今日は引用無しで書くが、杉田水脈議員の「生産性の無い人間に人権は無い」(非常に意訳したものwww)発言についてである。杉田議員は、「人権は義務の対価として与えられる」「LGBT(の方々)は子孫を残さず、生産性が無い。そういう人々に税金を使うべきではない」という趣旨のことを言っていたと思うが、うろ覚えのままその趣旨について以下に論じてみる。(したがって、以下に書くことは杉田氏の発言を正確に記憶してのものではないので、「藁人形論法」になっている可能性もあることをあらかじめ言っておく。)
後者の発言は、「子孫を残さない=生産性が無い」という大きな間違いがあるのは誰でも気づくことだが、「生産性」を「子供を産む性能」としている国会議員がいると世界に知られたら、大笑いされるだろう。それを言うなら、安倍夫妻など子供を生産していないが膨大な税金を個人的に費消しているわけである。これを税金の無駄遣いと杉田氏は言うのだろうか。いや、安倍総理批判の意図でそう言っているのならむしろ尊敬する。
「人権は義務の対価である」というのが大問題発言であるのは、その発言が、「義務を果たせない人間には人権は無い」つまり、老人、病人、子供などのほとんどは人権を与えられる資格が無い、ということになるからである。自民党改憲案は要するにそういうことを言っているわけで、杉田氏はその文脈で発言しているに過ぎないから、杉田氏だけを責めるわけにはいかないが、大馬鹿発言であるのは明白だろう。
自民党の馬鹿議員たちは、要するに「社会福祉政策」費用を大きく削減したいから、生活保護不正取得などの僅少な例を大きく取り上げて「納税の義務を果たしていない連中に生活保護などの権利を与える必要はない」と叫んでいるのだと思う。そして、そういう主張は、税金に苦しむ下層階級の人々の同意も得やすい、いわゆる「俗耳に入りやすい」ものではあるのだ。おそらく、生活保護受給者と同レベルの経済状態の国民さえ(いや、だからこそ)、その種の主張をする人は多いと思う。偉い連中の何億何兆という無駄遣いには文句を言わないが、生活保護を受けている人間のささやかな慰安には口を極めて罵倒するのが日本人の特徴なのか、人間性一般の特徴なのかは知らないが、実に下種な思考である。雲の上の人には奴隷のごとく従い、その一方で自分と同レベルの人のささやかな幸運や利得を嫉視するわけである。
話を変えて、「生産性」という言葉が社会を悪化させる「マジックワード」になっている、ということを考えよう。
現代社会(新自由主義社会)においては「生産性」というのは絶対的価値であるかのように思われている。しかも、それは、生産性について深く考察することもなく、ただその言葉がマスコミに垂れ流され続けた結果なのである。つまり、ドグマ性を帯びているわけで、だから私はそれを「マジックワード」だと言っているわけだ。戦争の時代には、国民を戦争に総動員するための多くのキャッチコピーが「マジックワード」として使われるが、その効果の大きいことは誰でもよく知っているだろう。しかし、「平時のマジックワード」はなかなか気が付きにくい。
組織上部の人間が「会社(組織)の生産性を上げよう」と言った時、下部の人間は、それが自分たちの「労働強化」「労働条件悪化」であるにも関わらず、その言葉の意味することも気づかずに、生産性を上げるために必死で働く。自分で自分の首を絞めるわけである。労働者が長時間労働をし、低賃金のままであれば、会社としての「生産性」は当然上がる。それが会社の言う「生産性」の本当の意味であり、労働時間を短縮して労働者を楽にしようという方向に向かう会社はほとんど存在しないのである。
そういう意味で、誰かが言った(「コガイ・ダン」という人だったと記憶するが漢字は失念)「生産性は凄惨性」という言葉は、生産性という言葉の持つ凶悪性をよく表していると思う。
話が長くなったので、「生産性」に代わる概念として「有用性」「有益性」という言葉を提示する予定だったが、それは別の機会にする。
後者の発言は、「子孫を残さない=生産性が無い」という大きな間違いがあるのは誰でも気づくことだが、「生産性」を「子供を産む性能」としている国会議員がいると世界に知られたら、大笑いされるだろう。それを言うなら、安倍夫妻など子供を生産していないが膨大な税金を個人的に費消しているわけである。これを税金の無駄遣いと杉田氏は言うのだろうか。いや、安倍総理批判の意図でそう言っているのならむしろ尊敬する。
「人権は義務の対価である」というのが大問題発言であるのは、その発言が、「義務を果たせない人間には人権は無い」つまり、老人、病人、子供などのほとんどは人権を与えられる資格が無い、ということになるからである。自民党改憲案は要するにそういうことを言っているわけで、杉田氏はその文脈で発言しているに過ぎないから、杉田氏だけを責めるわけにはいかないが、大馬鹿発言であるのは明白だろう。
自民党の馬鹿議員たちは、要するに「社会福祉政策」費用を大きく削減したいから、生活保護不正取得などの僅少な例を大きく取り上げて「納税の義務を果たしていない連中に生活保護などの権利を与える必要はない」と叫んでいるのだと思う。そして、そういう主張は、税金に苦しむ下層階級の人々の同意も得やすい、いわゆる「俗耳に入りやすい」ものではあるのだ。おそらく、生活保護受給者と同レベルの経済状態の国民さえ(いや、だからこそ)、その種の主張をする人は多いと思う。偉い連中の何億何兆という無駄遣いには文句を言わないが、生活保護を受けている人間のささやかな慰安には口を極めて罵倒するのが日本人の特徴なのか、人間性一般の特徴なのかは知らないが、実に下種な思考である。雲の上の人には奴隷のごとく従い、その一方で自分と同レベルの人のささやかな幸運や利得を嫉視するわけである。
話を変えて、「生産性」という言葉が社会を悪化させる「マジックワード」になっている、ということを考えよう。
現代社会(新自由主義社会)においては「生産性」というのは絶対的価値であるかのように思われている。しかも、それは、生産性について深く考察することもなく、ただその言葉がマスコミに垂れ流され続けた結果なのである。つまり、ドグマ性を帯びているわけで、だから私はそれを「マジックワード」だと言っているわけだ。戦争の時代には、国民を戦争に総動員するための多くのキャッチコピーが「マジックワード」として使われるが、その効果の大きいことは誰でもよく知っているだろう。しかし、「平時のマジックワード」はなかなか気が付きにくい。
組織上部の人間が「会社(組織)の生産性を上げよう」と言った時、下部の人間は、それが自分たちの「労働強化」「労働条件悪化」であるにも関わらず、その言葉の意味することも気づかずに、生産性を上げるために必死で働く。自分で自分の首を絞めるわけである。労働者が長時間労働をし、低賃金のままであれば、会社としての「生産性」は当然上がる。それが会社の言う「生産性」の本当の意味であり、労働時間を短縮して労働者を楽にしようという方向に向かう会社はほとんど存在しないのである。
そういう意味で、誰かが言った(「コガイ・ダン」という人だったと記憶するが漢字は失念)「生産性は凄惨性」という言葉は、生産性という言葉の持つ凶悪性をよく表していると思う。
話が長くなったので、「生産性」に代わる概念として「有用性」「有益性」という言葉を提示する予定だったが、それは別の機会にする。
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