アメリカとNATOは、ウクライナの領土を軍事作戦の潜在的な舞台として、無分別にも開発しはじめました。定期的に行われる合同演習は、明らかに反ロシアです。昨年だけでも、2万3000人以上の兵士と、1000個以上の部隊が関与しています。
2022年に、外国の軍勢が多国籍演習に参加するためにウクライナに来ることを認める法律がすでに成立しています。もちろん、これらは主にNATO軍です。今年は、少なくとも10回の合同演習が予定されています。
明らかに、これらのことは、ウクライナ領土において、NATO軍グループが急速に強化されるための、隠れ蓑を提供するように設計されています。
特に、ボリスポリ(キエフ近く)、イワノフランキフスク(西南)、チュグエフ(東部。ソ連の空軍拠点として有名)、オデッサ(黒海の西沿岸)など、いくつかだけしか引用しませんが、アメリカの援助で近代化された飛行場のネットワークは、非常に短い時間で部隊を移動させることが可能なのです。
ウクライナの領空は、ロシア領内を監視する米国の戦略機や偵察機、ドローンの飛行に開放されています。
アメリカがオチャコフに建設した海事オペレーションセンターは、ロシアの黒海艦隊と黒海沿岸すべてのインフラに対して、精密兵器の使用を含むNATO軍艦の活動を支援できるようにしていることを付け加えておきます。
ある時、アメリカはクリミアにも同様の施設を建設するつもりでしたが、クリミア人とセヴァストポリの人々がその計画を失敗させたのです。我々はそのことをずっと覚えています。
今日、そのようなセンターは、既にオチャコフに配備されていることを繰り返したいと思います。18世紀には、アレクサンドル・スヴォーロフの兵士がこの都市のために戦いました。彼らの勇気のおかげで、この都市はロシアに組み込まれました。
また、同じく18世紀には、オスマン帝国との戦争でロシアに組み込まれた黒海沿岸の土地に、ノヴォロシア(新ロシア)という名前が付けられました。
今日、これらの歴史上画期的な出来事や、同じようにロシア帝国の国家や軍人の偉人の名前も忘却に追いやろうとされています。彼らの努力なしには現代のウクライナには大都市も黒海へのアクセスさえもなかったでしょうに。
最近、アレクサンドル・スヴォーロフの記念碑が、ポルタバで取り壊されました。どういうことでしょうか。あなた方は自身の過去を放棄するのですか。ロシア帝国の、いわゆる植民地時代の遺産というのですか。その場合、一貫性を保ちなさい。
次に、とりわけウクライナ憲法第17条は、領土への外国軍基地の配備は違法であると規定しています。しかし、これは簡単に回避できる規定にすぎないことが判明しました。
ウクライナにはNATO訓練の作戦(ミッション)があり、それは事実上、外国軍の基地となっています。基地を作戦と呼び、それを終わらせただけなのです。
キエフは長い間、NATO加盟を戦略的な道筋として喚起してきました。確かに、各国は自国の安全保障システムを選択し、軍事同盟を結ぶ権利を持っています。
「しかし」がなければ、それは何の問題もないでしょうに。国際文書では、平等かつ不可分の安全保障の原則を、明確に規定しています。これには、他国の安全保障に損害を与えて、自国の安全保障を強化しない義務が含まれています。
この原則は、1999年にイスタンブールで採択されたOSCE(欧州安全保障協力機構)の憲章、および2010年のOSCEアスタナ宣言に定められています。
つまり、安全保障への道筋を選択することは、他国への脅威であってはならないが、ウクライナのNATO加盟は、ロシアの安全保障への直接の脅威となるのです。
2008年4月にルーマニアの首都ブカレストで開催されたNATOサミットで、アメリカはウクライナと、ついでにジョージアがNATOの加盟国になるという決定を採択したことを思い出してください。
アメリカの多くのヨーロッパの同盟国は、この展望にまつわるリスクを既に十分気づいていましたが、彼らはパートナーの原則の意志に屈しなくてはなりませんでした。アメリカ人は、明らかな反ロシア政策を追求するために、彼らを利用しただけなのです。
NATO加盟国の中の一定数は、ウクライナのNATO加盟について依然として非常に懐疑的です。これは一夜では起こらないので心配しないようにというヨーロッパのいくつかの首都からの信号を受け取っています。
実は、我々のアメリカのパートナーも同じことを言っています。我々は、わかりました、もしそれが明日起こらなければ、明後日起こるでしょう、と答えるでしょう。これは歴史的に見ると何か違いはありますか。全く何もありません。
さらに、ウクライナ東部での盛んな敵対行為は、もし同国がNATOの基準を満たし、腐敗を克服すれば、NATOに加盟する可能性を排除しないという、アメリカの指導者の立場の表明だと承知しています。
その間、彼らは、NATOがロシアに何の脅威も与えない平和で純粋に防御的な同盟であることを、何度も何度も私たちに納得させようとします。またもや、彼らは我々にそれらの言葉を信じてほしいと思っています。
しかし、我々は、これらの言葉の現実の価値をよく知っています。1990年、ドイツの統一が議論されたとき、アメリカはソビエトの指導部に、NATOの管轄権や軍事的プレゼンスは東に1インチたりとも拡大せず、ドイツの統一は、NATOの軍事組織の東への拡大につながらないことを約束しました。これは引用文です。
彼らはたくさんの口での保証は与えましたが、それらはすべて空のフレーズであることが判明しました。その後、彼らは、中欧と東欧諸国のNATOへの加盟は、モスクワとの関係を改善し、これらの国々の苦い歴史的遺産に根ざした恐怖心を和らげ、さらにはロシアの友好国のベルトをつくることになると請け合い始めたのです。
ところが、起こったのは正反対のことでした。一部の東欧諸国の政府は、ロシア恐怖症にかられて、ロシアの脅威に関する偏見と固定観念を同盟にもたらし、集団的防衛の可能性を強化し、主にロシアに対してそれを配備することを主張しました。
さらに悪いことに、それは1990年代から2000年代初頭に起こりました。我々の開放性と善意のおかげで、ロシアと西側の関係は高いレベルに達していたのですが。
ロシアは、ドイツや中東欧からの撤退を含む、すべての義務を果たし、冷戦の遺産を克服することに大きな貢献を果たしました。我々は一貫して、NATO・ロシア理事会やOSCEの枠組みを含め、協力のためのさまざまな選択肢を提供してきました。
さらに、私はこれまで公に言ったことのないことを言いましょう。今、初めて言います。その後、2000年にアメリカの当時現職のビル・クリントン大統領がモスクワを訪れたとき、私はロシアのNATOへの加盟についてアメリカはどう思うかを彼に尋ねました。
この会話のすべての詳細は明かしませんが、でも、私の質問に対する反応は、いわば極めて控えめで、この可能性に対するアメリカ人の真の態度は、実はその後、彼らの我が国に対してとった行動で実際に明らかになっています。
北コーカサスのテロリストへの明白な支援、我が国の安全保障上の要求や懸念の無視、NATOの継続的拡大、弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)からの離脱などを参照に出します。これらは疑問を投げかけます。なぜ? 一体何の意味があるのか、何が目的なのか。わかりました。あなた方は我々を友人や同盟国とはみなしたくないのですね。でも、なぜ我々を敵にしようとするのでしょうか。
答えはただ一つしかありえません。我々の政治体制やその他のことではないのです。まったく単純に、ロシアのような独立した大国を周囲に必要としないだけなのです。それがすべての問いに対する答えです。これがアメリカの伝統的な対露政策の源であり、それ故に我々のあらゆる安全保障上の提案に対する態度でもあるのです。
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