民主党政権の誕生を歓迎する
台風11号の列島接近と同期するかのように、民主党への“期待の嵐”が列島を覆った。事前予想でも“民主圧勝”と言われていたが、総選挙の蓋を開けてみたら、同党は衆院の他のほとんどの政党から議席をモギ取り、単独過半数である「241議席」を大きく上回る「308議席」を獲得して“堂々と”政界第一党の地位に躍り出た。これが永田町での隠れた政争の結果起ったのではなく、炎天下の白日、国民全体の明確な意思表明として行われたことに、私は今回の総選挙の第1の意義があると思う。日本は、議会での多数党の首班が総理大臣として国政を司る間接民主主義の国だが、今回の総選挙では、公明党の太田代表や国民新党の綿貫代表が落選するなど、それぞれの政党の党首や大臣経験者に対する国民の審判が明確であり、一種の“直接民主主義”の様相を呈する側面もあった。国民の中の“無党派層”が目覚め、動いたことで、やっと日本は民主主義の実感を味わえる国になったと言えよう。
が、私は手放しで喜んでいるわけではない。今回の“民主圧勝”は、しばしば日本人の間違いの原因となってきた「ムードに流れる」性向や、「付和雷同」の傾向が背後にあることが否めないからである。それが証拠に、選挙前や選挙期間中に、真剣な政策論争はほとんど見られなかった。国民に人気のありそうな“お題目”を並べる一方で、対立政党に悪口を投げつける選挙運動は、従来とあまり変わらなかった。が、変った点は、永く続いた政官癒着や権力を握る政治家の醜態、経済政策の誤り、国民の貧富の格差の拡大、外交能力の欠如等……に対して、多くの国民が「もうガマンできない」として現政権への反対を決意したことだろう。これは言わば「ノー」の選択であるから、あるべき日本の未来像を肯定する「イエス」の選択ではない。この点が、次期政権を担う民主党が直面する大きな課題だろう。つまり、戦後の自民党政治が進めてきた政治・経済・外交の路線に対する明確な“代替案”を、ムードや理想としてではなく、具体的で実行可能な政策として提出し、党内の合意を経て、実施に移せるかどうかである。これができなければ、高まった国民の期待はすぐに逆方向に振れて、短命政権になり果てるだろう。
いつか本欄でも書いたと思うが、私は日本に2大政党制が到来することを待ち望んでいる。そういう意味では、野に下る自民党は崩壊してしまわずに、イギリスの保守党やアメリカの共和党のように、「自由尊重」と「現実主義」の立場から政策を提言し続けてほしいし、民主党は、イギリスの労働党やアメリカの民主党のように、「平等」と「理想主義」の価値を政策に反映させてほしい。まあ、これは英米の例にあえてなぞらえて書いたのだが、日本には日本独自の価値観の組み合わせがあってもいいし、またそうあるべきだろう。とにかく、現状のように、民主党も自民党も内部に“右”から“左”までの考えが混在している状態では、「どっちが政権を取っても同じ」という印象はぬぐい切れず、これが国民の間の政治不信と政治への無関心の原因となっている。今回の大変化を好機として、両党はぜひ政策論争を深めて、政治的に健全で、国民にとって有意義な“対立軸”を固めていってほしいのである。
だから、私が民主党政権の誕生を歓迎する第1の理由は、政権交替そのものへの支持だ。つまり、政治参加によって政権が交替しうるという事実を国民が体験したという意味で、今回の選挙結果を歓迎するのである。この事実は、2大政党制の前提である。第2の理由は、民主党の掲げる政策の方が、自民党のそれよりも環境への意識が高いからだ。ただしこの面は、実際の政策実行の段階でどのように変更されるか分からない。また、個別の政策では、高速道路の料金をすべて無料化するなど、環境行政に逆行するものも含まれているから、ポピュリズム(国民の人気取り)に流されないよう注意する必要がある。が、概して言えば、自民党は戦後の日本経済を築き上げてきた鉄鋼・重化学・エネルギーなどの“地下資源産業”との関係があまりに強いために、21世紀の人類と地球生命に必要な“地上資源産業”の育成に不熱心である。民主党は、支持基盤にそれら産業の労働組合を抱えてはいるが、新たな産業の育成と環境行政により熱心であるように思われる。そういう点も歓迎できるだろう。
民主党支持の3番目の理由は、ナショナリズムに対する注意深さだ。これまでの自民党政治家の動向を見ていると、ナショナリズムを手放しで歓迎する人々が多すぎると思う。本にも書いたが、ナショナリズムには善悪両面があるのである。このことは、国際関係を学ぶ者にとっては初歩的な確認事項であるにもかかわらず、勉強不足なのか、それとも“大向こう受け”を狙っているのか、とにかく「愛国」を前面に出せば何かが解決するという風情の言論は短見である。もちろん、自民党政治家の全員がそういうタイプではない。が、そういう人々が目立つのである。これに対して、民主党にも“右派”はいるようだが、少なくとも現在の党首である鳩山由紀夫氏は、冷戦後の国際情勢の分析を通して、日本を含めた東アジアにナショナリズムが勃興する危険性をきちんと予測し、それへの対策を外交方針に組み入れる用意があるようだ。(詳しくは、『Voice』誌本年9月号参照)
もちろん、「看板を書く」ことは比較的容易である。しかし、その看板に偽りない政策を実行することは、また別の問題である。私としては、今後の民主党政権の政治運営を注意深く見守りながら、必要と思うときには国民の1人として意見表明をしていくつもりである。
谷口 雅宣
(引用2)
2009年9月 1日
鳩山論文の不思議
