宇佐美保氏のブログ記事からの抜粋転載である。ここで引用されている広瀬隆の本は「原子炉時限爆弾」という、2010年にダイヤモンド社から出版されたものらしい。ここで言及されている福島原発事故が起きたのは「2010年6月17日」、つまり、「2011年3月11日」の福島原発事故が起こる、ほんの9ヶ月前である。
今、フクシマはマスコミからは消えた状態、無いものとされた状態である。福島原発事故の総括も責任追及も、被災者への支援も保障も、福島の復興も、どこでどう行われているのか、それともまったく行われていないのかも分からない。安倍の「戦争法案」が見事にフクシマ(さらに言えばTPPも)を見えなくするスピンとしても機能しているわけだ。
下の広瀬隆の文章を読めば、3.11の福島原発事故は、9ヶ月前の重大事故を無視し、隠蔽し、事故対策を怠ったことから生じた、「起こるべくして起こった」ものであり、完全に人災であったと誰でも考えるだろう。では、その責任追及はどこへ行ったのか。
(以下引用)
更には、先の広瀬氏の著作には次の記述を見ます。
実はこの最終原稿を書いている最中の二〇一〇年六月一七日に、東京電力の福島第一原子力発電所二号機で、電源喪失事故が起こり、あわやメルトダウンに突入かという重大事故が発生したのだ。 日本のマスコミは、二〇年前であれば、すべての新聞とテレビが大々的に報道しただろうが、この時は南アフリカのワールドカップ一色で、報道人として国民を守る責務を放棄して、この深刻な事故についてほとんど無報道だった。ショックを受けた東京電力がくわしい経過を隠し、それを追及すべきメディアもないとは、実におそろしい時代になった。そもそもは、外部から発電所に送る電気系統が四つとも切れてしまったことが原因であった。勿論、発電機も原子炉も緊急停止したが、原子炉内部の沸騰が激しく続いて、内部の水がみるみる減ってゆき、ぎりぎりで炉心熔融を免れたのだ。おそろしいことに、この発端となった完全電源喪失の原因さえ特定できないのである。この四日前の六月一三日に福島県沖を震源とするかなり強い地震が原発一帯を襲っていたが、それが遠因なのか? いずれにしろ、事故当日には地震が起こっていないのに、このような重大事故が起こったのだから、大地震がくればどうなるか。 |
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