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徽宗皇帝のブログ

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戦闘教師ケン氏の軍事論
「混沌堂主人雑記」からの転載で、勉強になる部分があるからの転載であって、その意見に賛同してのものではない。「国のための」と「国民のための」が恣意的に使い分けられ、日本という国や日本人への嫌悪を増幅する意図すら感じられる。
最後の城塞の話にしても、思想の我田引水的な事例提示に見える。

支配者に「民衆を守る」発想が無いのはむしろ日本独自の伝統と言える

って本当に「日本独自」か? そういう国で、かつての兵士たちは「お国のために」死んでいったのか? つまり、全員馬鹿か? 全員キチガイだったのか? それとも背後に「督戦隊」でもいたのか? 当時の日本人の知性とモラルの高さは、訪れた外国人のほとんどが賛嘆していたのである。戦国時代の話を日本人の歴史全体に拡張するのは詐欺だろう。


(以下引用)



戦闘教師ケン 華東激闘編 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
【中国軍の統制に懸念=防衛問題で積極発言―石破地方相】
 石破茂地方創生担当相は28日、東京都内で開かれた日中関係に関するシンポジウムに出席し、中国軍機による自衛隊機への異常接近事案に触れ、「現場に文民統制が効いていないのか、中国共産党の意思なのか、きちんと分析しなければ(ならない)」と懸念を表明した。石破氏は、19日にも安全保障基本法制定の必要性に言及。現在は所管外の安保政策に関する発言が目立っている。28日は「人民解放軍は国民の軍隊なのか。共産党一党独裁を守るために存在するのなら、日本の発想とはかなり違う」と指摘。日本の集団的自衛権の行使容認に関しては「法律でいろんな歯止めや、(国会の)事前承認をかける」などとも語った。
(9月28日、時事通信)

おそらく石破氏は分かっていて言っていると思うのだが、何ともビミョーな発言である。
そもそも人民解放軍は「国民の軍隊」ではないし、自衛隊も「国民の軍隊」ではなく、軍隊のあり方や発想が違うのは当たり前のことで、むしろ日本の自衛隊は特異な存在に属すると思われる。

まず中国人民解放軍を見てみよう。現在の中華人民共和国が成立する前に創建された人民解放軍は、1927年に中国共産党のプライベートアーミー「紅軍」に端を発している。1947年に紅軍が人民解放軍に再編された後も、共産党の党軍としての色彩を濃厚に残したまま国軍としての機能も担うことになった。この辺、1947年に党軍としての「労農赤軍」から国軍としての「連邦軍」に再編したソ連とは大きく異なる。
人民解放軍の最高指揮権は憲法上、国家中央軍事委員会が有しているが、国防法第19条には「中華人民共和国の武装力は中国共産党の指導を受ける」とあり、党中央軍事委員会の統制も受けている。ところが今のところ、この国家中央軍事委員会と党中央軍事委員会は完全に同メンバーであるため、名目上は二元支配だが、実質的には一元支配という形になっている。
また、軍の帰属と役割について、中華人民共和国憲法は、



第29条 中華人民共和国の武装力は、人民に属する。その任務は、国防を強固にし、侵略に抵抗し、祖国を防衛し、人民の平和な労働を防衛し、国家の建設事業に参加し、人民への奉仕に努めることである。




と規定している。少なくとも憲法が、武力の人民への帰属と「人民への奉仕」を定めている点で、形式上は「人民の軍隊」と呼べるだろうし、実際に自称している。もちろん実態がどうかは別の話である。

では、日本の自衛隊はどうだろうか。まず日本国憲法は、



第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。




と規定しており、自衛隊は「陸海空軍その他の戦力」に該当しない、「戦力に至らない最小限度の実力=自衛のための実力組織」という公式理解になっている。つまり、世界有数の軍事力(予算額で世界6位)を有しながらも、「軍隊ではありません、自衛隊です」と主張している時点で、日本は相当に特異な環境にある。しかも、憲法が交戦権を認めていないため、自ら宣戦布告することはできない仕組みになっている。武力のあり方や戦時規定が憲法に記載されていない点でも、日本は特異な環境にある。
その結果、自衛隊の帰属は憲法で明らかにされておらず、防衛省の一機関として自衛隊法を根拠に設置されている。従って、その帰属は国家に帰される。日本国憲法第15条は、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と規定しており、この点からも自衛隊は一国家機関であって、決して「国民の軍隊(武力、実力組織)」ではない。
また、自衛隊法で見ても、



