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徽宗皇帝のブログ

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ダイハツ問題における「陰謀論」的妄想
「大摩邇」から生チョコぽん酢氏の記事(前半略)を転載。
書かれているのは「売る側の論理」であり、ぽん酢氏も同じ立場から物を言っているわけで、半分肯定、半分批判的な意味での転載だ。
なぜ批判的かと言えば、国民の平均収入は低下し続けている(それだけでなく、円安により円による購買力も低下し続けている)のに、国民に「商品価格を上げるのを肯定すべきだ」という議論は本末転倒だろう、ということだ。国民を貧困化させ続けた政府の犯罪的行為に、「売る側」も、従業員の賃金抑制で加担し続けたではないか。
ゼロ戦の話も少し面白いが、それは「戦争能力が無いのに無理に戦争を推進した勢力(軍部や一部資本家その他)」「その勢力に抵抗姿勢を見せなかった政治家や軍部の『良識派』」が一番の問題であって、ゼロ戦搭乗者はその被害者であるにすぎない。ゼロ戦を強化してどうなれたというのか。つまり、論理的に無理な話を「売る側の論理」につなげているだけではないのか。
要するに、問題の根本は、「国民の貧困化」にあるのであって、そこで「国民(買う側)を批判する」のは完全に筋違いだろう、ということである。
私はむしろ、100円ショップこそが「日本国民を救っている」という考えである。つまり、「高くても、いい物を作るべきだ」という思想は、今の日本にはまったく適合しないということである。もうひとつ言えば、「値段が高いからいい商品だ」という思想(ブランド信仰)は、もはや宗教の類だろう。海外の商品が高くなっているとしても、それは「商品が良くなったこと」を意味してはいない。
今ふと思ったことだが、ダイハツは「的にかけられた」のではないか、という疑いもある。日本国民や外国国民に「ほら、安物買いの銭失い」とは、こういうことですよ、とアピールする目的である。実際には、日本政府の「厳しい安全基準に合わない」だけで、ダイハツ車の性能自体は海外企業の自動車以上かもしれないのである。ひいては、ダイハツの親企業(だったと思う)のトヨタ潰しの深謀遠慮がその奥にある可能性があるのではないか、というのが今私が妄想したことだ。それほどガソリン車はトヨタの一人勝ち状態なのであり、二酸化炭素規制(電気自動車推進)もトヨタ潰しの意図が大きいわけだ。(今、気が付いたが、ぽん酢氏も、私と反対の立場だが記事末尾でトヨタに「批判的口調で」触れている。)(念のために言うが、好き嫌いで言えば私はトヨタが嫌いである。その「看板システム」は下請けいじめである。まあ、それでも下請けをするメーカーがいるのだから、両者合意の上のことだが)(私は軍需産業部門を持つ三菱も嫌いだが、使っている中古車は三菱である。カネが無いから仕方が無いww 品質は悪い。電車や地下鉄の無い沖縄では自動車は下駄や草履の類である。これが無いと生活が困難なのだ。)

(以下引用)
昔東南アジアに行った時に、トゥクトゥクはどの企業が作っているのか気になり、ドライバーさんに聞いたことがあります。

そしたら「日本だよダイハツ」と聞き、ダイハツはこんなことまでやってるのかと、良い意味で驚いたのを覚えています。

ダイハツって、他の国内自動車メーカーと比べて安価なのに品質は引きを取らないから、かなり人気がありましたよね。
影響が出た方も多かったのではないでしょうか。


私は近年、違和感を抱き続けている事があるのですよ。

日本企業は色々踏ん張り過ぎているんじゃないのかなと。

以前に円安問題の本質について書いたことがありましたが、今日本を取り巻く環境は相当厳しいです。

日本はグローバルな世界システムにどっぷりなわけでが、世界的なインフレによる人件費や資材コストの高騰、そして円安という構図は、理屈上では競争力の急激な低下を招くはずなのです。
 
