「戦争法案」が違憲であるというのはほぼ全部の憲法学者の共通認識だと言えると思うが、その法案が衆議院を通過した(のか?)ことに対して裁判所は「違憲立法審査」を行えないのか、と、中学生レベルの疑問を持ったので、少し調べてみて、なかなか面白い記事に出会ったので転載しておく。下記記事の筆者の言うのはすべてもっともであり、今後、他の記事も読んでみようかと思う。
裁判所と政府の関係については、
「実際に戦後早々、警察予備隊(自衛隊前身)が違憲であるとの訴えが起こされたが、 具体的な訴訟(誰かがそれによって不利益をもたらしたか)が提起されないのに憲法及びその他の法律等に判断を下す権限はない、 との理由で違憲性さえ触れられずに却下されている。」
に見られるように、政府の「御用裁判所」であるのが裁判所の今の状態であるようだ。
人が死んでからでないと(つまり、上の引用で言う「具体的な訴訟」が存在するための「被害者」が出ないかぎり)裁判に訴えることができないのはおかしな話である。何しろ、戦争と同時に大量の死者が出るのは確実なのに、「被害者確実な法案」に対し、訴訟ができない、というのは「キャッチ22」的な話だ。警察が「犯罪を未然に防ぐため」には何一つ動いてくれない、という話とよく似ている。
「憲法81条に規定されている違憲立法審査権は、付随的違憲審査制というものであり、 何か事件が起こってからでないと合憲なのか違憲なのかの判断することは出来ないものだということだ。 これに対して抽象的違憲審査制というものもあり、これは具体的な事件が発生していなくても、憲法に違反しているかどうかを判断できるというものだ。 後者の場合は憲法裁判所を特別に設置して、法案の合憲違憲を判断している国が多い。ドイツなどがその例となっている。」
であるならば、現在の「付随的違憲審査制」からドイツ的な「抽象的違憲審査制」に変えねばならないだろう。おそらく現在の違憲審査が「付随的違憲審査」であるのは、裁判所の権限を行政の下に置くための単なる辻褄あわせのための、学者たちに行政から強制された学説でしかないのではないか、というのが私の推測である。
まあ、憲法自体に裁判所の持つ「違憲審査権」は「付随的違憲審査権」である、と明記されているならば、どうしようもないが、(あるいは、その部分は憲法の不備であり、憲法改正の要もありそうだが)、それならば、「三権分立」とは名ばかりのものだなあ、という印象だ。
なお、「世に倦む日々」氏は、元最高裁判所長官などに「戦争法案」の違憲性を語ってもらうことが「戦争法案」を廃案にする運動に効果的だ、と言っている。確かに、現役の裁判官でなければ、行政の支配下にはないだろうから、そういう本音を引き出すことも可能かもしれないし、そういう談話は国民にも強い心的影響を与えるだろう。
(以下引用)
しげぼうの言いたい放題
・違憲立法審査を発動しやすくする仕組みを作れ!(2014年05月24日)
安倍内閣が、集団的自衛権の行使が可能になるように憲法を解釈変更し、自衛隊法を改正しようとしている。 勿論、日本が攻撃されなくても同盟国が攻撃されれば、日本は同盟国を守るために攻撃出来るなどという解釈は憲法9条に反することだ。 もし、そのような解釈が通ることになっては大問題である。
それをやめさせるには、誰がどう動きどういう手続きを取るのか。 私は法律の専門家ではないので、ネット上の様々な情報を探りながら、シミュレーション的に考えてみることにした。
まず、安倍内閣が上記法案を可決させたとして、それに反対する立場の者は、裁判でその法案は違憲ではないかと訴えることだろう。
日本国憲法第81条には 「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」 と書かれ、最高裁に最終的な権限が与えられている。 俗に言うところの違憲立法審査権である。 これは、誰でもが中学校レベルで知る社会科の知識である。司法が行政府や立法府を監視する三権分立の一つである。 これを発動させるようにすることがまず第一歩である。
ところが、この違憲立法審査制度というのは日本ではこれまでうまく機能していなかったのが実情なのである。
