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徽宗皇帝のブログ

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「19世紀捕鯨船」的な企業形態の案
まだ全然熟していないアイデアだが、「新しい形の株式会社」を構想してみる。
「新しい形」と言っても、むしろ先祖がえりであり、本来の株式会社はこうだったのではないかと思う。
昨日だったか一昨日だったか、HULUで「白鯨との戦い」という映画を見ていて、「白鯨」の小説(映画は、「白鯨」の映画化ではなく、「白鯨」のモデルになったであろう出来事を描くという形になっていて、「白鯨」という小説の持つ面白さはまったく無くなっている。つまり、エイハブ船長の白鯨への執念という物語の根底が失われているから、ただの海洋冒険映画で終わっている。文学的な力の無い作品であるが、捕鯨船の描写だけは素晴らしい。)を読んだ時の記憶が少しよみがえったのだが、その小説の中に「配当」という言葉が出てくる。当時小学生だった私には「配当」という言葉を初めて知ったのがこの小説だったと思うが、要するに、捕鯨船の航海費用を金持ちだけでなく町の住民全体から募って、航海で得た利益を出資分に応じて配当する、という話だったと記憶している。船が難破してすべてがふいになる可能性もあるが、航海が成功して鯨油をたっぷり持ち帰れば、大きな配当金が得られるわけである。危険もあるが、ほんの一部の人間だけが大金を得る宝くじよりは、カネの回収の面で確実性の高い投資であるわけだ。
で、この「配当」は出資者だけでなく、捕鯨船の乗組員にも適用される。つまり、給与ではなく、「配当」が航海の間の労働の報酬なのである。腕のいい乗組員は高い配当で雇われる。
たとえば、凄腕の銛打ちならば、60分の1配当で、さほどでもない銛打ちなら120分の1配当、とかいった具合である。(このあたりの数字の記憶はまったく無いので、適当な数字を書いているだけだ。)
一つの航海で得た利益が120万ドルだったなら、120分の1配当の人間は1万ドルを得、60分の1配当の人間は2万ドルを得る、ということである。再度言うが、これは適当な数字を設定しただけで、現実にはもっと細かい数字になるだろう。
さて、この形式の株式会社を新しく立ち上げたら、どうなるか。役員たちだけが密室でお手盛りの報酬を得るのではなく、労働者も出資者も、事業の収益に応じた報酬が最初から約束されているとしたら。これは、新しい形の会社であり、新しい形の資本主義ではないだろうか。
会社というよりは、プロジェクトチームにおいて、この形は有効かもしれない。会社というと、我々はどうしても安定的恒久的な給与の支給を求めるから、こういう形態の会社に入るのは二の足を踏むかもしれない。
だが、これからの時代には、いつまでも確実に続くという企業は存在しないのではないか。
我々は、捕鯨船のコックや鍛冶屋や漕ぎ手や航海士として雇われ、航海が終われば配当を得て、次の航海まで体を休め、また新しい船に乗り込むような、そんな生き方を考えてもいいのではないだろうか。

まあ、いきなり完全配当制の会社を作るのは無理でも、契約条項の一つに、各期末ごとにたとえば利益の0.1%の配当が支給されるとなっていれば、その企業が大発展した場合には従業員も出資者も自動的に大金持ちになるわけで、私が若ければそういう会社にぜひ入りたいと思うし、小金があればそういう会社に出資したい。
従業員をできるだけ安く、できるだけこき使うことしか考えない、という企業の時代はそろそろ終わるべきだろう。

「この世界の片隅に」は作品の完成だけを望んで無償で寄付した人々のクラウドファウンディングで作られたが、この形を利益獲得目的のプロジェクトとしてやってもいいのではないだろうか。まあ、おそらくその形式を悪用したねずみ講的な詐欺事件が頻発すると思うが、そういう形式のプロジェクトはこれから広まり、発展していくように思う。

自分の好きな作品がアニメ化されるなら、私も1万円くらいは寄付してもいいし、それが大ヒットして「配当」が貰えるなら、もっと嬉しいwww 



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