インフレが良い悪いはおいておき、グローバルな仕組みの上で成り立つ国ならば、当然販売価格も高騰していくはずなのですよね。

でも日本国内で販売される価格はどうでしょうか。

私は車が大好きなので時々眺めていますが、新車価格はたいして高騰していません。

そりゃ20年単位でみたらかなり高くなった感がありますが、昨今の世界的インフレが市場価格に反映されているようには見えないのです。

一応調べてみましたが、やはりこの感覚に間違いはないようです。
https://tomicci.com/jcar-change/


この点に、とても強い違和感を覚えてきました。

そりゃ日本の一部の客層は値上げには馬鹿みたいにうるさいので、国民性がインフレを抑制している側面があるかもしれません。

しかし、企業努力だけでどうにかできるものなのか、不思議で仕方がなかったのです。

で、蓋を開けてみれば不正の嵐。

そりゃそうですよ。

魔法使いじゃあるまいし、原理的にどこかで抜かなければ価格を維持できませんから。


このような話をすると、過去の根性論系の教訓としてゼロ戦が頭に浮かびます。

当時の日本は世界から輸出制限が課せられて資源が乏しく、限られた資源でエンジニアたちが頭をひねり出来上がったのがゼロ戦です。

装甲は極限まで薄く、しかし絶妙なバランスで飛ぶことができるので凄い機動力を得られた為、当時アメリカ軍内で「ゼロ戦を見たら逃げろ」という指令が出ていた逸話が有名です(実際は嘘か本当かわかりませんが)。

昔南国にある戦跡を訪れた際に、山中に放置されてあったゼロ戦を自分の指で触ったことがあります。
 
↓私が撮った写真

腐食もあると思いますが、装甲はアルミ缶かな?と思うほどペラペラで、ライフル2~3発で墜落しそうなおもちゃ感がありました(←失礼)。

ちなみにゼロ戦に限らず、当時の日本の軍備の装甲はどれもペラペラなのです。

放置されてある戦車も、アメリカ軍のものか日本軍のものかは装甲を見れば一目瞭然でした。

さて、これは何の話かと言いますと、実際にはゼロ戦が一目置かれていたとしても、ほんの一時的なことだったのです。

すぐに太刀打ちできなくなってしまいました。

企業努力も必要ですが、安さを売りにする商売というのは、今も昔も、あまり良いビジネスモデルではないのではないかと私は思うのです。

そりゃ私もいち消費者として、安くて良いものがあれば嬉しいですよ。

 

でも何事にも限度というものがあるじゃないですか。

我々消費者が、「安くしろ!」「値上げは許さん」という横柄な姿勢で待ち受け、そして万が一不備があれば徹底的に叩くわけですよね。

そんなの都合が良すぎるし、その声に沿おうとする企業側も綱渡りになるだけではなく、

この構造はグローバルな視点で見た場合は国家として取り残されていくわけで、全体像で見たら誰も幸せにはなれないと思うのです。

そこに昨今の世界的なインフレです。

もう最大限安くて最大限良い物を、みたいな相反する根性論の時代は終わってるのかもしれません。


企業側は、例え消費者ニーズがあっても、無理しすぎてはいけないのかも。

 

その為に不正をするのなら本末転倒ですよ、価格競争にも限度があると思うのです。
 
消費者側は安くて良い物を求めるのは悪い事ではありませんが、可能な限り逆の立場に立ち、

どのようなサービスにも相手にどれくらいの利益が残るのかをざっくり計算して適正かどうか判断する努力は必要だと思います。

それがあれば、ぼったくられるリスクも減らせるので自分の身を守る事にもなるのではないでしょうか。
 

とにかくダイハツの話に戻りますが、ここまでのことをしでかしてしまうと、ブランド価値が下がりますから一体どうなることやらです。

日本の物づくりの品位を下げるような度重なるニュースに、私は悲しくなるのでした。

このニュース記事でトヨタは偉そうに解説していますが、トヨタも大丈夫なのか心配になります。

なんだか10年後には、自動車産業の構図が変わっていそうですよね・・・。

その頃の日本は、一体どんな産業で世界と戦っているのでしょうか・・・・・。


おわり

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