資本の生産性が上昇し続けるかぎり、労働者は常に失業の脅威にさらされている。労働者は資本(徽宗注:「資本家」と言う方が分かりやすいと思うが、なぜか最近の学者はあまり「資本家」と言わないようだ。)に抵抗する以前に労働者相互間で競争している。現役労働者と失業者が競争している。この事情を最大限利用する資本は労働時間を延長し、労働強度を高め、結果的に賃金コストを軽減する。 (「ソ連史概説」より引用)
上記の本は、1999年に刊行されたものだが、小泉安倍政権以来、この傾向が激化しているのはご存知のとおりである。
なお、資本の生産性が上昇するとなぜ労働者が失業の脅威にさらされるのか、わざわざ説明するまでもないだろうが、生産性の高さとは「少ないコスト(特に賃金コスト)で多くの利益を上げる」ことだからだ。生産性が高いとは、「少ない人員でより多くの利益を上げる」ことを意味するのが普通なのである。つまり、「生産性が上がれば、不要な人員は削減され、(残る人員の労働量は増え)失業者が増える」のは当たり前のことである。まあ、因果関係が逆であり、「不要人員が削減されることを生産性が向上したと言う」が正確な言い方だろう。社会(企業社会)全体の生産性が向上したとは、社会全体に失業者が増えた(あるいは下級労働階級に転落した)ということだ。
ちなみに、同書には、「リカードが証明したように、機械の発達は労働する者に余暇や安楽を与えるより、逆にこれを奪うことに通じていた」と書かれており、これはまさに現代になってさらに痛切になってきた現象である。資本主義の最初期からこの事実が見抜かれていたのは驚きだ。
上記の本は、1999年に刊行されたものだが、小泉安倍政権以来、この傾向が激化しているのはご存知のとおりである。
なお、資本の生産性が上昇するとなぜ労働者が失業の脅威にさらされるのか、わざわざ説明するまでもないだろうが、生産性の高さとは「少ないコスト(特に賃金コスト)で多くの利益を上げる」ことだからだ。生産性が高いとは、「少ない人員でより多くの利益を上げる」ことを意味するのが普通なのである。つまり、「生産性が上がれば、不要な人員は削減され、(残る人員の労働量は増え)失業者が増える」のは当たり前のことである。まあ、因果関係が逆であり、「不要人員が削減されることを生産性が向上したと言う」が正確な言い方だろう。社会(企業社会)全体の生産性が向上したとは、社会全体に失業者が増えた(あるいは下級労働階級に転落した)ということだ。
ちなみに、同書には、「リカードが証明したように、機械の発達は労働する者に余暇や安楽を与えるより、逆にこれを奪うことに通じていた」と書かれており、これはまさに現代になってさらに痛切になってきた現象である。資本主義の最初期からこの事実が見抜かれていたのは驚きだ。
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