法律の専門的なことになるが、憲法81条に規定されている違憲立法審査権は、付随的違憲審査制というものであり、 何か事件が起こってからでないと合憲なのか違憲なのかの判断することは出来ないものだということだ。 これに対して抽象的違憲審査制というものもあり、これは具体的な事件が発生していなくても、憲法に違反しているかどうかを判断できるというものだ。 後者の場合は憲法裁判所を特別に設置して、法案の合憲違憲を判断している国が多い。ドイツなどがその例となっている。
つまり、日本では付随的違憲審査制であるため、仮に集団的自衛権の行使という違憲立法が出来たとしたら、その場合例えば 実際に日本が国外で戦争を行い、自衛隊員が海外の戦地に派遣され、 負傷者や戦死者が発生し、負傷者本人や戦死者の遺族らが国に対する訴訟を起こすなどして初めて、 最高裁が集団的自衛権行使を認める法律が合憲か違憲かを最終判断することになるのだ。
実際に戦後早々、警察予備隊(自衛隊前身)が違憲であるとの訴えが起こされたが、 具体的な訴訟(誰かがそれによって不利益をもたらしたか)が提起されないのに憲法及びその他の法律等に判断を下す権限はない、 との理由で違憲性さえ触れられずに却下されている。 近年では自衛隊イラク派遣の差し止めと損害賠償を求める訴訟が起こされ、2008年に名古屋高等裁判所の判決では、 日本国憲法第9条に違反する活動を含んでいるとする問題点を指摘したものの、派遣の差し止めと損害賠償は退けられ原告敗訴となった。
自衛隊関連以外では、1票の格差をめぐる選挙制度の不平等、憲法違反を訴えた裁判が頻繁に起こされてきた。 この場合は、合憲、違憲をはっきり裁判所は宣言しているが、違憲の場合でも「違憲状態にあるが選挙そのものは有効」 などと曖昧な判決が繰り返されてきた。
裁判の迅速性のなさ、違憲状態が確認された場合の具体的措置のなさ、 これでは我が国において違憲立法審査が機能しているとはとても言い難い。
違憲立法審査が機能していないということは、極めて大きな問題点である。
かつてドイツでナチスが政権を取ってからは、授権法(全権委任法)という法律が作られ、
「第1条:ドイツ国法律は、ドイツ国憲法(ワイマール憲法)に定める手続きによるほか、 ドイツ国政府によってもこれを議決することができる・・・」
「第2条:ドイツ国政府が議決したドイツ国法律は、それがかくのごときものとしてドイツ国議会およびドイツ国参議院の議事対象とならない限り、 ドイツ国憲法に背反されることが許される、」
というこれだけの内容でワイマール憲法を形骸化させ、独裁、戦争への道を突っ走ったのだ。 (ドイツが前途の抽象的違憲審査制を採用しているのもそうした過去に対する再発防止の意味があるようだ。)
今、もし日本で全権委任法などが国会を通ったとしたら、現在は一体誰が、どの組織がそれに待ったをかけることが出来るのであろうか? 非常に恐ろしいことだ。
安倍政権が行おうとしている憲法解釈変更による集団的自衛権行使は、ナチスが独裁を行うためにやったことと全く同等なのだ。
今迄の共産党や社民党などの護憲勢力は、現行憲法の一言一句変えさせないよう徹底して憲法改正反対を訴え、国会の一定議席の確保に努めてきた。 確かに現行憲法は戦争の放棄など世界的にも誇れる内容が多く、私としてもなるべく今の憲法を活かしていきたいと考えている。 しかし、どんなに良い憲法であっても、その憲法が本当に正しく運用されなくては意味がない。 憲法違反の法律や行政上の命令が下された場合、的確に素早く停止命令が出される仕組みがなくてはいけない。 選挙をやって誰かが訴えて、2年3年経過してようやく「違憲だが選挙そのものは有効」などと曖昧な判決を出しても意味はない。 憲法9条を無視して勝手に戦争をやって犠牲者が出てから誰かが訴えて「あれは憲法違反でした」では遅いのだ。 問題が起こる前に「この法律は憲法違反で無効です」と言わなければ意味がない。
こう考えた場合、日本は今後付随的違憲審査制ではなく抽象的違憲審査制を目指すことが望ましいと考える。 それには、憲法裁判所を設置するか、最高裁判所がその役割を担うようにするのか、 憲法81条を変える必要も出てくる。
果たして共産党や社民党は、そこまで踏み込んで考えてきたのであろうか?