民主党の鳩山由紀夫代表がアメリカの『ニューヨークタイムズ』紙に“寄稿”したという論文が、物議を醸している。私はこの論文を、同紙の世界版である『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』紙(IHT)の8月27日付の紙面で読んだが、「投票日前のこの時期によくぞ出した」と感じた。次の政権を担う責任者としての自覚があると感じたのだが、内容は結構シビアなので驚いた。新聞の発行地であるアメリカ向けのメッセージではないからである。ハッキリ言って“内向き”である。ところが、9月1日の『産経新聞』によると、鳩山氏は「寄稿した事実はない。中身が一部ゆがめられている。論文の全体をみれば反米的な考えを示したものではないと分かる」と記者団に語ったそうだ。しかし、寄稿しないものが掲載されるというのは、明らかな著作権法違反であり、そんなことがアメリカの一流新聞で行われるとは考えにくい。奇妙な話だ。
この論文は「A new path for Japan」(日本の新たな道)と題され、前回の本欄で触れた『Voice』誌(PHP研究所発行)の本年9月号の同氏の論文「私の政治哲学--祖父・一郎に学んだ“友愛”という戦いの旗印」のダイジェスト版として掲載された。元の日本語の論文は10ページにわたるものだが、英文のダイジェスト版はその三分の一ぐらいの長さだ。だから当然、原文の省略が行われており、しかも英語への翻訳だから、単純な「転載」などではない。
『産経』の記事は、このいきさつについて、「PHP研究所とIHTの間ではやり取りがあったようだが、IHTとニューヨーク・タイムズでどうなっているのかは知らない。IHTなどが論文を転載する際、事務所に事前許可を求めることはなかった」という鳩山氏の秘書の話を掲載している。しかし、上に書いたように、これは転載ではなく、「編集」と「英語への翻訳」という2つの段階を経た別の著作物である。その内容は当然、原著作者の鳩山氏が目を通すべきであると私は思うが、『産経』の説明では、鳩山氏は知らなかったらしい。となると、当初の私の印象は間違っていたことになる。つまり、鳩山氏は、投票日前に自らの外交姿勢を同盟国であるアメリカの知識層に伝えようと考えてこれを書いたのではなく、何かの手違いで、「内向きの話が、一部を翻訳されて外へ出た」ということか。
こういう話を聞くと、私は宮沢喜一氏がかつて首相だった時、マネーゲームで利益を上げるアメリカの一部の人々を槍玉に上げて「アメリカの労働倫理は歪んでいる」などと発言したことをメディアがとらえ、外交問題にまで発展したことを思い出す。確かこれも、内向きの会合での発言だったと思う。とにかく、日本語は修飾語を省略して書かれたり発言されることが多いから、それを英語に直訳すると、とんでもない誤解を招くことがある。そのことを鳩山氏のような経歴をもつ人の周辺が知らなかったとは思えないが、なぜかノーチェックで英語の編集翻訳が出てしまったようだ。あるいは、チェックを担当する人が“外交音痴”だったのかもしれない。新政府の出だしでの失敗は、残念なことである。しかし、出てしまったものは仕方がないから、それが本意でないならば、本人が早期にハッキリと否定し、再び外交問題にならないように対処すべきである。宮沢発言の場合も、その対応が遅れたことで尾を引く結果となったからだ。
ところで、上記の『産経』では、外交評論家の岡本行夫氏が問題の英文ダイジェスト版を取り上げ、一部を日本語に翻訳している。岡本氏が問題視している所は、次のように訳されている--
①「日本は冷戦後、グローバリゼーションと呼ばれるアメリカ主導の市場原理主義に翻弄され続け……人間の尊厳は失われた」
②「グローバル経済は日本の伝統的経済活動を損傷し、地域社会を破壊した」
ところが、この2つの文章に該当するような箇所は、『Voice』誌の日本語の原文にはない。あえて近い意味の所を引用すれば--
①「冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程といっても過言でないだろう」
②「各国の経済秩序(国民経済)は年月をかけて出来上がってきたもので、その国の伝統、慣習、国民生活の実態を反映したものだ。したがって世界各国の国民経済は、歴史、伝統、慣習、経済規模や発展段階など、あまりにも多様なものなのである。グローバリズムは、そうした経済外的諸価値や環境問題や資源制約などをいっさい無視して進行した。小国のなかには、国民経済が大きな打撃を被り、伝統的な産業が壊滅した国さえあった」。
これらを比較すると、私は原論文の編集の過程で誇張が行われ、それが英文に翻訳されることで際立っていった可能性を指摘したい。が、最大の問題は、やはり鳩山氏本人が問題の英文抄訳を「知らない」という点だろう。もしこれが本当であれば、鳩山氏は早急に外交ブレーンの人選を考え直すべきかもしれない。急がなければ、影響はひろがっていく。今日の『日経』の夕刊によると、ベネズエラのチャベス大統領は、「鳩山氏は米国主導の市場原理主義から距離を置き、人間の尊厳回復を政策に掲げている」として、日本の対米政策の変化を注視する構えを示したという。同大統領は「反米」で有名であり、その人から認められるということは、アメリカからは疑われることを意味する。その証拠に、31日のホワイトハウスの記者会見では、アメリカ人記者がギブス報道官に対して、鳩山政権が「中国やロシアと、より近い関係を望んでいるのではないか?」と質問している。(『朝日』夕刊)
傷口が広がらぬよう、早く手を打ってほしいものだ。
谷口 雅宣
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