昔、天安門事件というのがあった。中国政府の「民主化」を求めたデモ隊に警察が発砲し、数人の死者を出して、その後、無数の逮捕者を出したという事件である。
私が驚いたのは、このデモの首謀者のウアル・カイシという学生やその他のリーダーたちが、事件が破局に至る直前に、あっという間にアメリカに亡命したことであった。いくら何でも、こうした大事件の関係者がそんなに簡単にアメリカに渡航できるわけがない。これは、事件の前から亡命準備をしていたとしか考えられない。ということは、この事件は「アメリカが起こした事件」である、というのが私の出した結論であった。ウアル・カイシを脱出させたのはCIAであろう、と推理したわけである。
(以下、ウィキペディアから引用)
その後6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、中国共産党首脳部の指示によって、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が天安門広場を中心にした民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、市街地で争乱を繰り返す民衆に対して無差別に発砲した[6]他、装甲車で市民を轢き殺すなどして多数の民間人を死傷させた[7]。
この様な無差別な武力鎮圧は数時間に渡り行われ、6月4日未明以降も天安門広場に残った民衆の一部は、最終的に人民解放軍の説得に応じて広場から退去した[8](また、スペインの放送局が撮影した映像によると、学生を含む民衆に対して軍からの退去命令は行われていたが、多くの学生を含む民衆はまだ広場に残っていた)。なお、学生運動の主立ったリーダー達の一部は武力突入前にからくも現場から撤収し、支援者らの手引により海外へ亡命した。
(引用終わり)
その当否はともかく、国際的事件に対して私が常に眉に唾をつけて眺めるようになったのは、多分この事件からである。自分が騒ぎを扇動しておきながら、事件が破局に至るその直前にじぶんたちだけ逃亡するという、この行動の醜さにあきれたということもある。
そういう意味で、私はアウンサンスーチーがビルマ(ミャンマー)民主化闘争の旗手であるとも思っていない。彼女が本当に体制にとって危険な人物なら、これほど長い間、その生命が無事であるはずがない。結局はこれも体制側と裏で手を結んだ八百長芝居にすぎないのである。そして、その背後でシナリオを書いているのが欧米国家である。アウンサンスーチーの背後関係を探ったら、必ず欧米国家との関係が出てくるはずだ。表に出ているだけでも次のように欧米べったりの人物である。
(以下、ウィキペディアから引用)
アウンサンスーチーはビルマの首都だったラングーンに生まれた。
1960年に母親のキンチーがインド大使に着任すると、アウンサンスーチーはデリーで学ぶことになる。1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。なお1990年には名誉フェローに選出された。 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。
1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリスと結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。
(引用終わり)
同様に、チベット問題も欧米国家がシナリオを書いているに決まっている。ダライ・ラマはチベットにすら住んでもいず、国外から反中国を焚きつける扇動的言動をしているだけだ。
(以下ウィキペディアから引用)
CIAとの関係
1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[44]。
(引用終わり)
私は別に中国政府やミャンマー政府の肩を持つ気はないが、世界のマスコミは欧米資本の支配下にあるのだ。その欧米マスコミが言うことをすべて信じて、国際的な政治問題を判断することがいかに危険であるかに注意を促したいのである。
実に簡単な判断方法がある。それは、国際的な政治事件が起こったら、まず欧米支配層を疑え、ということである。もっと一般化して言えば、「それで利益を得るのは誰か」という、推理小説の原則を適応せよということだ。
一般に、「民主化闘争」とは、欧米国家にとって都合の悪い国家や政府を転覆させるための工作にすぎないことが多い。特に、それが暴力闘争になってきた場合は、必ずその背後に欧米国家の手がある、というのは中南米の近現代史を見れば常識に近いだろう。
ということで、上に挙げた人物たちの崇拝者たちには済まないが、私は彼らを芝居の役者もっとはっきり言えば、欧米のスパイだとしか思っていないのである。