とにかく、今のままでは、現在の日本国憲法は、ナチスが政権獲得時のワイマール憲法と同じ運命を辿ることも充分ありうるのだ。 安倍内閣の方針に反対している政治勢力は、そこのところを今後よく考え現実的に行動していただきたい。
裁判所と政府の関係については、
「実際に戦後早々、警察予備隊(自衛隊前身)が違憲であるとの訴えが起こされたが、 具体的な訴訟(誰かがそれによって不利益をもたらしたか)が提起されないのに憲法及びその他の法律等に判断を下す権限はない、 との理由で違憲性さえ触れられずに却下されている。」
に見られるように、政府の「御用裁判所」であるのが裁判所の今の状態であるようだ。
人が死んでからでないと(つまり、上の引用で言う「具体的な訴訟」が存在するための「被害者」が出ないかぎり)裁判に訴えることができないのはおかしな話である。何しろ、戦争と同時に大量の死者が出るのは確実なのに、「被害者確実な法案」に対し、訴訟ができない、というのは「キャッチ22」的な話だ。警察が「犯罪を未然に防ぐため」には何一つ動いてくれない、という話とよく似ている。
「憲法81条に規定されている違憲立法審査権は、付随的違憲審査制というものであり、 何か事件が起こってからでないと合憲なのか違憲なのかの判断することは出来ないものだということだ。 これに対して抽象的違憲審査制というものもあり、これは具体的な事件が発生していなくても、憲法に違反しているかどうかを判断できるというものだ。 後者の場合は憲法裁判所を特別に設置して、法案の合憲違憲を判断している国が多い。ドイツなどがその例となっている。」
であるならば、現在の「付随的違憲審査制」からドイツ的な「抽象的違憲審査制」に変えねばならないだろう。おそらく現在の違憲審査が「付随的違憲審査」であるのは、裁判所の権限を行政の下に置くための単なる辻褄あわせのための、学者たちに行政から強制された学説でしかないのではないか、というのが私の推測である。
まあ、憲法自体に裁判所の持つ「違憲審査権」は「付随的違憲審査権」である、と明記されているならば、どうしようもないが、(あるいは、その部分は憲法の不備であり、憲法改正の要もありそうだが)、それならば、「三権分立」とは名ばかりのものだなあ、という印象だ。
なお、「世に倦む日々」氏は、元最高裁判所長官などに「戦争法案」の違憲性を語ってもらうことが「戦争法案」を廃案にする運動に効果的だ、と言っている。確かに、現役の裁判官でなければ、行政の支配下にはないだろうから、そういう本音を引き出すことも可能かもしれないし、そういう談話は国民にも強い心的影響を与えるだろう。
(以下引用)
しげぼうの言いたい放題
・違憲立法審査を発動しやすくする仕組みを作れ!(2014年05月24日)
安倍内閣が、集団的自衛権の行使が可能になるように憲法を解釈変更し、自衛隊法を改正しようとしている。 勿論、日本が攻撃されなくても同盟国が攻撃されれば、日本は同盟国を守るために攻撃出来るなどという解釈は憲法9条に反することだ。 もし、そのような解釈が通ることになっては大問題である。
それをやめさせるには、誰がどう動きどういう手続きを取るのか。 私は法律の専門家ではないので、ネット上の様々な情報を探りながら、シミュレーション的に考えてみることにした。
まず、安倍内閣が上記法案を可決させたとして、それに反対する立場の者は、裁判でその法案は違憲ではないかと訴えることだろう。
日本国憲法第81条には 「最高裁判所は一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」 と書かれ、最高裁に最終的な権限が与えられている。 俗に言うところの違憲立法審査権である。 これは、誰でもが中学校レベルで知る社会科の知識である。司法が行政府や立法府を監視する三権分立の一つである。 これを発動させるようにすることがまず第一歩である。
ところが、この違憲立法審査制度というのは日本ではこれまでうまく機能していなかったのが実情なのである。
法律の専門的なことになるが、憲法81条に規定されている違憲立法審査権は、付随的違憲審査制というものであり、 何か事件が起こってからでないと合憲なのか違憲なのかの判断することは出来ないものだということだ。 これに対して抽象的違憲審査制というものもあり、これは具体的な事件が発生していなくても、憲法に違反しているかどうかを判断できるというものだ。 後者の場合は憲法裁判所を特別に設置して、法案の合憲違憲を判断している国が多い。ドイツなどがその例となっている。
