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徽宗皇帝のブログ

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なぜダメ議員がこれほど多いか
ブックマーク(「お気に入り」か?)に入れてあるが、あまり読むことがない「戦闘教師ケン」氏のブログで、なぜあまり読まないかというと、この人物の正体や立ち位置が不明だからだ。書いている内容も、かなり僻見が強い印象もある。まあ、本音を言えば、単に私にとっては「娯楽性がない」から読まないだけだがww ただし、私にとって「娯楽」とは、学問なども含む、知的満足や感情的満足を与えるものの全体だ。馬鹿や詐欺師を見るのも面白いから娯楽ではある。

ここに書かれた記事内容は、ご自身の実見したものの総括のようで、私を含め、世間の人の大半が知らないものだろう。特に「世襲議員は公募議員よりかなりマシ」というのはたとえば維新などの公募議員の質の悪さを見れば、真実だろうと思われる。
ただ、真実は真実として、注意すべきことは、世襲というのが代議制民主主義自体を崩壊させることだ。つまり選挙が「民意の反映」ではなく、最初から選挙に有利な条件(金銭、知名度、後援者など)の議員だけを当選させることになる。ここで書かれたことは、単なる人間的資質の問題、つまり「人品」の問題だということだ。
そういう「悪質候補」が当選するのは、悪質な候補者を当選させる選挙民が悪いとも言えるし、選挙にカネがかかるから自動的にそうなるという、制度的問題でもある。



(以下引用)

2024年03月14日

現代の政治家がダメなワケ

20年近く永田町に勤務して代議制民主主義の限界を感じた理由の一つに、立候補者あるいは候補希望者のパーソナリティが(悪い方に)偏りすぎているという点があった。

私が見てきた範囲で言うと、「自信過剰」「誇大妄想」「偏執(過剰な正義感や義務感、強迫性)」「劇場型パーソナリティ(自己愛)」などの特性を持つものが多すぎるのだ。
確かに「俺には代議員が務まる」くらい自信過剰でないとそもそも立候補しないし、「自分が政治を変えなきゃならない、自分が国を守る」という義務感や正義感がないと立候補しない。また、劇場型パーソナリティが無いと、大勢の前で演説し街頭活動などできないだろう。

ところが、こうした心理的特性は往々にして様々な判断を狂わせるバイアスになってしまう。
自信過剰は無理な政策を押し通す原因になり、過剰な正義感は他者との妥協・交渉の余地を失わせ、劇場型パーソナリティは人気取りや大衆扇動の原因になるからだ。

現代の政治家が見るからにダメっぽい原因はそこにあると、私は考えている。
私は「自信過剰」と言われたことが何度かあるが、その私が「自分に議員なんて務まるわけがない」と思ったにもかかわらず、あれだけ立候補しようという人がいること自体、「どんだけ自信過剰なんだ?」という話なのだ。
結論としては、代議制を維持するとすれば、消極的ながら、(立候補を前提とした)選挙制ではなく抽選制を導入すべきなのではないかと考えている。

追記すると、私の印象では、世襲議員は意外と「まとも」である。
メディアに登場する世襲がかなりキワモノな感じで、大半の世襲は公募議員よりもマシなのだ。というのは、世襲は立候補するために上記の弱点特性を持つ必要がない上、弱点をカバーするための経験値が底上げされているからだと考えられる。
自民党議員を見ていても、公募議員はぶっ飛んだものが少なくないが、世襲は比較的穏当な判断や思考を持つイメージがあった。
但し、その代わり利権にがんじがらめになっており、それが強いバイアスになっていることは否めない。また、欧州では政権交代を期に議員の若返りが図られるが、日本ではその機会が少ないのが問題だろう。もっとも、今どき議員になりたがる若者は微妙な気がするが。まともなヤツは議員なんてやらない。

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