安倍総理や日本会議の連中が右翼と思われながら、時々今上天皇に対して異常に不敬な言動をするのは、天皇を自分たちのただの道具(玉)だとしか見ていない「長州的メンタル」のためだろうと見抜いている人は多いだろうが、そこまで考えが至らず、当惑している人もいるだろう。
そこで、下の記事に出てくる「ゾルレン(当為)としての天皇とザイン(現実存在)としての天皇」という言葉は、その矛盾の理解をしやすくする、という利点はある。
しかし、「ゾルレンとしての天皇」という言い方にはまた誤解を招くところがある。つまり現実存在としての天皇を否定する連中を「理想としての天皇」を求める右翼側の理想主義者たちとしているかのようなニュアンスが、この「ゾルレンとしての天皇」という言葉にはあるからだ。実際には、理想主義者ではなく、悪どく傲慢なエゴイスト、欲の塊であり、「天皇より自分(あるいは自分たち)が精神的に(あるいは現実権力的に)上」としているのがこの「ゾルレンとしての天皇」論者だろう。
これが右翼の中に存在しているのが天皇にとっては困ったことで、2.26事件の首謀者たち(つまり自らの欲のためではなく社会の改良のために行動した理想主義者とは言え、根底は「ゾルレンとしての天皇」論者たちだ)に昭和天皇が厳しい態度で臨み、彼らを処罰したというのは「君主制」時代の天皇としては当然のことだったわけである。三島由紀夫の思想の中の天皇もまたこの「ゾルレンとしての天皇」の匂いがする。
まあ、天皇という存在についてどう考えるかは人それぞれだが、少なくとも天皇を自分たちの政治的野心に利用しようとする連中は明らかに権力亡者たちであり、社会の害悪であり、厄介な存在だ、ということだけは確かだろう。ただし、藤原氏以来(あるいは蘇我氏以来)、そういう連中こそが政治の中枢にいた、という事実もある。
かと言って、天皇という存在自体を廃すればすべてOKとは私はまったく思わない。一権力を滅ぼしても他の権力が政治を私物化するのは歴史的な事実であり、政治の宿命であり、それを根底的に解決する方法として「政治の権力」と対抗する「天皇の権威」を並立するのは日本という国の叡智ではなかったか、というのが私の考えであり、それが悪く出たら「中空構造(無責任体制)」になるわけだが、それは天皇絶対主義の下で起こったことであり、現在の「象徴天皇制」の下では起こり得ない、と私は考えている。(ただ、安倍総理による改憲が実現したら、「君主(つまり背後勢力の道具、傀儡)としての天皇」が法制化される可能性は高いし、そうなれば日本社会は大きく後退するだろう。)
(以下「逝きし世の面影」より引用)
孫崎 享 @magosaki_ukeru 2016-08-10
戦前の右翼中「ゾルレン(あるべし)の天皇」と「ザイン(ある)の天皇」がある。ゾルレンの天皇を守るためザインの天皇を殺していいという考え方が出た」(鈴木邦男氏)。今その考えじゃないか、日本会議、安倍首相の周辺に存在。
A:鈴木邦男氏の見解
私は、「右翼」一水会の鈴木邦男氏と対談し、それが2014年『いま語らねばならない
戦前史の真相』として出版された。
ここで私は右翼と天皇について問うた。
孫崎「右翼思想の根本は天皇陛下を重視するということでしょう」
鈴木「確かにそうですが、それが難しい。
例えば二二六事件で蹶起した将校たちは昭和天皇の決断で処刑されました。
(省略)
戦後に人間宣言したのも間違っていると思っている右翼はいるわけです。
そうすると、天皇のすべてが偉いのではなく、天皇の理念こそが正しいという考え方が出てくる。だから、ゾルレン(あるべし)としての天皇とザイン(ある)としての二つの天皇が存在するというわけです。これが極端に進むと、ゾルレンの天皇を守るためには、ザインの天皇を殺してかまわないという暴論まではいた人がいました。
安倍晋三など右翼は、天皇を守りたいのではなくて、自分が守りたいのは『ゾルレン(あるべし)の天皇』なのですから、それとは違っている『ザイン(ある)の天皇』の誅殺もありうるとの、最も危険な思想だった。