つまり、日本では付随的違憲審査制であるため、仮に集団的自衛権の行使という違憲立法が出来たとしたら、その場合例えば 実際に日本が国外で戦争を行い、自衛隊員が海外の戦地に派遣され、 負傷者や戦死者が発生し、負傷者本人や戦死者の遺族らが国に対する訴訟を起こすなどして初めて、 最高裁が集団的自衛権行使を認める法律が合憲か違憲かを最終判断することになるのだ。
実際に戦後早々、警察予備隊(自衛隊前身)が違憲であるとの訴えが起こされたが、 具体的な訴訟(誰かがそれによって不利益をもたらしたか)が提起されないのに憲法及びその他の法律等に判断を下す権限はない、 との理由で違憲性さえ触れられずに却下されている。 近年では自衛隊イラク派遣の差し止めと損害賠償を求める訴訟が起こされ、2008年に名古屋高等裁判所の判決では、 日本国憲法第9条に違反する活動を含んでいるとする問題点を指摘したものの、派遣の差し止めと損害賠償は退けられ原告敗訴となった。
自衛隊関連以外では、1票の格差をめぐる選挙制度の不平等、憲法違反を訴えた裁判が頻繁に起こされてきた。 この場合は、合憲、違憲をはっきり裁判所は宣言しているが、違憲の場合でも「違憲状態にあるが選挙そのものは有効」 などと曖昧な判決が繰り返されてきた。
裁判の迅速性のなさ、違憲状態が確認された場合の具体的措置のなさ、 これでは我が国において違憲立法審査が機能しているとはとても言い難い。
違憲立法審査が機能していないということは、極めて大きな問題点である。
かつてドイツでナチスが政権を取ってからは、授権法(全権委任法)という法律が作られ、
「第1条:ドイツ国法律は、ドイツ国憲法(ワイマール憲法)に定める手続きによるほか、 ドイツ国政府によってもこれを議決することができる・・・」
「第2条:ドイツ国政府が議決したドイツ国法律は、それがかくのごときものとしてドイツ国議会およびドイツ国参議院の議事対象とならない限り、 ドイツ国憲法に背反されることが許される、」
というこれだけの内容でワイマール憲法を形骸化させ、独裁、戦争への道を突っ走ったのだ。 (ドイツが前途の抽象的違憲審査制を採用しているのもそうした過去に対する再発防止の意味があるようだ。)
今、もし日本で全権委任法などが国会を通ったとしたら、現在は一体誰が、どの組織がそれに待ったをかけることが出来るのであろうか? 非常に恐ろしいことだ。
安倍政権が行おうとしている憲法解釈変更による集団的自衛権行使は、ナチスが独裁を行うためにやったことと全く同等なのだ。
今迄の共産党や社民党などの護憲勢力は、現行憲法の一言一句変えさせないよう徹底して憲法改正反対を訴え、国会の一定議席の確保に努めてきた。 確かに現行憲法は戦争の放棄など世界的にも誇れる内容が多く、私としてもなるべく今の憲法を活かしていきたいと考えている。 しかし、どんなに良い憲法であっても、その憲法が本当に正しく運用されなくては意味がない。 憲法違反の法律や行政上の命令が下された場合、的確に素早く停止命令が出される仕組みがなくてはいけない。 選挙をやって誰かが訴えて、2年3年経過してようやく「違憲だが選挙そのものは有効」などと曖昧な判決を出しても意味はない。 憲法9条を無視して勝手に戦争をやって犠牲者が出てから誰かが訴えて「あれは憲法違反でした」では遅いのだ。 問題が起こる前に「この法律は憲法違反で無効です」と言わなければ意味がない。
こう考えた場合、日本は今後付随的違憲審査制ではなく抽象的違憲審査制を目指すことが望ましいと考える。 それには、憲法裁判所を設置するか、最高裁判所がその役割を担うようにするのか、 憲法81条を変える必要も出てくる。
果たして共産党や社民党は、そこまで踏み込んで考えてきたのであろうか?
とにかく、今のままでは、現在の日本国憲法は、ナチスが政権獲得時のワイマール憲法と同じ運命を辿ることも充分ありうるのだ。 安倍内閣の方針に反対している政治勢力は、そこのところを今後よく考え現実的に行動していただきたい。
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