第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。




とあるように、「国の安全」を守る規定はあっても、国民保護に類する規定はない。自衛隊組織が宣伝の一環として「国民の生命を守る」(例えば防衛白書やホームページ)と主張することはあっても、実のところ法律には明記されておらず、一種の装飾的言辞と言える。これは平時なら問題ないかもしれないが、危機時には「法律に規定されていない」ことを理由に保護を拒否する可能性を示している。実際に1945年の沖縄戦において、軍は国民の保護よりも作戦を優先している。

こう言うと、「そもそも法律で軍の国民保護の役割を明記している国なんてあるのか(当たり前すぎて書かないのでは?)」という反論がありそうだ。
例えば、スイスは憲法で民兵の原則を謳いつつ、「軍隊は、国及び住民を防衛する」と規定しており、これこそが本来の意味での「国民の軍隊」と呼べる。また、フランスは国防法典において「国防は、常に、あらゆる事態において、また、あらゆる形態の侵略に対し、領土の安全及び一体性並びに住民の生活を保障することを目的とする」と規定している。フィンランドも同様に軍の主要な役割について、領土保全に続いて「人民の生活、基本的権利、自由を保障し、法と秩序を守る」と規定している。
興味深いのはイタリアで、その憲法第52条は、



軍隊の組織は、共和国の民主的精神に合致して形成される。




と規定している。軍隊に民主主義の精神を徹底させるよう、憲法に明記しているのだ。日本の自衛隊が非常に非民主的かつ権威主義的な組織(いじめが多いことも傍証)であることを思えば、やはり憲法を改正するか、自衛隊法を改正する必要があると考えられる。
長くなるので今回は指摘に止めるが、自衛隊は防衛省の一機関で、議会の統制が殆ど利かないという点で、実のところシヴィリアン・コントロール(文民統制)に大きな脆弱性を抱えている。これは、「軍隊ではない自衛のための最小限度の組織」として創建されたため、世界有数の軍事力になることなど全く想定していなかったことに起因するが、それが将来的に災いする可能性は否定できない。

石破クンは、自衛隊のあり方や文民統制に幻想を抱いているようだが、その根拠は非常に曖昧なのである。

【追記】
50年以上にわたって自民党が一党優位体制を維持、かつては在郷軍人会、今日では自衛隊OB会(現役も?)がこぞって自民党の選挙を支援する日本が、健全な文民統制を発揮できると考えるのは余りにも楽観的であろう。その意味で、自民党と自衛隊の関係は、一般的な民主主義国のそれよりも、中国共産党と人民解放軍のそれに近いとも言えるのである。ちなみにソ連では1991年のクーデターは別として軍の統制が乱れたことは一度も無く、むしろ政治統制が利き過ぎて軍の反対を押し切ってアフガニスタンへの介入が決められたほどだった。

【追記2】
ドイツの軍人法は、批判的な「共同思考的」軍人であることを求めつつ、「職務上の目的」を欠く命令、「人間の尊厳」に反する命令、犯罪行為に関わる命令には拘束力が無く、従う必要がない、もしくは従ってはならない、と規定している。これも「日本の発想とはかなり違う」ものである。

【追記3】
ヨーロッパや中国における城邑が巨大な城壁で街や集落を丸ごと囲む形で構築されているのに対して(全ての城塞ではないが)、日本の城はただの軍事拠点に過ぎず、戦争のたびに城下町が焼かれていた。支配者に「民衆を守る」発想が無いのはむしろ日本独自の伝統と言える(城下町の外に惣堀ができるのは安土後期から)。漫画『キングダム』は表現過剰ながら、古代における城邑の有り様がよく表現している。


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