでにキッシンジャーが死んだ今では「死人に口無し」である。)が、事実であっても少しもおかしくないし、米国の戦略としては非常に合理的だ。まあ、属国日本には不愉快な話だが。日本政府自体が属国であることを望んでいるのだから、自民政権を選んでいる限りどうしようもない。

(以下引用)



<時事直言>キッシンジャーと尖閣諸島


世界のキッシンジャーが100歳の長寿を全うし永眠した。
私の恩師舩井先生は私に宇宙遊泳術を伝授して下さったがキッシンジャーの発想や考えは宇宙から世界を見下ろしたところから出てくる。
トランプのようにアメリカ・ファーストではなく、言うならキッシンジャーは世界ファーストである。
私は、2005年11月ハドソン研究所のハーバート・ロンドン社長からキッシンジャーをご紹介頂いた。


1971年6月17日、日米で調印された沖縄返還合意の立役者はキッシンジャーと若泉敬(佐藤首相の黒子)であった。
私は、何故キッシンジャーは沖縄返還に関し何故沖縄全土から尖閣諸島を除外したのか疑問に思い続けていた。
だから初対面にもかかわらずキッシンジャーに「沖縄返還の際何故尖閣諸島を除外したのですか」と聞いた。
キッシンジャーは不愉快極まりない顔をしたので紹介者のロンドンさんが私に、こういうことはまた別の機会で話したらどうかと言うことで立ち話は終わり、キッシンジャーは別のところへ移動した。
しかし私はキッシンジャーの一瞬の困惑した顔色で尖閣諸島除外の真相を察することが出来た。
そしてその後私の推察が正しいかどうかの裏付けを探し求めた。
沖縄返還後の1972年2月21日ニクソン大統領・キッシンジャー安全保障大統領補佐官と毛沢東国家主席・周恩来首相との間で米中国交正常化の合意がなされた。
その後キッシンジャーと周恩来の密約が交わされたが、2002年にリークされた。中国がアジアの覇権を持つに十分な状態になった時、アメリカは中国にアジアの覇権を渡すという内容であった。
田中角栄首相が訪中し毛沢東・周恩来と日中国交正常化合意に署名したのはアメリカより遅れた1972年9月25日であったが、日中平和友好条約締結はアメリカの米中平和友好条約の1979年1月1日より早い1978年10月23日であった。
日本に先を越されたキッシンジャーは日本に不快感を持った。
後に田中角栄(私は研究学園都市建設事業でお世話になった)は政治生命と肉体生命を失うことになった。
田中の死で、日中平和友好条約と同時に交わす予定の、キッシンジャーが最も恐れていた日中安保同盟構想が消えた。
沖縄返還合意に関し尖閣諸島をどうするかアメリカ議会は台湾の領有権主張に迎合していたが、一方キッシンジャーは将来の日中関係悪化と将来の米中関係を考慮して尖閣諸島の沖縄除外を決めた。
これはキッシンジャーの日本嫌いの勢いではなく、(当時から)50年先のアジア情勢を読んだ上での決断であった。


私はキッシンジャーとはマンハッタンのHarry’sステーキハウスなどで何度かお会いする機会があったが、いつも「増田君、今日はどんな話で私を不愉快にするのかね」などと言いながら、初対面の際の尖閣諸島に関する私の質問には、「仲良くすべき兄弟を争わせて子供を制する親もいる」などとそれとなく私の質問に答えてくれた。
これから私は舩井先生から教わった宇宙遊泳術でキッシンジャーのように宇宙から世界を見ながら私のファンの皆様と一緒に楽しく勉強をしたいと思っている。


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