そこで、下の記事に出てくる「ゾルレン(当為)としての天皇とザイン(現実存在)としての天皇」という言葉は、その矛盾の理解をしやすくする、という利点はある。
しかし、「ゾルレンとしての天皇」という言い方にはまた誤解を招くところがある。つまり現実存在としての天皇を否定する連中を「理想としての天皇」を求める右翼側の理想主義者たちとしているかのようなニュアンスが、この「ゾルレンとしての天皇」という言葉にはあるからだ。実際には、理想主義者ではなく、悪どく傲慢なエゴイスト、欲の塊であり、「天皇より自分(あるいは自分たち)が精神的に(あるいは現実権力的に)上」としているのがこの「ゾルレンとしての天皇」論者だろう。
これが右翼の中に存在しているのが天皇にとっては困ったことで、2.26事件の首謀者たち(つまり自らの欲のためではなく社会の改良のために行動した理想主義者とは言え、根底は「ゾルレンとしての天皇」論者たちだ)に昭和天皇が厳しい態度で臨み、彼らを処罰したというのは「君主制」時代の天皇としては当然のことだったわけである。三島由紀夫の思想の中の天皇もまたこの「ゾルレンとしての天皇」の匂いがする。
まあ、天皇という存在についてどう考えるかは人それぞれだが、少なくとも天皇を自分たちの政治的野心に利用しようとする連中は明らかに権力亡者たちであり、社会の害悪であり、厄介な存在だ、ということだけは確かだろう。ただし、藤原氏以来(あるいは蘇我氏以来)、そういう連中こそが政治の中枢にいた、という事実もある。
かと言って、天皇という存在自体を廃すればすべてOKとは私はまったく思わない。一権力を滅ぼしても他の権力が政治を私物化するのは歴史的な事実であり、政治の宿命であり、それを根底的に解決する方法として「政治の権力」と対抗する「天皇の権威」を並立するのは日本という国の叡智ではなかったか、というのが私の考えであり、それが悪く出たら「中空構造(無責任体制)」になるわけだが、それは天皇絶対主義の下で起こったことであり、現在の「象徴天皇制」の下では起こり得ない、と私は考えている。(ただ、安倍総理による改憲が実現したら、「君主(つまり背後勢力の道具、傀儡)としての天皇」が法制化される可能性は高いし、そうなれば日本社会は大きく後退するだろう。)
(以下「逝きし世の面影」より引用)
孫崎 享 @magosaki_ukeru 2016-08-10
戦前の右翼中「ゾルレン(あるべし)の天皇」と「ザイン(ある)の天皇」がある。ゾルレンの天皇を守るためザインの天皇を殺していいという考え方が出た」(鈴木邦男氏)。今その考えじゃないか、日本会議、安倍首相の周辺に存在。
A:鈴木邦男氏の見解
私は、「右翼」一水会の鈴木邦男氏と対談し、それが2014年『いま語らねばならない
戦前史の真相』として出版された。
ここで私は右翼と天皇について問うた。
孫崎「右翼思想の根本は天皇陛下を重視するということでしょう」
鈴木「確かにそうですが、それが難しい。
例えば二二六事件で蹶起した将校たちは昭和天皇の決断で処刑されました。
(省略)
戦後に人間宣言したのも間違っていると思っている右翼はいるわけです。
そうすると、天皇のすべてが偉いのではなく、天皇の理念こそが正しいという考え方が出てくる。だから、ゾルレン(あるべし)としての天皇とザイン(ある)としての二つの天皇が存在するというわけです。これが極端に進むと、ゾルレンの天皇を守るためには、ザインの天皇を殺してかまわないという暴論まではいた人がいました。
安倍晋三など右翼は、天皇を守りたいのではなくて、自分が守りたいのは『ゾルレン(あるべし)の天皇』なのですから、それとは違っている『ザイン(ある)の天皇』の誅殺もありうるとの、最も危険な思想だった。
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