私が驚いたのは、このデモの首謀者のウアル・カイシという学生やその他のリーダーたちが、事件が破局に至る直前に、あっという間にアメリカに亡命したことであった。いくら何でも、こうした大事件の関係者がそんなに簡単にアメリカに渡航できるわけがない。これは、事件の前から亡命準備をしていたとしか考えられない。ということは、この事件は「アメリカが起こした事件」である、というのが私の出した結論であった。ウアル・カイシを脱出させたのはCIAであろう、と推理したわけである。
(以下、ウィキペディアから引用)
その後6月3日の夜中から6月4日未明にかけて、中国共産党首脳部の指示によって、人民解放軍の装甲車を含む完全武装された部隊が天安門広場を中心にした民主化要求をする学生を中心とした民衆に対して投入された。一旦は数で勝る民衆によって阻止されたものの、その後これらの部隊は中国共産党首脳部の命令に忠実に、市街地で争乱を繰り返す民衆に対して無差別に発砲した[6]他、装甲車で市民を轢き殺すなどして多数の民間人を死傷させた[7]。
この様な無差別な武力鎮圧は数時間に渡り行われ、6月4日未明以降も天安門広場に残った民衆の一部は、最終的に人民解放軍の説得に応じて広場から退去した[8](また、スペインの放送局が撮影した映像によると、学生を含む民衆に対して軍からの退去命令は行われていたが、多くの学生を含む民衆はまだ広場に残っていた)。なお、学生運動の主立ったリーダー達の一部は武力突入前にからくも現場から撤収し、支援者らの手引により海外へ亡命した。
(引用終わり)
その当否はともかく、国際的事件に対して私が常に眉に唾をつけて眺めるようになったのは、多分この事件からである。自分が騒ぎを扇動しておきながら、事件が破局に至るその直前にじぶんたちだけ逃亡するという、この行動の醜さにあきれたということもある。
そういう意味で、私はアウンサンスーチーがビルマ(ミャンマー)民主化闘争の旗手であるとも思っていない。彼女が本当に体制にとって危険な人物なら、これほど長い間、その生命が無事であるはずがない。結局はこれも体制側と裏で手を結んだ八百長芝居にすぎないのである。そして、その背後でシナリオを書いているのが欧米国家である。アウンサンスーチーの背後関係を探ったら、必ず欧米国家との関係が出てくるはずだ。表に出ているだけでも次のように欧米べったりの人物である。
(以下、ウィキペディアから引用)
アウンサンスーチーはビルマの首都だったラングーンに生まれた。
1960年に母親のキンチーがインド大使に着任すると、アウンサンスーチーはデリーで学ぶことになる。1962-63年にはデリー大学レディ・スリラム・カレッジで政治学を学ぶ。1964-67年にはイギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジで哲学、政治学、経済学を学び、学士号を取得する。なお1990年には名誉フェローに選出された。 ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)で研究助手を務めた後、1969-71年にはニューヨークの国際連合事務局行政財政委員会で書記官補となる。
1972年にオックスフォードの後輩でチベット研究者のマイケル・アリスと結婚し、アレキサンダーとキムの2人の息子をもうける。ブータン外務省研究員、オックスフォード大学ボーダリアン図書館の研究員を務める。
(引用終わり)
同様に、チベット問題も欧米国家がシナリオを書いているに決まっている。ダライ・ラマはチベットにすら住んでもいず、国外から反中国を焚きつける扇動的言動をしているだけだ。
(以下ウィキペディアから引用)
CIAとの関係
1998年10月2日、ダライ・ラマ14世側はCIAから170万米ドルにのぼる資金援助を1960年代に受けていたことを認めた。援助資金は、志願兵の訓練や対中華人民共和国戦用のゲリラへの支払に費やされた。またダライ・ラマ14世への助成金は、スイスや米国での事務所設立や国際的なロビー活動にも充てがわれた。長年にわたってチベット独立運動を支援したCIAの秘密工作は、中華人民共和国・ソビエト連邦などの共産圏を弱体化させる目的の一環でもあった[44]。
(引用終わり)
私は別に中国政府やミャンマー政府の肩を持つ気はないが、世界のマスコミは欧米資本の支配下にあるのだ。その欧米マスコミが言うことをすべて信じて、国際的な政治問題を判断することがいかに危険であるかに注意を促したいのである。
実に簡単な判断方法がある。それは、国際的な政治事件が起こったら、まず欧米支配層を疑え、ということである。もっと一般化して言えば、「それで利益を得るのは誰か」という、推理小説の原則を適応せよということだ。
一般に、「民主化闘争」とは、欧米国家にとって都合の悪い国家や政府を転覆させるための工作にすぎないことが多い。特に、それが暴力闘争になってきた場合は、必ずその背後に欧米国家の手がある、というのは中南米の近現代史を見れば常識に近いだろう。
ということで、上に挙げた人物たちの崇拝者たちには済まないが、私は彼らを芝居の役者もっとはっきり言えば、欧米のスパイだとしか思っていないのである。
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